■社員と家族を意識した4年間
――合計4年間、トップとして大手銀行グループを率いて、3月いっぱいで退任となります。大久保さんにとっての「社長業」とは、どんなものでしたか。
「トップというものは、そばで見ているのと、いざ自分がその地位に就くのでは違うものだ」と言われますが、その通りだと思いました。
(三井住友信託銀行を中核とする)三井住友トラスト・グループと自分自身という人間がダブって見える、会社と自分がオーバーラップしていると、常に感じる4年間でした。私だけで会社を動かしているわけではないことは十分に分かっているのですが、「自分の行動が、そのまま三井住友トラスト・グループに直結する」というか、「自分の判断が会社としての判断や方向性になる」という感覚です。副社長や専務、常務のころは、さすがにそこまで「会社と自分との一体感」を感じることはありませんでした。
ステークホルダー(利害関係者)との関係においても同じです。「株主から自分がどのように見えているか」を考えると、それは「三井住友トラスト・グループがどう見られているか」ということに重なる気がしました。
「社員からどう見られているか」も強く意識しました。「社員からの会社に対する期待に自分がどこまで応えられているか」を日ごろから意識するようになりました。社長になるまで、そのようなことはあまり考えませんでした。プレッシャーというべきなのか、自分に対する緊張感というものでしょうか。
――社長に就任してから、社員のことを強く意識するようになったのですね。
連結子会社も含めると、私たち三井住友トラスト・グループ全体では、2万2000人ほどの社員がいます。社員はだれもが、このグループに生活の基盤があるわけです。「社員の暮らしや健康を大事にし、働きがいのある職場を提供できているかどうか」。社長になり、目配りするものが急速に広がった気がしました。
――社員2万2000人から「見られている」という感覚があったのですか。
実際は、いつも私のことを見ているわけじゃないと思いますよ。当社が私1人の判断で動いているわけでもないです。ただ、これは、はっきり言えることなのですが、トップになって、ある意味で、一人ひとりの社員との「距離感が縮まった」ように感じました。2万2000人の社員とその家族の生活について責任を持つ立場になったことで、「距離感が縮まった」という感覚を持ちました。
■自分の限界を、常に冷静に意識した
――世の中が複雑化し、グローバル化の加速、デジタル革命など、企業経営は難しい時代になりました。この時代における「社長の資質」をどう考えますか。
この4年間、トップをしていて感じたことは、やはり、社会が多様化・複雑化し、変化のスピードが速くなっているということです。私たちが身を置いている金融業界においても、その変化の速度は、相当なものです。
そのような経営環境で、トップはどうあるべきか。まずは、「優先順位をつける」ことが以前にも増して重要になってきたと実感しました。例えば、目の前に「A案、B案、C案、D案」があって、「さあ、どれを選ぶべきか」という判断を迫られたとします。環境が安定的に右肩上がりであれば、だれが見ても「それはB案だ」と意見がおのずとまとまることもありましたが、いまは違います。それぞれメリットとデメリットがあって、社内にも賛成意見と反対意見がある。そうなると、どれを優先させるべきか、トップの判断が非常に重要になります。
過去には「課長が動かしている会社がよい会社」といわれたように、日本企業は過度のボトムアップ型などと言われましたが、いまはトップダウンが求められる場面が増えました。もちろんトップダウンだけではだめで、トップダウンとボトムアップのバランスは大事です。それをふまえたうえで、トップが「優先順位をつける」ことが大事になってきました。
――変化が激しい時代には、社長が「すべてを決める」のも大変なことです。
私たちは信託銀行グループなので、ビジネスの幅が非常に広い。そして、それぞれのビジネスが複雑化し、変化のスピードも速くなり、デジタル化の加速や、AI技術の進歩だとか、社長ひとりの知見だけでは足りなくなってきました。当然、自分の知見は必死に広げなくてはいけませんが、私は社長として、自分の知見が追いつかない部分は「任せる」ということを意識しました。
「任せる」というのは、「最前線で働く部下や他の経営陣に任せる」という意味もあれば、「当社にノウハウのない新しいビジネスをやっている外部の企業と一緒にやる」ことも含まれます。ただ、当然のことながら「任せる」ということは、結果に関して、とくに結果が良くない場合は、私自身が責任を取ることになるので、これも重要な判断になります。
これまで日本の金融機関は「何でもかんでも自分のところでやる」ということが多かったと思います。私たちのグループもそうでした。ただ、それだけでは経営環境の変化やスピードに対応できない。そのような状況において、優れた「解」は何かというと、「当社にないものを持つ外部と一緒にやる」ということです。これもある意味では、「任せる」ことだと考えるようになりました。
自分以外の力や知識をどう使うか、それがますます大事になります。日本企業にも、「スーパーマン」のように、すべてをご自身でやっていく経営者は何人もいらっしゃいますが、私はそのようなタイプではありません。「自分の限界を、常に冷静に意識する」。これが、社長としてずっと考えてきたことです。
■トップの仕事は、ものすごく怖いもの
――「自分の限界を意識する」という話が出ました。今回のトップへのインタビューシリーズで「エステー」の鈴木喬・元社長は、「社長になってから社内に反論・異論がなくなり、果たして自分の判断が正しいかどうか、とても不安になった」と語っていました。
その感覚は、とてもよく分かります。トップの仕事というものは、ものすごく怖いものです。ときどき「全部、私が決めていいのか?」と不安に思います。
私たちのグループ全体で、毎年「未来創造フェスティバル」という新規事業コンテストをやっています。優秀な提案については、異動してもらって実際に取り組んでもらいます。新しい商品開発やサービス開発などで、毎回200件前後の応募があり、審査の最終段階では、社長の私も入り、10件程度のアイデアについて提案者からその場でプレゼンしてもらい、それぞれに点数をつけていきます。
最初、事務局は私に気をつかっているのか、「社長の持ち点」を多くするのですが、回を重ねるなかで事務局に提案しました。「社長の持ち点を下げてほしい。外部の起業家や大学教授にも審査に入ってもらえないか」と。いまは、そのように運営されています。
なぜ、そのように提案したかと言いますと、コンテストはさまざまなアイデアが出てくるのですが、例えば、最先端の技術的な内容を含むものだと、私がすべて完璧に理解できるわけではない。もちろん、必死に理解しようとしますが、限界はあります。「私自身が理解できない」という理由だけで低い点をつけることはあってはならないと思いますが、逆に理解できないものには高い点がつけられない。「これではいけない」と思ったのです。世の中のテクノロジーが進化する中で、スマホ機能の10分の1程度しか使っていない人間が、このコンテストの結果を左右する「一番高い配点」を持っていてはいけないと実感したのです。
トップとしての判断を放棄することはできませんが、いかに正確に採点するかを考えると、社長の配点を落とした方がよいと思いました。「若い人の配点を上げてほしい」、「技術が分かる外部の人に入ってもらうべきだ」と考えました。
この話は、日ごろ私が考えていることの象徴的な例です。「トップとして能力や知識を高める最大限の努力をしながらも、その一方で、自分の限界もしっかり冷静に見ておく」、そうでないと、会社全体として正しい経営判断ができないと思うのです。社長というのは「怖い」ものです。部下たちに「それは違うんじゃないか」と言うと、多くの場合みんな反論しません。それは、私が社長だからです。そのことをトップは理解しておくべきだと思うのです。
――社長が「怖い」という感覚を持ちながら仕事をしていることは、多くの社員には分からないものです。自信たっぷりに仕事をしている様子しか、メディアなどには出てきません。
当然の話ですが、社長には、部下の人は「忖度(そんたく)」をするわけです。例えば、案件の説明に入ったときに、「社長が渋い顔をしていた」とか、そんな話になりやすい。打ち合わせの場で私から「ちょっとしたアイデアだけど、例えばこんなこともできないだろうか」と言うと、「社長が言っていた」となって、みんな一生懸命取り組むわけです。それはそれで組織としては良い面もあります。ただ、「組織とはそう動くものだ」と社長自身が分かっていないと、もしかしたら会社全体が間違った方向に行ってしまうかもしれません。
■座右の書は「貞観政要」
――日本企業の社長の「任期」については、どう考えますか。
私の場合は4年でした。一般的には少し短い方かも知れません。近年は6~7年が多いように思います。社長任期は、何年が適切だという基準はないと思いますが、常に自分を冷静に見て、自分がトップでいることが会社にとっていいのか、ステークホルダーにとっていいことなのか、しっかり判断することが大事です。
長期的なプロジェクトをやる会社であれば、「10年」といった長期間もあり得るでしょう。長いプロジェクトをやろうとすると、社長にある程度の任期がないと、責任をもって遂行できません。
――社長の在任中、リーダーシップで心がけたことはありますか。
一般に、社長というものは、社員に対して「あの星をめざせ」と最終的なゴールを示すイメージがあると思いますが、「あの星」と指をさすことは、リーダーの仕事の半分だと思います。大切なのは、「あの星」にたどり着くまでの道筋をどうするか、その道筋に沿って組織や多様な人材をどうまとめて、どう動かしていくかです。
ただ、私が考えた道筋がベストなものとは限りません。そこで私は「左に60度・右に60度の合計120度の扇形の角度で、組織全体をゴールに向けて引っ張っていく」というイメージを持ちながら、私なりのリーダーシップを発揮しようと心がけてきました。社長が指す道筋がちょっとずれていた場合、周りの人の意見や考えを参考に、ゴールに向けて柔軟に修正ができるようにという意識をもって、取り組んできました。
――「社長業」をこなすうえで、参考にした書物などはありますか。
座右の書は「貞観政要」です。中国史上、最も安定した治世を築いたといわれる、唐の第二代皇帝・李世民が、彼を補佐した重臣たちとの間で交わした問答をもとに編纂された書物です。世界最高のリーダー論の一つとも言われています。
トップは、耳あたりのよくないことを言う部下もきちんと自分の周りに置くべきだとか、「トップは、こうあらねばならない」と思ってトップを演じつづけることで、本当の力が付いてくるのであって、まずは「演じる」ことが大事であるとか、参考になる話が多かったです。いつも執務室の机に置いています。