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【車谷暢昭】社長はアスリートであれ。東芝再建託されたトップの実感

令和の時代 日本の社長 更新日: 公開日:
東芝の車谷暢昭社長兼CEO

インタビューシリーズ「令和の時代 日本の社長」#9 東芝社長兼CEO・車谷暢昭氏 ガバナンス(企業統治)の甘さが深刻な経営危機を招いた「名門」東芝。その再建を託されたのは、メガバンクの三井住友銀行出身の車谷暢昭氏だ。約3年前、最初は会長兼最高経営責任者(CEO)として東芝入り。同社が外部からトップを受け入れるのは、1965年の土光敏夫氏(元経団連会長)以来、約50年ぶりのことだった。車谷氏に初めて取材したのは、2007年春、三井住友銀行の経営企画部長に就任した直後だった。当時から金融業界で「三井住友のクルマタニ」と言えば知らない人はいない、というほどの有名人だった。苦境に立つ伝統企業の立て直しは「金融のプロ」に託されている。(文・畑中徹、インタビュー写真・相場郁朗)

■立ち止まった瞬間に劣化する

――メガバンク副頭取などを経て、2018年春に東芝の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、その後、社長兼CEOとなってから約1年が経過しました。伝統企業での社長業はいかがですか。

銀行というのは、基本的に規制業種ですからビジネスの自由度は相対的に低いです。メーカーの場合はもちろん規制はありますが、基本的には自由なビジネス。「守られていない」という意味において、メーカーのトップは非常に難易度が高い仕事だと思います。

――「難易度が高い」という点について、もう少し詳しく教えてください。

日本のモノづくりは、ここ20年間、30年間は難しい時代でした。1980年ごろまでジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、技術が爆発期を迎える中、日本の製造業は強かった。そこから先は、真のブレークスルーは少なくインターネットも登場し、ビジネスモデルの戦いになってきた。米国の製造業は衰退し、日本の製造業も非常に苦労しました。経営危機に陥るメーカーも多く、製造業全体として受難の時代が続いたように思います。

そういう中、メーカーの経営者には、次世代の製造業のあり方、もしくは製造業ではなくなるビジネスモデルを構築することが求められる。これまでの事業を自己否定することにつながるので、どのメーカーの社長も非常に緊張感が高い。どのトップも、まさに重要な歴史の転換点で勝負しているのだと思っています。

東芝の次期会長兼CEOへの就任が決まり、記者会見する車谷暢昭氏(左)。右は綱川智社長(当時)=2018年2月、朝日新聞社撮影

――これまでのビジネスモデルを否定することすら必要かもしれない、という時代なのですね。

従来のように、路線通りやれば成長するというストーリーが固まっている時代ならば、路線に沿って事業をやっていけばいいわけです。しかし、いまは仕事の枠組み自体が変わろうとしている。デジタルというものが、非常に大きなインパクトをもたらしている。新しい経営環境のなかで、まったく新しいことを考えなくてはいけない。

現状維持だと、自分の会社が日々劣化してしまう。立ち止まった瞬間に劣化してしまうんです。どのような業態の企業になっていくのかについて、それぞれの企業がまったくゼロから考えている。ですから、以前のような「総合電機」というカテゴリーは存在しない。もはや幻想に過ぎないかもしれない。私たち自身が新しい業態を創造していくという段階にあると思います。それを担うのがメーカーの社長というものであって、その意味で「難易度が高い」と言ったわけです。

――それだけ経営環境が変わってくると、社長の資質も変わってくるということでしょうか。

「こういうポストを務めたら社長になる」という規定ルートというものは、もう存在しないと思った方がいい。実際、存在しなくなりつつあるし、今後は存在しなくなるでしょう。そういう規定ルートにのった人が社長になっていては、競争に勝てなくなってしまう。

――古巣の銀行業界では、「企画部」「人事部」など出世しやすい規定ルートがありますね。

銀行は基本的に規制業種です。銀行はどんなに優秀ですごいアイデアを持った人でも、できることは限られているのです。逆に言えば、参入障壁は異様に高い。いきなり、とんでもない人材が出てきて、既存の秩序を破壊するということはない。そんな不安定な金融システムだと困りますね。国が与えてくれる安定的なシステムと、経営者の自由度というものは、ある意味でトレードオフの関係にあって、メーカーと金融機関は比べられない。金融機関には、置かれた環境にふさわしい経営トップの育て方があるでしょう。でも、常に激しい競争にさらされている世界的な企業の経営トップは、日本のサラリーマン的に下から上がってきたわけではありません。

■社長とは「怖い仕事だ」

――以前、社長の仕事を「アスリート」と同じだと話していました。

そうですね。アスリートというのは、まず「節制」しないといけない。節制しないとアスリートなんて、できません。会社にも、やはり節制が必要。固定費が高ければ、会社なんて成り立ちません。経営者はみんなが見ている前で常に結果が求められる。例えばプロテニス選手は成績が悪くなると、メディアから見向きもされなくなります。体調が悪いと言うと同情はしてもらえても、一方で、「体調管理ができていない」と言われかねない。社長になってから思うのは、「スーパーマンじゃあるまいし、そんなに全部はできないだろう」という仕事の結果を、毎日のように求められている。そういう存在なのだと分かりました。

さらに言えば、メーカーのトップは、いまある事業をよりよくしていくということに加えて、ビジネスモデルを自ら変革することも求められる。変革者じゃないといけない。アスリートとして日々結果を残すことに加えて、例えば「いま利益を出している事業はやめて、こっちの事業にカジを切っていく」という決断も迫られます。

一番大事なのは、いかに正しく船を方向付けるかということ。この巨大な船、何十万人という規模のグループの従業員に向かって、「こっちに行きましょう」ということを決めなくてはいけない。もしリーダーが「おれには状況がよく分からない。経営リスクはとれない」と言っていたら、止まってしまう。トップがきちんとかじ取りしないと、会社が経営危機になる可能性は十分あると思いますし、下手すると、つぶれてしまうかもしれない。

そういう意味で、すごく怖い仕事なのです。激変期におけるトップというものは。とくにメーカーのトップは、みんな必死です。必死、みんな必死です。毎日、緊張感高いです。経営は正しくリスクをとらないとだめです。私にそれができているか分かりませんが、そういうリーダーになれるように努力しています。

――船が進む方向が決まっていた時代、つまりビジネスのやり方が大きくは変わらない時代であれば、だれが社長でも問題なかったかもしれませんね。

そういう時代であれば、経営は簡単です。そういう時代のトップを否定するわけではないですが、いまの時代はリーダーの指示で向こうに行ったら、巨大な見たこともないような嵐が来て、連合艦隊が丸ごと沈んでしまうことがあります。実際にあります。だからトップが「これをやる」と決めたとしたら、それは大きな決断になる。それを決めるのはトップしかいない。優秀な経営者が腹をくくって本気でやっても競争に勝てるかどうか分からないほど環境は厳しい。そういう状況で、社長やCEOは試されている。毎日試されている。でも、結果を出しても、だれもほめてはくれませんよ。せっかく100メートルを10秒で走っても、「はい、じゃあ次は9秒99でお願いします」となります。

――企業統治改革が進むなか、「社外取締役」の役割が高まっています。

東芝では現在、12人の取締役のうち10人が社外取締役です。この10人の方々と十分に情報を共有できていることが、すごく重要です。10人が持っている情報が少なければ、どんなにすごい方も判断がおかしくなる。例えば、社外から招いた取締役会議長とはよく話をしていて、私が考えていることをお伝えする。あまりにお時間をいただいているので、申し訳ないぐらい。必要なことだけを話すわけではなく、いろいろな局面で、私が考えていることを加工をしないで伝えます。

取締役会議長だけじゃなく、ほかの社外取締役の人たちも同様に長い時間を使って話しています。私じゃなく担当役員も社外取締役には説明しますが、聞く側からすると、「社長がどう思っているか」が重要です。本音のところでは。社長をはじめ会社の業務を執行する人たちが、勝手にいろいろとやって、社外取締役の方々がその方針に「すべてお任せ」ということでは、おかしいでしょう。うまく機能させるには、相当な努力がいります。

――経営者の中には、「社外取締役にうちの社内のことが分かるのか」といった抵抗感も見え隠れしています。こうした中、社外取締役が加わって次の社長を選ぶ「指名委員会」の採用にも及び腰にも見えます。

当社においては、指名委員会は100%社外取締役で構成しています。指名委員会は、社内からの推薦も聞きますが、社内・社外候補者を含め、社外取締役が最終的な権限をもって選ぶので、より客観性があると思います。ただ、社外取締役も完璧ではないです。私も社外取締役をやったことがありますが、社外取締役として「指名委員長」になって、この会社の社長には「絶対この人が間違いない」とはなかなか言えない、すごく難しいですよ。

ここはやはり、社長やCEOらとちゃんと話をして、だれにしたいのかをちゃんと聞いて、経験が豊富な社外取締役の方から見て、環境とか、変化の流れとか、技術動向とかを可能な限り熟慮して、社長やCEOが推す人が正しいと思えばその人材を選べばいいし、そうじゃないと判断すれば、意見を聞かないという選択肢もあります。次の社長を選ぶ権限を、社長やCEOに置いた方がいいのか、社外取締役の側にあった方がいいのか、そこの考え方はいろいろあるでしょうが、社長・CEOと社外取締役が日ごろから十分なコミュニケーションをとれているのであれば、社外取締役の側に置いた方が中立性や客観性、新陳代謝といった観点でいいのではないかと思っています。

社外取締役に社内のことは分からないといいますが、実際、社内のことを完全に理解することは非常に難しい。だから分かっていない人には次の社長やCEOを選べるはずがない、という風に思いがちなんです。

でも、これからのビジネスは何をするべきなのか先がなかなか見通せない。例えばいきなりデジタルの世界に乗り出さなくてはいけないというときに、社内論理だけで経営チームをつくって成功する確率はどうかというと、高くないかもしれない。社長やCEOも人間ですので、彼らの一存で後任を決めると、客観性としてはやはり低くなる。そこにリスクはないのかと問われたら、あるでしょう。社長が決めた人選が失敗して、非常に大きなリスクになったことは、過去に枚挙にいとまがないわけです。

逆に、社外取締役だけで決めてもリスクはある。ここを埋める方法は、お互いが常に緊密に議論をして、信頼関係があるという前提で、社外取締役の方により権限を持たせておいた方が安定するのではないか、と思っています。

――日本企業においても、外部からトップを招くというケースが増えてきました。

興味深いのは、東芝の若い社員たちと話していると、「外部から社長が来ても全然イヤじゃないです」っていうんですね。若い人はあっけらかんとしていますよ。ぼくが「社長はできるだけ社内で選びたいよね」と話を向けると、「どっちでもいいです」と。「うちの会社を輝くようにしてもらえる方が一番いいです」と言うんです。若い社員のみんなはシンプルに考えている。

古い世代にとっては社長が外から来ることに抵抗感があるかもしれないが、ジェネレーションによって考え方が変わってきている。つまり、その点ではグローバル化しているとも言えるんじゃないですか。そんな気がしますよ。私個人としては、できれば社内からトップが育った方がいいと思いますし、できるだけ、そういう人材を育てたいと思う。そういう人材が社内のどこかにいないかなと、日々探しています。

――東芝をどういう会社にしていきたいですか。

いま大きな社会変革が起きようとしている。変革の先頭に立ち、社会に貢献する会社になることが一番重要だと考えています。株主や従業員など、あらゆるステークホルダー(利害関係者)に貢献していく。東芝の場合は、従来はモノを売ることで喜んでいただいたが、これからはサービスもデジタルもやれるような会社になることをめざしていきます。ただ、私たちの強みは非常に高い技術と製品にあることは変わらない、そのように考えています。世の中から必要とされないと、会社ってどこかの時点で消えてしまいますからね。