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【鈴木喬】「社長がダメだと思ったら」……「独裁者」の私がブレーキ役に伝えたこと

令和の時代 日本の社長
エステー会長の鈴木喬氏

■コクゾウムシから「米唐番」を発案

――社長時代、エステーの代名詞となる「消臭力」「脱臭炭」といったヒット商品を次々と開発しました。

私は、社長というものは、「チーフ・イノベーター」だと思っているんですよ。新しいものを生み出す革新者。自分でやらないとダメです。多少とんちんかんな商品であっても、新しいマーケットって創造できるものです。

例えば、お米の虫よけ「米唐番」という商品をつくったんです。エステーはもともと、1948年に兄の誠一がつくったエステー化学工業(当時の社名)から出発し、防虫剤の製造や販売をしていた。「うちは防虫剤屋なんだから、この分野で商売を広げられないだろうか」となりましてね、「じゃあ、ちょっと待ってろ」と自分で考えました。

私が子どものころは、おふくろが買い出しに行きまして、「ハレの日」に備えて、ヤミ米を買って蓄えていた。ハレの日に、それ白米だ、銀シャリだって思って、お米を取り出したところ、その瞬間に出てくるのは、コクゾウムシの大群ですね。私がムシロの上にのっけて、はい出てきたコクゾウムシをピンセットでとるということをやっていた。「あの、にっくきコクゾウムシを退治するものは何かないだろうか」と考えたところ、「そうだ、お米の虫よけ『米唐番』ができるんじゃないか」と。ついでに、自分で歌もつくるわけです。「米がうまいよ、米唐番♪」とか。そんなことを毎日酒を飲みながらやっていました。2、3年すると、商品ができあがってくるんですよ。

エステーの看板商品「米唐番」=同社提供

――社長自らヒット商品をひねり出したうえ、一時は「独裁者」のように振る舞ったと回顧しています。

1998年に63歳で社長になったとき、会社がつぶれそうだったので、思いきって経営のかじを切りました。社長にはなったものの、何を言っても役員の会議で反対されるので、役員を大幅に減らし、860あった商品を280に減らし、5つあった工場を3工場に減らした。年間に60ほど出していた新製品は一つに絞り込んだ。「新商品を一つにするのはリスクが高い」と役員たちに反対されたが、そこで「消臭ポット」という商品を考えたんですね。売り出したら大ヒット。それからは誰も反対しなくなった。私が「白」といったら、みんなが「白です」というし、「黒」といえば、全員が「黒です」という。どうも変だな、と思った。やっぱり、ちょっとは反対してくれないと。不安になったんです。

――経営トップである社長といえども、不安になるものですか。

不安ですね。「社長といえども」と言われましたが、社長って、ものすごく不安なものなんですよ。こんなものやるもんじゃないと思っていました。あすをも知れぬような、薄氷を踏むような思いで、毎日を過ごしていましたね。優秀な経営者っていうのは、みんな小心者で臆病で、いつもビクビクしていますよ。大言壮語しているヤツは、たいていつぶれている。いまにも天下を取りそうなヤツは意外と危ない。むしろ小心翼々として「大丈夫かな」っていうヤツの方が大丈夫なんです。自信満々の顔をしているヤツは10年ぐらいすると消えているね。

■社長が安心して「暴走できる」仕組み

――社内の権力基盤が強くなったそのタイミングで、社外取締役を迎え入れましたね。

社内の抵抗勢力がいなくなって、経営はやりやすくなったのですが、そのうち怖くなったんです。私がやっていることが本当にいいことなのか、分からなくなってきました。

そこで、2004年6月に社外取締役を迎え入れた。社外の声を取り入れることで、「独裁者」の私にも一定の制約がかかる。うるさく言ってくれる人がいるから、安心して「暴走」することもできる。社長というものは、「権力の座」そのものですから。ノーチェックですからね。

「もう社長がダメだなと思ったら、いつでもリングにタオルを投げ入れてほしい」と、社外取締役の人たちには伝えていました。そういう意味で、社外取締役っていう制度は、社長だった私にとって、ものすごく機能していたんですね。

――一方、「社外取締役には、うちの社内の事業や人材が分かるはずがない」という批判も耳にします。

「社外取締役に何が分かるんだ」ってよく言われるけどね、正直なところ、何にも分かりません。本当のことを言うとね。むしろ、何にも分からないからこそ、いいんですよ。社内の人間たちが社内のことをちゃんと分かっているのであれば、社内で全部やればいいんですよ。でも、それが難しいこともある。

私はそそっかしいですから、ちょっと頭にきてね、経営会議でむちゃくちゃなことを言うこともあったんです。そうすると、社外取締役から「いったん頭冷やしてきたらどうか」って言われました。それで、私はざんげをするわけです、俺の責任だ、悪いことをしたなって。社外取締役は、社内のことを分からない立場で冷静に指摘してくれる。

それから、M&A(企業の合併・買収)、とくに海外のM&Aですね。あれ、走り出すと、止まらないんです。社長の立場で、社内の部署や担当役員にね、「ちょっと頼んだ」「まとめてくれや」なんて言ったら、そりゃ、みんな一生懸命やりますからね。何とかして、まとめようとするんですよ。だけど、割に合わない案件だったら途中でやめなくちゃいかんのですよ。ところがね、判断不能になるんですよ。

「親分がやれと言っているんだから」「親方日の丸の案件なんだから、それやってしまえ」って。そうすると、M&Aを仲介する会社にとっては、話をまとめればカネになりますから。ワッショイ、ワッショイって盛りあげていきますから、もう止まらないんです。そうすると、そこで社外取締役が出てきてくれて、「ちょっと待て、頭冷やせ」って言ってくれる。かなり牽制になるんですよ。

■日本企業には「エンジン」が必要

リーマン・ショック後、経営を再建するためエステーの社長に復帰した当時の鈴木喬氏=同社提供

――社外取締役が大事な「ブレーキ役」を果たすわけですね。

そう。社長というトップが暴走しだすと、会社が大きくても小さくても同じです、だれも止められないですな。社外取締役というブレーキも、ちゃんと仕込んでおく。しかし、日本のいまの問題は、暴走するようなトップが少ないことじゃないかな。

本当はね、社長がアクセルで、社外取締役がブレーキなんですよ。ところがですね、いまの日本企業はそもそもエンジンがなくて。それだと、そういう会社には、ブレーキなんていらないんじゃないかと思ってしまいます。まず、はじめにエンジンをつくった方がいいかもしれないですな。

――人口減少や高齢化、グローバル化の加速、デジタル革命など、日本経済をとりまく環境は激変しています。そうなると、社長に求められる資質も変わってくるのでしょうか。

私の職業人生と重ね合わせると、分かりやすいかもしれません。私がね、大学を出て、ちょうど世の中に出たころから、高度成長が始まるんですよ。それが約30年続くわけです。1990年ごろにバブル経済がはじけて、それから「下り坂経済」が始まるんですね。だから、私の職業人生は、上りと下りと半々なんですよ。

上りのときはですね、なんか力が出るんですよ。社員たちの。ボトムアップ型ですね。トップダウンじゃない。トップを突き上げるぐらいの勢いがあった。そういう時期というのは、社長とかトップなんていらんのですわ。非常に現場が強かったというのでしょうか。だれに聞いても、あのころの話はみんな同じですな。毎晩のように酒を飲んでは会社の将来を論じていた。上ってきたのが、90年ごろから急に下り坂になっていくわけですね。

つまり、社長の役割が、最初の30年と、その後の30年で違うんでしょうね。後ろの30年は退却戦ですな。最初の30年は、だれが社長になってもワッショイ、ワッショイっておみこしに乗っかっていればよかったね。おみこしに乗っかりやすいヤツがね、社長になればよかったんですよ。

後半の30年は、社長自ら「あっち行け、こっち行け」と、具体的に指図しなくてはならなくなったんですね。社長が自分でちゃんと「旗印」を掲げてね、「こっちだ」とか「あっちだ」とか言わなくてはならんのですね。世の中も複雑になってきたんです。

――そうなると、社長の役割がますます重要になってきますね。

日本に必要なのは、社長っていうよりも、「経営者」なんでしょうね。社長は任命されたら「社長」ですけど、経営者は一朝一夕にはできませんよね。例えば、孫さん(ソフトバンクグループの孫正義氏)とか、柳井さん(ファーストリテイリングの柳井正氏)とか、永守さん(日本電産の永守重信氏)、稲盛さん(京セラ創業者の稲盛和夫氏)っていうのは、経営者ですわな。社長と経営者って違うと思うんですよね。

――社長と経営者の違いをもっと詳しく教えてもらえますか。

経営者っていうのは、辞めても責任が追いかけてくるんです。逃げられないと覚悟している人が経営者ですね。その覚悟があるかないか。それが、経営者と社長を分けるものじゃないでしょうか。会社経営を何年やっても、社長の域を出ない人はたくさんいます。だったら、「鈴木喬、お前は社長なのか経営者なのか」と問われると、それはコメントしませんけどね。

孫さんとか柳井さんのような経営者を「さあ、100人つくろう」といってみても、ちょっとできませんわな。1人もできませんわな。勉強してできるもんじゃない。そういう経営者の後継者をつくるって言ったところで、後継者なんて「つくる」もんじゃないですよね。

エステーの看板商品「消臭力」=同社提供

――後継者、つまり「次の社長」をどうするか、というときに、外部から人材を持ってくる日本企業も少しずつ増えてきました。

非常にいいと思います。ただね、日本ではね、社外から社長候補を探すってことは、ものすごく難しいんです。私自身、いろいろなところに行って「だれかいい人いない?」って聞いて回っていますよ。ヘッドハンティング会社にも頼んでいる。ただ、あまりよくない人材を「粉飾」して売り込まれたら、かなわないですけどね。

一方、社内で育った社員からの社長というのは、非常に大きなメリットがあるんです。何よりもロイヤルティー(忠誠心)がある。だけど、残念ながら視野狭窄に陥っている。社内で成功した人たちは、みんなプライドを持っているわけですね。それが裏目に出るんですよ。

小泉純一郎氏(元首相)が言っていた「自民党をぶっ壊す」ではないですが、自分の会社を「ぶっ壊す」ようなヤツをもってこないと、いまの時代はなかなか難しいですね。外部から社長を持ってきた会社は、まさにその会社の伝統などを「ぶっ壊す」ことに挑んでいる。そういう会社はきっと、「内戦」をやっているんでしょうね。それぐらいのことをやらないと、日本企業は変わっていかないですよ。

――日本企業は変われますか?

ぼくはコロナが終わると、ビジネスの「戦国時代」が来ると思う。どういう風に変わるかは、まだよく分からないんですがね。確実に時代が変わるのであれば、それをチャンスにする。世の中から下克上を迫られるよりね、自分たちで社内革命をやった方がいいと思うんですね。

少なくとも日本企業は行動するべきでしょうね。このままでは、世界の三流国になってしまう。中国や韓国は、目の色を変えて勉強している。かつて、スティーブ・ジョブズが言いましたね。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ(ハングリーであれ、愚か者であれ)」。ぼくは「ステイ・フーリッシュ」が好きなんですね。いまの日本は、ちょっと小利口が過ぎるんではないか。もっと本質的なことを、掘り下げるべきじゃないかな。

エステーの鈴木喬会長は、執務室でもバランスボールに座る。いまのお気に入りのバランスボールは「クラゲ型」だ=東京都新宿区、迫和義撮影