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「地域を診る」とは?待つ医療から働きかける医療×健康増進へ

英国のお医者さん

今回は地域を診ることについてお話ししていきます。地域を診る、というのは、あまり馴染みのない言い回しかもしれませんので、少し説明させてください。

まず、みなさんが想像する一般的な医療の形、それはきっと以下のようなものではないかと思います。

調子が悪くなって医者にかかる、もしくは健康上の不安があるので健康診断を受ける。そして何かの病気が見つかればそれを治療する。

これが今までの医療のスタンダードな形です。

しかし実際は、医者にかかる必要のある人すべてが医者にかかったり健康診断を受けたりしているわけでも、第4回でお話しした通り病気の治療だけが長寿や健康にとって重要というわけでもありません。つまり、こうした医療提供の方法は、あくまでも一部の人を対象にした健康管理の一部でしかないということです。

では、一体どうすれば、すべての人の健康により良く貢献することができるのでしょうか。

第3回で触れましたが、こうした問題意識はすでに多くの国が持ってきたもので、近年では医療機関を訪れる人だけではなく、地域住民すべてを対象に、病気の治療だけではなく予防的介入も含めて、必要な人に提供していくアプローチ、いわゆる「地域を診る」ことの重要性が国際的に高まっています。これはプライマリ・ケアの特徴の一つでもあります(第8回参照)。

地域ヘルスデータの見える化

さて、第5回で少しお話ししましたが、医療には「良質な医療の供給は医療のニーズと反比例する」という性質があり、医療のニーズが低い人ほど良質なサービスを受けやすく、逆に医療のニーズが高く本当に医療を必要とする人ほど受けにくい傾向があります。医療機関に足を運ぶ人たちのみに対応するだけでは本当に必要な人に医療を届けることは難しい、という厳しい現実をこの法則は私たちに教えてくれています。

これに対応するためには、これまでのように患者が医療機関を訪れるのを受け身で待つのではなく、診察室の壁を越え地域全体の住民に働きかけていくことが必要になります。そのためには、「必要な人」を見つけることが欠かせません。

イギリスでは、こうしたアプローチを行う際に、地域のヘルスデータを見える化し、それを活用しています。まず、登録制(第13回参照)を用いて、かかりつけ医療機関が責任を持って担当する「地域」を定義し、電子カルテで登録住民の医療情報を「コード化」することによって、各地域におけるヘルスデータ、例えば、年齢、性別の分布や、基礎疾患の有無などを見えるようにします。これによって地域全体を診ることができるようになり、地域のどこかに隠れている医者にはかからないけれど実際はニーズがある人たちを見つけ、必要な対応を取ることができるようになるのです。

こうした対応の一つの例として、季節性インフルエンザの予防接種があります。イギリスでは毎年、インフルエンザの予防接種を必要とする、65歳以上の人や基礎疾患を持つ人などの高リスクの人たちをこのシステムを利用して探しだし、連絡を取り、接種のために来院してもらうか、それが難しい場合はその人たちの自宅や介護施設に出向いて予防接種を行うようにしています。

このように、ニーズに関係なく受診する・できる人たちを優先する平等なシステムではなく、受診しない・できない人たちも含めてニーズの高さをもとに優先する公平・公正(フェア)なシステムをイギリスは重視しています(図)。これは、第12回でお話ししたイギリスが大切にする価値観を反映したもので、平等と公平・公正(フェアネス)の違いについては第19回でお話しした通りです。

図 平等なシステムと公平・公正(フェア)なシステムの違い

こうした予防医療や健康増進を積極的に行い健康を地域全体に広めることも、プライマリ・ケアの担い手であるかかりつけ医療機関が果たす役割の一つです。

今回はこれを「予防接種」「がん検診」「健康診断」「慢性疾患管理」の4つに分けて簡単に解説していこうと思います。

1)予防接種

かかりつけ医療機関では、以下のように幅広いワクチンを提供しています。NHSで提供される他のサービス同様、対象者であればこちらも無料(公費負担)で受けることができます。

• 小児用ワクチン
 o 6種混合(ジフテリア・B型肝炎・破傷風・百日咳・ポリオ・Hib)
 o 髄膜炎菌B群
 o ロタウィルス
 o 肺炎球菌
 o Hib・髄膜炎菌C群混合
 o MMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹)
 o インフルエンザ
 o 4種混合(ジフテリア・破傷風・ 百日咳・ポリオ)
 o 3種混合(ジフテリア・破傷風・ポリオ)
 o HPV(ヒトパピローマウイルス)

• 妊婦用ワクチン
 o インフルエンザ
 o 百日咳

• 成人用ワクチン
 o インフルエンザ
 o 肺炎球菌
 o 帯状疱疹

これら国が費用をカバーする予防接種は対象となる人が限定されていますが、たとえ非対象者であっても自分でコストを負担することによって接種できるケースもあります。例えば、インフルエンザワクチンは非対象者でも薬局に行き、10ポンド(約1400円)ほど払えば接種できます。

海外への渡航者を対象とするトラベルワクチンも基本自費となりますが、コレラやA型肝炎などその内いくつかはNHSでカバーされます。

予防接種は医師ではなく訓練を受けた看護師、もしくは、医師や薬剤処方ができる資格を持つ看護師の指示のもと訓練を受けたヘルスケアアシスタントが対応します。

2)がん検診

イギリスでは「子宮頸がん検診」「乳がん検診」「大腸がん検診」の3つのがん検診を提供しています。予防接種同様、対象者はNHSサービスとして無料で受けることができます。

子宮頸がん検診は、かかりつけ医療機関にて専門のトレーニングを受けた看護師または医師によって施行されます。

乳がん検診は病院などそれ専門の機関を患者が受診する形で、大腸がん検診は自宅から検便サンプルを専門施設に送る形で提供されています。

イングランド公衆衛生庁(Public Health England)の統計によると、2019年度におけるがん検診の受診率は、子宮頸がんで72%、乳がん検診で70%、大腸がん検診で66%となっています。

3)一般集団を対象とした健康診断

かかりつけ医療機関は、生活習慣の改善を通した健康増進にも力を入れています。持病を持たない40歳から74歳までの一般住民を対象に「NHS Health Check」と呼ばれる健康診断を5年おきに実施し、その中で喫煙、飲酒、体重(BMI)、血圧、コレステトロール値などをチェックし、個々の状況に応じた生活習慣の助言や必要な処方などを提供しています。

この健康診断は若干地味に映るかもしれませんが、健康診断も他の医療サービス同様、安易にやりすぎると、逆に偽陽性や体への負担、不安など医療の負の側面が強くなってしまうので、やりすぎないように気をつけています。とりわけ重大な病気が隠れているリスクがとても小さい一般集団を対象にする健康診断のメリットは世間で考えられている以上に限定的な上、そのデメリットがより一層増えるため、特に注意が必要です。

喫煙、飲酒、肥満に関するOECDの統計を見ると、イギリスにおける喫煙者の割合は17.2%(OECD平均18%、日本17.7%)、国民一人あたりの年間アルコール消費量は9.7L(OECD平均8.9L、日本7.2L)、肥満者(BMI25以上)の割合は64.3%(OECD平均55.6%、日本25.9%)となっています。特に問題視されている肥満者の多さは、イギリス社会が抱えるチャレンジングな課題の一つです。

特に現在の新型コロナウイルス蔓延下では、肥満はそれ自体が新型コロナによる重症度のリスクを顕著に上昇させるだけでなく、同時に心疾患や糖尿病など同じく新型コロナ感染の予後を悪化させる基礎疾患を持っている場合も多くなります。これはイギリスでの新型コロナ患者死亡数の多さに関係があるように思います。

しかしこれら問題は社会文化的要因が大きく、医療的介入には限界があるのも実際です。これに対し、タバコの価格を上げる、レストランやパブ、オフィスなど公共スペースでの屋内の喫煙を禁止する、アルコールを買う人が25歳以下に見える場合はIDの提示を求める、砂糖に対する追加課税など、医療以外の分野からの多面的なアプローチの重要性が高まり、実施されています。

また一方で、イギリスの食事は日本のものと比べてバランスが偏ったかつ高カロリーなものが多く、まだ多くの人が健康的な食生活というのは、美味しくない、高い、作るのが難しいといったマイナスのイメージがあるようです。ですが最近はJamie Oliverなどの有名なシェフやBBCなどが健康的で美味しい食事を家で安く簡単に作る方法をテレビや本などを通して国民に提供する、日本で言う「食育」のようなことを積極的に行うようになり、私がイギリスに渡った今から20年以上前に比べて信じられないほど多様な食材がお店に並ぶようにはなりました。

4)持病の悪化を防ぐ慢性疾患管理

持病の悪化をできるだけ防げるように、慢性疾患のマネジメントにも力を入れています。具体的には高血圧、心血管疾患、糖尿病などの持病を持つ人を対象にそれら疾患の悪化や合併症のリスクを下げるための介入です。

第17回でもお話しましたが、イギリスでは医師以外の職種もタスクシフティングによって医療を提供していて、慢性疾患外来はそれ専門のトレーニングを受けた看護師が主導で行っています。疾患ごとに「かかりつけの看護師」が担当し、患者一人あたり20-30分程度の時間を確保した上で、検査、診断、治療(薬の処方・用量調整)、ライフスタイルに関するアドバイス、セルフケア教育などをガイドラインに基づき行います。

例えば、過去に脳梗塞にかかった患者に対しては、再発予防や肺炎などの合併症リスクを下げるために、血圧管理、血をさらさらにする薬やスタチンの処方、インフルエンザワクチンの接種、生活習慣の改善策などを提供しています。

患者が健康になるほど医療機関にお金が入る成果払いの診療報酬

こうした予防的な介入をさらにやりやすくするため、医療提供者側に金銭的な動機づけを与える仕組みにもなっています。これは「Quality and Outcomes Framework(QOF)」、俗にクオフと言われる「成果払いの診療報酬」です。これは、登録住民のヘルスデータが改善すると、それがかかりつけ医療機関の実績として評価される仕組みで、いわば地域が健康になればなるほど医療機関が得をする診療報酬制度です。

例えば、私の診療所に登録している約1万1500人の住民のうち、約2100人が高血圧を持っていて、そのうち70%の人の血圧管理が上手く行われているのならば、その分の取り組みが評価され、診療所が報酬を受け取れるという仕組みです。

また、たとえ数値上の改善が見られなくても、適切な検査や助言、治療を提供しているかも評価されるようになっています。例えば先程例としてあげた過去に脳梗塞にかかった患者に対するケアのような、かかりつけ医療機関が行う慢性疾患管理の多くは、この成果払制度によって報酬が入ってきます。

QOFの成績は年に1回集計され、インターネット上で公開されるので、誰でもその情報にアクセスし、各かかりつけ医療機関の成績をチェックしたり、地域や全国の平均と比較することができます。

また、こうした情報が存在することで、地域別や国全体での各疾患の有病率が見えるようになり(例えば高血圧は14%、糖尿病は7%など)、限られた資源をより効率的に配分することができ、医療政策の面でも重要なデータとなります。

出来高払い制度も存在するが対象サービスは限定的

また、予防医療を促進するためのもう一つの動機づけとして出来高払い制度も存在します。具体的には、上記で挙げた小児用ワクチンやハイリスク集団へのインフルエンザなどのサービスがこの診療報酬の対象となり、こうしたサービスを提供すればするほど医療機関にお金が入ってくる仕組みです

 

例えば、私の診療所には、この冬インフルエンザワクチンの接種対象となる人が約5700人いますが、基本、この対象者に打てば打つほど私たち医療機関には報酬が入ってきます。ちなみに、今冬は新型コロナの対応で手一杯の病院への入院患者数を少しでも減せるようにインフルエンザ予防の対象を50歳以上に広げたため、対象者が前年度より約1700人ほど多くなっています。

ただ、すべての医療行為を出来高払いの対象にすると過剰医療のリスク(第4回参照)が高まったり、第7回でお話しした「サービス提供者側が作り出すニーズ」も増えてくる恐れがあるので、対象範囲を限定したものにしています。

今回はこれで以上になります。

次回はイギリスで始まった新型コロナワクチン接種についてお話しします。