1. HOME
  2. LifeStyle
  3. 良い医療ってなに? イギリスの医療、イギリスの考え方

良い医療ってなに? イギリスの医療、イギリスの考え方

英国のお医者さん 更新日: 公開日:

私がまだ研修医だった頃、アメリカの医療制度の勉強のためにワシントンDCを訪れたことがあります。アメリカに行くのは生まれて初めてでした。左ハンドルのタクシーに乗りこみ、空港からホテルへと道路の右側を走る中、異国に来たんだと実感しました(イギリスは日本同様、右ハンドル・左側通行)。興奮が冷めやまぬうちに思い切って運転手さんにアメリカの医療についてどう思うか聞いてみました。

「ここの医療は高いぞ。毎月の保険料を払うだけでも高いけど、俺の保険だと風邪とか腰が痛いとかで医者にかかるとその度にお金がかかる。だから、そんなことじゃ受診しない。ドラッグストアが俺のベストフレンドだ。でも、救急センターとか、なにか大きなことで入院したら、保険が効いてお金はかからないから、そういった時かな、医者にかかろうって思えるのは。この国で医療を受けたいなら、ハードに働かないといけないんだ」

それについてどう思うか聞いてみました。すると彼はこう言いました。

”It's fine. It's justice. It's America, man!”

「これで良いんじゃないか。正義だよ。これがアメリカさ!」

それを聞いて私は「なるほど!」と驚き、そして納得しました。アメリカの医療にはアメリカの考え方がある、とハッとさせられる経験でした。

同時に私は、イギリスからすると、彼が言うこうした医療はおそらく「不公平(injustice)だ!」と映るだろうなとも思いました。イギリスでは医療はあくまでも人々のニーズに応じて提供されるもので、どれだけお金があるかとは無関係という考えがあるからです。

こうした会話から見えてくるのは、医療に対し、何が良くて、何が望ましくないかというのは国によって様々で、その国の考え方がその国の医療のあり方に大きな影響をおよぼしているということです。

したがって、1つの国の医療について話をするなら、まずはその国の考え方を知る必要があります。今回は、イギリスの考え方を紹介していきます。

イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つに分かれていて、保健医療制度もそれぞれ別々に運営されています。このコラムでは特に言及しない限りは基本的にイングランドの紹介としていきます。

イギリスの公的保健医療制度は、前回でもお伝えしたように「National Health Service(通称NHS)」と呼ばれます。日本のような保険ではなく、主に税でまかなわれるという違いはあるものの、「みんなで支え合う」というスタンスは日本と同じです。

なぜ保険ではないのか。それにはNHSを誕生に導いた当時の保健大臣アナイリン・ベヴァンの以下の有名な言葉が参考になります。

「経済的な理由によって病人に必要な医療が与えられないなら、どの国も己を真の文明国とは呼べない」

「病いは、それぞれが償わなければならない耽溺でも、罰を科せられるべき罪でもなく、そのコストが地域社会によって分担されるべき不運である」

第2次世界大戦後に彼が掲げたこの理念は、NHSが発足した1948年から今に至るまでNHSの中核となる価値観であり続けています。

保険方式にするとどうしてもシステムから漏れる人が出てくる、医療は人権であり、すべからくすべての人に与えられるべき、という価値観を反映するには税方式が一番良いという考えがあり、創設当初からイギリスの制度は主に税財源で支える形になっています。

イギリスの考え方をさらによく知るために重要になるのは第2回でも述べたように、「国として本当に大切にしたいものはなにか」という1つの問いかけです。

イギリスには「NHS Constitution」と呼ばれる規定があります。その中ではNHSの価値観や基本理念が示され、それらがイギリスの医療のカタチを決める上での羅針盤になっています。

内容は多岐にわたりますが、これを参考に少しわかりやすく言葉を変えて、解説していきます。

• 包括的なサービスをすべての人に(インクルーシブネス)
- 年齢、性別、人種、宗教などサービス利用者の背景に関係なく誰でも利用できる。
- 医療だけではなく、予防やメンタルヘルス、妊娠・出産、リハビリなど幅広い保健医療サービスを提供する。
- ニーズが高い集団を特に手厚くケアし、健康格差の是正に務める。

• ニーズを基盤とする
- フェア(公平・公正)な保健医療を提供する。
- サービス利用者の経済力ではなくニーズに応じてサービスを提供する。
- 原則、自己負担ゼロ(全額公費負担)。

• サービス利用者のニーズや価値観を中心とする
- 利用者のニーズや価値観を反映する形でサービス内容を調整し、提供する。
- 利用者が自分の健康を促進し、管理できるよう支援する。

• 質とプロフェッショナリズムを追求する
- 科学的根拠に基づき、サービスの「効果性」と「安全性」を追求する。
- サービス利用者の満足度だけではなく「体験(Patient Experience・PX)」を評価し、サービス改善に活用する。
- サービス利用者とスタッフの両方を大切にする。

• サービスの価値を高める
- 公的資源の最も価値の高い活用を追求する。
- サービス利用者の利益を最優先に、限られたリソースの最も効果的でフェアで持続可能な活用に務める。

ここで1つ追加しておきたいのは、この保健医療制度を実現し、支えるために、従事者や政策者などの専門職だけではなく、患者や地域住民などの参加が不可欠であり、一緒に出来ることをしていくという内容も含まれているということです。例えば、患者は自分の健康維持・促進に責任を持つ、サービス提供者側に敬意を持って接するなど患者側の責任も示されており、国の医療は国民みんなで作り上げていくんだという姿勢を大事にしています。

こうした価値観があることによって、イギリスの医療の評価は人や国によって様々でしょう。これらと異なる価値観を大切にしたい人や国にとってはイギリスの制度は良くないと映るかもしれません。

けれども、これがイギリスの患者、専門職、一般市民が議論を重ね、作り上げた、イギリスが考える良い医療のカタチです。

それでは今後はイギリスの医療の具体的なお話をしていきます。