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情報汚染の時代を生き抜く 日本の医療の明日につながるクリティカルシンキング 

英国のお医者さん

最終回の今回は、日本の医療がこれから持続的に発展していけるようにという視点から、今までとは少し違った話をします。

日本の医療が発展していくには、なによりも「日本の医療を知る」ことが必要です。しかし、実際のところ、自分を客観的に知るのが簡単ではないように、日本の人が自分たちだけで日本の医療を知ることも簡単ではありません。

これに対し、「外を見て内を知る」という言葉にあるように、日本の外からも日本を見ることが効果的だと私は考えています。自分たちを相対的に見る視点が得られるからです。海外に行ったことで、日本にいるだけでは分からなかった日本の側面に初めて気づいた、という話はよく聞きますよね。

しかし、その一方で、情報過多が進む現代では、正しい情報と不確かな情報が大量に混ざり合う「情報汚染」が広がっていて、こうした「日本の外を知る」ということがさらに難しくなっています。加えてそれをそのまま受け入れ、不確かな情報をそうだと気づかずに発信するという悪循環も起きています。ネットやSNS上ではこうした情報が指数関数的に増加し、知らず知らずのうちに私たちの目や耳に入ってくる情報が歪み、世間の意見が偏るなどの現実社会への望ましくない影響も出ています。

■誤って伝えられるイギリスの情報

例えば、イギリスの医療に関する様々な情報も、第11回でふれた通り、間違ったものや偏ったものが驚くほど多いのが現状です。

NHSを「国営」と表現し、もはや通説となってメディアで紹介されるのはその代表的な例と言えます。

以前お伝えしたように、NHSは、公と民の医療機関がパブリックな枠組みの中でサービスを提供する「公・民ミックスの公的保健医療制度」です。

ですので、NHS病院の中には、民間病院もあります。また、公的病院であっても現在では、国から地域へと意思決定を委ねるべくその過半数は「半官半民」のような形で、複数の病院運営を統括する組織が各地域における病院ネットワークを独自に運営しています(第19回)。ですから、「公的」と言っても「国営」ではありません。加えて、診療所は基本、私のような開業医が運営する「民間」の医療機関ですし、これらが病院よりも多く存在します。

ですが、こういった情報は皆無です。イギリスの医療に関する最も基本的な情報さえも日本には正しく伝わっていないのです。

「イギリス 医療」でグーグル検索しようとすると、サジェストキーワードに「国営」が提示される

■情報汚染が日本の思考を止めている

最近では、コロナ禍において、コロナ病床を大きく増やすことができたイギリスに対し、「イギリスの病院は人員の異動など国が強制的にコントロールできる」という情報もメディアで通説として出回っている感があります。

しかし、これも誤解です。

国は地域の医療機関に助言や手引きを提供しますが、地域の医療政策はあくまでも地域主導であって国主導ではありません。この有事においても、NHS Englandによると医療従事者の異動は「地域主導」で決定され、また、NHS Employersは、その最終決定は基本、医療従事者の「任意」によるとしています。

では、なぜイギリスはコロナ病床を比較的多く増やすことができたのか。私の見解を5点、以下に簡単に述べます。

まず一つ目は、「国のリーダーシップ」。以前話した通り、国はパンデミック早期に有事への医療提供体制へと大転換を図るべくビジョンを明確にしました(第20回)。そして、そのために必要な政策的な助言やガイダンスを医療機関に提供しました。これによって医療機関は一つの方向を向いて進むことができました。

2つ目は、「医療機関の集約化」。イギリスの病院数は日本と比べて少ないですが、その分規模が大きく、病床やマンパワーが確保しやすくなっています。また、複数の病院が一つの組織下にあるため各地域の病院間で役割分担しやすい、ということもあります。

3つ目は、「お金」。医療機関がコロナ対応に転換することで損をしないように、通常通りの収入や追加の必要経費の負担を国が保証しました。「新型コロナウイルス感染拡大に対応するために、NHSが必要なものは何でも、いくらでも用意する!」とは2020年3月の国会でのリシ・スナック財務相の言葉です。OECDの統計を見ると、イギリスは加盟国の中でも突出して医療に資金をつぎ込んだ国となっています。

4つ目は、「診療所と病院間での役割分担」。イギリスではかかりつけ医療機関としての責任を持った診療所が、まず地域住民の健康問題に対応・トリアージし、必要に応じて診療科別に特化したサービスを提供する病院へと引き継いでいく、というのが基本的な形となります(第13回)。診療所は自宅療養が必要な軽度のコロナ患者(ハイリスク患者にはパルスオキシメーターで管理)に対応し、病院での早期退院を目指し、回復した患者の受け入れもします。ですから、病院は自分たちがやるべきことに集中しやすい環境となっています。

そして5つ目に、「法改正」。緊急時の医療提供体制へと転換するために法を改正し、退職したスタッフの復職や医学生・看護学生の動員、通常の業務を超える医療行為の容認など規制を大幅に緩和し、なりふり構わずマンパワーをかき集めました。医師数は3万人近く増え、15%の医師は専門外の業務を担当したとの報告が出ています。

「日本の病院は民間中心だから病床を増やすのが難しい」との声を聞きますが、実はオランダの病院も民間中心で、それでも集中治療室の病床数を通常時の1150からピーク時には2400までと2倍以上に増やすことができたと報じられています。これは、民間病院でもコロナ病床を大幅に増やすことができることを示唆するものです。

ですから、コロナ病床を増やす上での決定的な要因が病院の運営主体とは必ずしも言えないと考えています。

本来なら上記で挙げたように、様々な要因があるはずで、多角的に議論すべきです。けれども、「NHSは国営」「病院は国が強制的にコントロールできる」という判断を一旦してしまうと、民か公かの二元論に陥ってしまい、結果として、それに当てはまらない情報は排除され、それ以上考えることが簡単ではなくなってしまいます。

こうなってしまっては国民的議論が難しくなります。日本の外の情報を汚染するインフォデミックが日本の人たちの思考を止めているのです。

こうした状況を私は危惧しています。

■時代を生き抜くための「クリティカル・シンキング」

私がこの連載を通して発信することでこうした情報汚染を少しでも改善できればと願っているのですが、今回私がお伝えしたいのは少し違ったことです。

老子の有名な教えの一つとされる「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」というのがあります。

私が今までやってきたことは、クリーンな情報を皆さんにお伝えする、いわば魚を読者の方々にお渡ししてきました。ですが、今回は、魚の釣り方、要するに「クリーンな情報の入手方法」について、私なりの考えをお伝えしたいと思います。

さて、では、そもそも論として、なぜイギリス医療に関する情報はこんなに不確かなものが多いのでしょうか。

これは同じく第11回で述べたように、医療制度というものの複雑さや勘違い、さまざまなバイアスなど誰もが陥る海外の医療情報の罠が理由に挙げられます。英語の情報は日本には入りにくいですし、入ったとしても表面的な解釈で中身が正しく訳されにくい、そしてそうした日本語の情報も外からは正されにくいという言語の壁もあると思います。

そして、こうして一度出来上がった思考の道筋を捨てて、新たな情報を取り入れることは簡単ではなく、このフレームワークから抜け出せなくなります。特にそうした考えが多数派になってしまった場合に発生する「同調圧力」も一種のフレームワークで、正しい情報も少数派になるとなかなか発信しづらくなります。

こうしたイギリス医療や医療制度に関する情報汚染に対し、私たちは今後どのようにクリーンな情報を手に入れていくことができるのか。

以下に、私の考える5つの基本となるポイントを紹介します。

(1)私ではなく公を重視する

まず、国の医療は、「公」の視点で見ないと正しく認識・評価するのが難しくなります。

けれども、日本で紹介されているイギリスの医療に関する情報の多くは、日本人の私的な知識や経験、価値観などに基づくもので、イギリスという国の視点からの情報ではありません。

また、同じく、日本の医療を論じる上でも、「公」の視点が欠けていることが多いと感じます。日本の医療が発展するためには、まず日本で何が問題なのかを同定しないといけませんが、その判断基準が私であって公ではない。だから、日本が国として何が問題なのか判断が難しい。これが私が考える日本の医療の最大の問題点です。

日本人は私的な知や徳を重視しすぎると福沢諭吉は言っています。日本人の特性として、集団を大切にするというのがありますが、それはあくまでも自分が所属するグループや組織であって、それらは社会の一部(セクション)であり、真に公的(パブリック)なものではありません。自分が所属するネットワーク内での自分のポジションや他者との関係性に重きを置くセクショナリズムの思考を重視しすぎるとパブリックな話を展開するのが困難になるのです。

(2)一部ではなく全体を見る

国の医療は全体的な視点で捉えるべきで、「木を見て森を見ず」という言葉にあるように、一部の視点のみではその姿を正しく把握することはできません。

情報の中でも目立つ情報の方がより広まりやすいですし、メディアもこうした情報を発信しがちです。日本に伝わっているイギリス医療の情報の多くはこのような一部の目立つ事例が過度に一般化されたもので、全体を正しく表しているものではありません。

物事の「原則」を見極め、それに基づき全体像を組み立て、事例はそれら原則を一つ一つ具体的に説明する時に用いた方がいいと思います。

加えて、全体像をより良く把握するには、物事の表側だけではなく裏側も把握する必要があります。例えば、イギリスの医療はイギリスが国として優先したい価値観を軸にデザインされていて、それら価値観が長所にもなれば短所にもなるということは以前話しました(第31回)。

また、その中でバランスを正しく示すことも重要です。白か黒かではなく、そのグラデーションはどれくらいかという確率論で考えることが必要で、中立性、客観性を保とうとした両論併記もこれを怠ると本末転倒です。つまり、AとBのふたつを一対一の並列で書くと、ウエイトの大きいものが過剰に、ウエイトの小さいものが過小に表現されてしまいます。それに、ネガティブな情報の方がポジティブな情報よりも頭の残りやすい特性があります。

(3)イメージではなくファクトをベースにする

イメージではなくファクト(事実)に基づくことも重要なポイントです。

例えば、イギリスの医療は受診時にお金を払わなくてよいため、「無料、だから質が低い」とのロジックにしばしば遭遇します。

しかしこれも誤解で、実際には莫大な公費がかかっています。例えば救急車を呼んで救急外来に行けば平均約250ポンド(約4万円)、冠動脈バイパス手術は平均約1万ポンド(約150万円)します。

それに医療の質は必ずしもそのコストと比例するわけではなく、高価な先進医療よりも優れたより安価な最善医療(ベストプラクティス)はたくさんあります。高いステーキがより美味しく感じてしまうことと似ていて、イメージが先行してしまっている例です。

このように、情報自体が持つイメージでなんとなく、自分がしっくりくるもっともらしい理解や判断に飛びついた情報ではないかどうか、一つ一つの情報を吟味することが正しい理解につながります。

また、情報自体が持つイメージだけではなく、情報をとりまくイメージによってその情報の正誤性を判断していないかどうかを考えることも重要です。

例えば、情報発信者の人柄、見かけ、喋り方、知名度や所属機関などによって得られた情報発信者のイメージ、そしていわゆる常識や通説に従うというようにその情報が多くの人に受け入れられているかどうかの社会的な側面などによって自分の情報の評価が左右されてはいないでしょうか。どれだけ論理的に思考を組み立てていっても、そのベースとなるもとの情報が真実でないなら幻想になってしまいます。

こうならないためにも、情報そのものを他の付随するものと切り離し、独立して処理することが必要です。

(4)自分の影響を自覚する

情報を扱う私たちが人間である限り、誰も真に中立な立場にいるとは言えません。そのため、感情や信念といった個人の主観が、私たちの情報のインプットやアウトプットに影響します。

情報の重要さに関係なく、自分の考えと同調する情報は受け入れやすく発信しやすい、でも自分の考えと異なる情報は受け入れにくく、発信しにくい。これは誰にも起こりうることですし、別に悪いことでもありません。

もちろんこういう私も中立ではありません。私のようにイギリスでGPとしての仕事に価値を見出している者は、それについてポジティブに捉えすぎるバイアスがありますし、そうした情報を受け入れ、発信しやすい傾向にあります。

ですから、この連載において私が最も大切にしている価値観を予めみなさんにお伝えした上で、できるだけ中立な視点から情報を発信できるようにと「私論より公論」「一部より全体」「イメージより事実」という3つの軸に沿って情報を提供してきました。加えて、私がみなさんにお伝えしてきたプライマリ・ケアの強化の重要性という点は、ここ20年ほどの間に蓄積されてきた「科学的根拠」をベースにしてきました。

情報を扱う上で、こうした影響を自覚し、対策を考えることが必要になります。

(5)学者としての姿勢を持つ

最後に、学者としての姿勢を持つことです。

これは私がイギリスで医学生の時に指導医の先生からもらった教えです。

私が初めて病院実習に行った時の話です。指導医の先生に循環器の急性期病棟に連れて行かれた8人一組の私たち実習班は、そこである患者さんの心臓の音を聴診するように言われました。聴診後、指導医の先生が心臓の音が聞こえたか聞こえなかったかを確認し、聞こえたという人もいれば、聞こえなかったと答える人もいました。するとその先生は、「実はこの患者さんの心臓は右側にある」と(通常は左側にあります)。

「私は聞こえなかったはずだと言いたいわけではない。君が聞こえたのならそうだと思うし、聞こえなかったのならそうだとも思う。私が言いたいのは、これから医師となる上で、自分の見た事、聞こえた事、考えたことはその通りに伝えなさい、ということ。周りからどんなプレッシャーがあっても、あなたは医者である前に学者であり、学者には自分の経験や考えを正直に伝える責任があるのだから」と。

常識や世論と違うことを言うことは簡単ではありません。しかし、特に重要なことに関しては、勇気を持って必要なことは発言するという姿勢が、議論の多様性を保ち、議論の発展の可能性を高めてくれます。

以上になります。

クリティカルに見る目と姿勢を持つこと。これが私たちの医療の明日につながっていると私は考えています。

※連載「英国のお医者さん」はこれで終わります。