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イギリスの病院受診3ヶ月待ちは本当か

英国のお医者さん 更新日: 公開日:

皆さんはイギリスの保健医療制度(National Health Service、以下NHS)における病院での医療に関して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。日本では次のような噂がよく聞かれます。

 - 受診3ヶ月待ち
 - 検査3ヶ月待ち
 - 救急外来(Accident & Emergency、A&E)4時間待ち

とにかくイギリスの医療はアクセスが悪い!というのが定説ですが、実際はどうなっているのでしょう。これには関心を持っている人も多いと思います。かかりつけ医(GP)へのアクセスについては第15回で説明しました。今回は病院へのアクセスについてのお話です。

まず、日本とは異なるイギリスの医療提供体制の基本的な形をおさらいします。

日本では、利用者が自分のニーズを自分で判断した上で、そのニーズに合うであろう診療科・医療機関を自ら選択する自己紹介制(self referral)が一般的ですが、イギリスは、まずは地域のかかりつけ医療機関を受診して、必要に応じて病院など領域別に特化したサービスへとつなげられる、という異なる形を取っています。なぜなのかについては第13回で説明しました。

イギリスの価値観 − 平等とフェアネス(公平・公正)の違い

病院へのアクセスについてお話しする前に、ここで、これに関するイギリスの価値観についてお話しします。

これは第12回で紹介しましたが、その中で今回特に重要になってくるのが「ニーズを基盤とする」「フェア(公平・公正)な保健医療を提供する」という点です。なぜ、重要なのか。それは、これが資源をどのように分配するかを決めるからです。

資源の分配方法は以下のイラストのように2つあります。

出典:Interaction Institute for Social Change | Artist: Angus Maguire

1つは、左側のようにニーズに関係なく同等なものを分配する「平等」なやり方(Equality)。もう1つは、右側のようにニーズに応じて分配する「フェア(公平・公正)」なやり方です(Equity)。

それぞれに長所と短所があります。

平等なやり方の長所は、相対的に、資源がニーズの低い人に手厚く分配され、逆に短所はニーズの高い人に手薄く分配される点。

一方、フェアな(公平・公正)なやり方の長所は、相対的に、ニーズの高い人に手厚く分配され、逆に短所はニーズの低い人に手薄く分配される点。

ここまでは簡単ですが、これを医療という特異な分野に置き換えてみると少し複雑になります。

まず、医療では、ニーズの低い人は多数派で、ニーズの高い人は少数派です。

そして、ニーズの低い人は比較的健康で社会的立場も高く、社会の中で声が大きい一方、ニーズの高い人は比較的病気持ちで社会的立場も低く、声が小さい。

ですので、自ずと聞こえてくるのは、ニーズの低い人たちの声です。そして、その声は自分たちに資源が手厚く分配される平等な医療を求める傾向にあります。

加えて、利用者が求める医療と必要とする医療は必ずしも同じではありませんし、第4回でも説明した通り、ニーズを上回る過剰な医療にも弊害はあり、単純に「手厚い医療=良い医療」とはなりません。

しかも、資源が限られる中、平等な医療では本当に医療を必要とするニーズの高い人に必要なだけの資源を提供するのが難しくなります。第5回では、医療の市場化が利用者間での格差を助長し、低ニーズ層に対する過剰医療と高ニーズ層に対する過小医療の二極化を生んでいるという話をしましたが、平等な医療はこれをさらに助長させるものです。

ですから、イギリスは平等な医療ではなく、フェア(公平・公正)な医療を重視しています。なぜなら、あくまでもニーズを基盤とし、必要とする人に医療を過不足なく提供することを重視しているからです。

もちろん、こうした医療にも短所はあります。上記の通り、ニーズの低い人たちには資源が手薄く配分され、それは病院へのアクセスにも反映されます。

こうした医療提供体制は、平等な医療に慣れた、ニーズの低い人にとってはしばしば期待を下回る医療となってしまいます。

NHSが抱える問題 − 不安定な財源

こうした価値観の違いから生まれる問題だけではなく、NHSが抱える大きな問題としてその財源の不安定さがあります。

以前にもお伝えした通り、NHSは税方式によって運営されます。そして、良くも悪くも政治との距離が近く、政権によってその財源確保が強く影響を受けます。

NHSへの財源を増やすことは基本、増税を意味し、政治家にとってこれは大変デリケートなトピックで、国民感情もなかなか簡単には許しません。深刻な状況まで追い込まれ、メディアを騒がし、現場スタッフ、アカデミアなどが予算の増加を求める声を一同に挙げ、国民の間にも増税への理解が浸透し始めて、満を辞して政治家がNHSへ予算を投資する!との声を出す。こういったサイクルを繰り返すため、システムが安定して機能するための安定した財源確保が難しいのが現状です。

2012年に始まった保守党政権下による緊縮財政によって、今NHSは上記サイクルの一番厳しいポイントにいます。深刻なリソース不足の中、病院へのアクセスに関して、ニーズの高い人たちを優先する必要があるため、おのずとニーズの低い人たちがより影響を受けています。

NHS病院は国立ではない

次は、病院についての基本的な説明です。

第11回では、イギリス医療に関するよくある誤解の一つとして、NHSは国営であるという点を挙げました。そうした誤解のせいか、NHSの病院を国立と日本語に訳されているのをよく見かけますが、実はこれも正しくありません。なぜ正しくないのか。理由は2つあります。

1つは、以前お話ししたように、NHSはイギリスの公的医療制度で、その公的な枠組みの中でパブリック(公)とプライベート(民)の両方がサービスを提供する「ハイブリッド」な仕組みであるという点。ですから、NHS病院とひとくくりに言っても、実はその中に公的病院もあれば民間病院もあります。

もう1つは、これまでの制度改革により、公的病院には大きな裁量が与えられ、現在では「半官半民」のような存在になっているという点。複数の病院運営を統括する組織が全国に150ほどありますが、それら組織が各地域における病院ネットワークを独自に運営しています。ですから、パブリックと言っても、ナショナル(国立)ではありません。

競争ではなく共生する医療機関

私が働いている地域は約37万人の人口で、37の診療所と一つの組織が運営する3つの病院があります。そのうち1つが大きな急性期病院、残りの2つが主に短期入院での手術や専門外来、診断検査などに特化した小さな病院です。一昔前はそれぞれ中規模の急性期病院でしたが、1つはアップサイジング、2つはダウンサイジングというように機能分化しました。

イギリスでは、医療機関が競争し合うのではなく、お互いを支え合う存在として共生する方向に向かっています。市場原理の考え方が今や市場だけではなく社会にまで浸透してきている現代では、多くの人は医療でもこうした原理が働き、それこそが質を上げ、コストを下げる力になると当たり前のように考えていますが、サービス提供者と利用者間での情報の非対称性がある医療市場という特別な環境では、この競争原理が上手く機能しないばかりか、逆にそれが質を下げ、コストを上げる原因となる恐れがあるということを私たちは学んできました。

例えば、検査機器に関して、イギリスでは、地域医療の現場で必要とされる頻度に応じて、医療機関単位ではなく地域単位で必要な機器を備え、効率的かつ適切な資源の活用を目指しています。

血液検査、培養、心電図など必要とされる頻度の高い検査は診療所に配置する一方、レントゲン、エコー、CT・MRIなど診療所(低リスクの環境)で必要とされる頻度の低い検査は病院に配置しています。すべて診療所の電子カルテ上で直接オーダーし、検査結果も閲覧できます。例えば、足を挫いた患者がGPを受診し、骨折を除外したい場合、GPがすぐに最寄りの病院で必要なレントゲン検査を手配することができます。検査のために病院外来を受診する必要はありません。

医療機関に重装備を揃えることはサービス利用者だけではなく、多くの医師や医療政策者にとっても魅力的に映るかもしれませんが、実際の医療ニーズを上回る供給である場合は、安易な検査による過剰医療(第4回)や、検査器具の稼働率を必要以上に挙げてコストを回収するなど医療提供者側が作り出すニーズ(第7回)にもつながる恐れがあるため、イギリスではこのような体制を取っています。

こうした検査へのアクセスも、ニーズに応じて決定していて、緊急度や重大性が高ければ早くできるようになっています。

NHSの統計によると、2018年度におけるCT、MRI、胎児超音波以外の超音波(エコー)、内視鏡などの検査(血液検査、培養、心電図、X線などの検査は除く)の待ち時間の中央値は2.1週間(過去10年平均2.0週間)でした。

病院へのアクセス

それでは、病院へのアクセスについて説明していきます。

まず、かかりつけ医療機関とその後方支援を行う機関が連携していく上で重要なのが、お互いの業務の範囲を明確にすることです。これ無しでは、誰が、何を、どこまで診るべきなのか、標準化できず、連携がスムーズに行えません。イギリスでは、国のガイドラインによってその方向性が示され、参考にされています。

病院へのアクセス方法には「直接受診」と「間接受診」の2つがあります。

(1)直接受診

直接受診とは、かかりつけ医療機関を通さず、ダイレクトに病院を受診する場合です。以下で具体的に説明していきます。

A) 救急外来(A&E)

救急外来は24時間365日いつでも受診できます。利用者は最初にトリアージされ、緊急度に沿って対応されます。緊急度は緊急、準緊急、低緊急の3段階に別れます。

  ① 緊急 − 直ちに命に関わる状態。(例)重度の呼吸困難、大出血、意識不明など。

  ② 準緊急 – 緊急ではないにしても、速やかに対応すべき状態。(例)肺炎疑い、虫垂炎疑いなど。緊急の次に優先的に診られます。

  ③ 低緊急 – 緊急・準緊急には該当しないが、診察が必要な状態。(例)インフルエンザ、怪我など。上記2つに比較すると優先順位は低くなります。解熱鎮痛剤はトリアージされる際に処方されます。

これら優先順位に加え、イギリスでは、救急外来を訪れる患者に対し4時間以内に対応すべきとの「4時間ルール」があります。これは「受診までの時間」としばしば誤解されますが、実は「受診し、レントゲン検査など必要なアセスメントを受け、入院・帰宅の判断がなされるまでの時間」ですので、このルールの解釈には注意が必要です。

NHS の統計によると、2018年度に救急外来を利用した人は約2500万人、そのうちこの水準を満たした人の割合は88%(過去10年間平均94%)となっています。

 B) 性感染症クリニック

性感染症に対する検査、治療、コンタクトトレーシング(接触者追跡)など性感染症を専門とするクリニックで、直接受診可能です。

 C) 再診患者

病院を受診したことがある人もしくは通院中の人も直接受診可能です。

  ① 臨時受診 - てんかん、炎症性腸疾患など特定の疾患を抱える人がその病気の悪化で専門的なアドバイスを速やかに必要とする時。

  ② 定期受診 - がんや心筋梗塞後のフォローアップなど二次・三次医療レベルの問題で通院中の人。

(2)間接受診

間接受診とは、かかりつけ医療機関を通して、病院を受診する場合です。緊急度や重大性に応じてアクセスが変わります。間接受診だからと言って、必ずしも直接受診よりアクセスが遅くなるわけではありません。

 A) 緊急度が高い

直ちに病院医療を必要とする場合。命に直結する場合は救急車をアレンジしますが、それ以外にも急ぎ病院医療を必要とする場合は、かかりつけ医療機関が適した病院に連絡を取り、適切な診療科での受け入れ先をアレンジします。患者はすでに医療者によるアセスメントを受けているため、救急外来をバイパスし、受け入れ先の病棟へとストレートに行くことが可能です。

 B) 緊急度は低いが重大性は高い

緊急性はないにしても重大な疾患が疑わるがれるため、早めに病院を受診する必要がある場合。このような時は、ニーズに応じて必要と判断した日程以内に病院受診ができるようにアレンジすることが可能です。

がんの疑いに対しては特に「Fast Track」と呼ばれる特別な紹介方法を通し、1 、2 週間以内に専門外来を受診できます。1、2 週間と聞くと、長いと感じる方も少なくないかもしれませんが、がんは緊急性の高い病態とは違い、比較的ゆるやかに進行するため、この時間が適当と判断されています。

NHSの統計によると、2018年度にがん専門外来を受診した患者は約220万人で、そのうちGPの紹介から2週間以内に受診した人の割合は92%(過去10年平均95%)でした。また、がんの診断後31日以内に治療を開始した患者の割合は97%(過去10年平均98%)、GPの紹介から62日以内に治療を開始した患者の割合は79%(過去10年平均84%)となっています。

 C) 緊急度、重大性ともに低い

緊急性はなく、重大な疾患も疑われない人が病院を受診する必要がある場合。上記2つと比べて優先順位は低くなります。

  ① 専門外来

例としては、かかりつけ医がコントロールに困っている高血圧や糖尿病などがあります。

NHSの統計(2018年度)によると、この種類の専門外来に紹介された患者数は平日(稼働日)平均約5万2000人、一年に換算すると約1300万人。GPの紹介から専門外来を受診し、必要に応じて精密検査を受け、外来治療が開始されるまでの時間の中央値は6週間(過去10年平均5.1.週間)でした。これはGPの紹介から専門外来受診までの時間ではないことに注意してください。

  ② 手術など入院を必要とする場合

例としては、膝や股関節の慢性的な痛みに対する手術(人工関節置換手術)などがあります。

上記の同統計によると、GPから紹介された患者数は平日(稼働時)平均約1万4500人、一年に換算すると約370万人。GPの紹介から専門外来を受診し、必要に応じて精密検査を受け、入院治療が始まるまでの時間の中央値は10.1週間(過去10年間平均9.3週間)でした。

緊急度、重大性ともに低い分、上記2つに比べて受診までの時間はかかりますが、この中でもニーズに応じて優先順位を決めて紹介する事ができるようになっています。

最近では、専門外来を直接受診する必要はないものの、病院医師の意見が聞きたいといった場合に、GPが電子カルテ上で必要な診療科にメッセージを送り、領域別専門医からアドバイスを受けられるサービスも始まっています。私の経験では殆ど翌日に返事がくるようになっています。

以上になります。

いかがでしたでしょうか。みなさんのイメージと実際との間にギャップがあったかもしれません。

こうした実際を見ると、はじめにお示しした噂話はあくまでも一部の例であることがわかります。スキャンダルな話や怖い話の方が目立ちますし、ニュースにもなりやすく、ネットやSNSでも広がりやすいですが、それが全てではないことも知っていただきたいと思います。NHSを支える財源の不安定さや、イギリスの価値観から生まれるNHSの長所や短所も知っていただければ幸いです。

次回は、イギリスにおけるCovid-19についてお話しします。