現代医療の知られざる側面...。
これからお話しすることは、私が知る限り、世間ではまだまだ認知されていません。また、医療への期待を打ち砕くことにもなりかねず、聞きたくない、という人も少なからずいらっしゃるかもしれません。ただ、こういった側面についても正直にお伝えし、それに対応していくことの大切さもお伝えする医療の専門家としての責任が私にはあると思っているので、あえてお話しします。
その内容はいくつかありますが、今回はそのうちの1つ目、「現代医療は多くの人が思っているほど優れているわけではなく、また、医療には両面があって、プラスの面もあれば、マイナスの面もある」ということです。
もちろん、私は医療そのものを否定しているわけでは全くなく、医療を必要とする人は確実にいるし、医療がその人たちに対して貢献できることが大きいことを知っています。けれども、健康的に生きていくために優れた医療があれば大丈夫というものでもありませんし、医療が私たちがより良く生きていくことを妨げることだってあるのです。
医療が私たちが思っているほど優れていない、というのはどういうことでしょうか。
例えば、「優れた健康や長寿を達成できるのは優れた医療制度を有しているからだ」という定説があります。けれども、これは正しくありません。もちろん、医療制度は健康や寿命を決定する要因の一つではありますが、実は他にも要因がたくさんあって、医療だけがオンリーワンというわけではないのです。
例えば、所得や社会的地位、雇用、教育水準、物理的環境、格差、食生活やライフスタイル、人とのつながり、遺伝、性別など、決定要因は実に様々で、医療はその中のひとつにすぎない、ということがこれまでの研究によって明らかになってきています。
しかも、世界保健機関(WHO)によると、より大きな影響を持つ因子は、上記に上げた社会経済的な要素や生物学的な要因。医療ではないのです。
私がGPの専門研修を始めたばかりの時、GPの指導医から「なんでドクターになったんだ。より多くの人の命を救いたいんだったら、社長にでもなって雇用を生む方がよっぽどいいかもしれないな」と言われたのを思い出します。
医療にはマイナスな面もあります。薬の副作用や手術の合併症など医療に付き物なリスクは多くの方がイメージできるかもしれません。しかし、十分に知られていない、多くの人が過小評価してしまっているリスクもあります。それは「医療が過度に提供されることによる弊害」です。
例えば、日本でもよく取りざたされる認知症を例にとってお話しします。
認知症のマネジメントにおいて「早期診断・早期治療」というモットーがよく聞かれますが、実際は早期診断は可能でも、早期治療は不可能というのが現状です。WHOは、認知症を治療する薬や、認知症そのものの進行を遅らせるという科学的根拠が十分で一般的に利用可能な薬は現時点では存在しないと主張しています。実際、フランスのように、最も一般的な認知症の一つとして知られるアルツハイマー病の薬を国の公的保険でカバーすることを止める決断に至った国もあります。
もちろん、認知症の診断を受けることで、自分や家族のこれからについて考え、準備する機会ができますし、社会的支援を受けることができる可能性もあります。こういったことを望む患者さんにとっては、早期に診断してもらうことは大きなメリットになるでしょう。また、診断することで薬を出すことができ、それが症状の効果的な緩和につながる時もあるかもしれません。
けれども、自分の将来については知りたくないし、物忘れはあるけど生活に大きな支障はないという方に対し、一方的に認知症の診断を早期に下すことは、医学的に治療できず、進行を遅らせることもできない疾患を持っているという事実を突きつけるだけで、早期絶望へとつながりかねません。診断するという「医療」が必要のない時に提供された場合にネガティブに働くこともある、ということです。
イギリスでは、国の政策の一つとして認知症ケアを挙げています。その一環として、認知症の診断率を上げようと認知症の診断を下す毎にGPにお金が入るような仕組みを全国的に導入したことがありました。しかし、そこで、GPたちは、診断は、金銭的インセンティブではなく、あくまでもそれぞれの患者のニーズに基づいて下されるべきだ!と大反対。結局、それは廃止された、という過去があります。それからというもの、イギリスでは、「適時診断(timely diagnosis)」という表現が多くの公文書で見受けられるようになりました。
しかし、なにもこれは認知症にだけ当てはまることではなく、すべての健康問題に対する医療において言えることです。健康問題に診断という医学的ラベルを貼り検査・治療をすること(医療化)、それを過剰に進めることによって、例えば、無用な有害事象、安易な検査によるさらなる検査や治療(負のスパイラル)、医療への過剰な依存による当事者の自立力やレジリエンスの低下などはもちろん、誰もが持っている人間としての尊厳でさえも、こうした医療の前では、知らず知らずのうちにそして驚くほど簡単に失われしまうリスクがあるのです。
このような過度の医療化による弊害は世間ではまだまだ認知されていません。
つまり、医療化するということにはメリット・デメリットがあり、そのメリットがデメリットを上回る時にだけ行われるべきケースバイケースなもので、それを考えずに医療化できるからといって安易にかつ杓子定規に提供される医療は、私たちに害を及ぼすことがある、ということです。
現代における医の力は限定的で、逆にその使い方を誤れば恐ろしいものとなる。
自分にこの力をコントロールすることができるのか、私はこのことに気づいた時、ミヒャエル・エンデ作の童話「モモ」に出てくる1シーン、灰色の男たちに初めて出会ったモモのように寒気を覚えました。
私のように寒気を覚えた人がいるかどうかはわかりませんが、現代医療は万能薬でもないし、とても怖いものにもなりえることを読者の方々には知っていただきたいと思います。
次回は、現代医療の知られざる側面その2についてお話しします。