今回も引き続き、イギリスの保健医療制度(National Health Service、以下NHS)について、紹介していきます。
みなさん、もしくはご家族が、次のような経験をされ、困ったことはありませんか。
• 引っ越して、近所の新しい医療機関を受診したが、これまでの診療記録が引き継がれていないので、始めから説明しないといけない。
• かかりつけ医療機関以外で、複数の医療機関を受診したが、受けた診療内容が自分のかかりつけ医と共有されていないので、自分で説明しないといけない。
• 自分の医療の責任者として、自分のことをよく知ってくれてかつ信頼できる先生がいない。
こうした問題は、専門的に言うと「ケアの継続性」が担保されていないことが関係しています。
では、ケアの継続性とは何でしょうか。また、これを担保するためにはどのようにすれば良いのでしょうか。
最近日本でも耳にすることが増えてきましたが、かかりつけ医やかかりつけ医療機関を持つ、ということが今、世界でも重要視されてきています。
これは、これまでの数多くの研究によって、継続性のある医療により、より健康に、かつ長生きできる可能性が高くなる、ということが明らかにされてきたからです。これ以外にも私たち利用者の満足度も上昇し、救急センターに駆け込んだり、入院したりする回数が減るなど、限られたリソースのより効率的な活用につながることも分かってきています。
けれども、継続性のある医療というのは、なにもかかりつけ医を持つということだけではありません。
今回は、ケアの継続性とは何か、また、イギリスがどのようにそれを担保しようと試みているのか、についてお話ししていきたいと思います。
以前お伝えしたように、イギリスにおける医療政策上の欠かせないピースの一つとして「登録制」があります(第11回・第13回参照)。そのメリットの一つが、このケアの継続性を保つことです。
以下では、これを「診療情報の継続性」「他職種・他機関との継続性」「対人関係の継続性」の3つに分けて、簡単に説明していきます。
(1)診療情報の継続性
これは、過去から現在までの診療情報を一元管理するということです。
イギリスでは、NHSサービスを初めて利用する際、それぞれの利用者に「NHS number」という番号が与えられます。この番号に、診察記録、既往歴、内服歴、アレルギー、予防接種歴など様々な診療情報が紐付けされる形で一つの場所に蓄積されていきます。海外からの留学生や移住者などは、その番号が与えられてからの診療情報のみになりますが、殆どの利用者はイギリス人なので、生まれてから今までの診療情報が保管されているケースが一般的です。
こうした情報の保存や整理は、プライマリ・ケアの重要な機能の一つです。イギリスでは、プライマリ・ケアの担い手である、かかりつけの医療機関がこの情報を責任を持って管理しています。
転居などにより、かかりつけの医療機関を変更したとしても、これまでの診療情報は引き継がれます。
一昔前までは、これを紙カルテで行っていましたが、これまでペーパーレスのIT化を進めてきました。現在では、ほぼすべての診療所に電子カルテが普及しています。実は病院よりも診療所の方がIT化は進んでいます。
私たちが使う電子カルテは「EMIS Web」「SystmOne」と呼ばれる2つのシステムが主流です。ともにクラウド型で、この2つで国の人口の大部分をカバーしています。私が働いているヨークシャー地方では後者が人気で、私の診療所でもこれを使用しています。
電子カルテは、民間企業が提供しますが、どんな企業でも望めばこの業界に参入できるわけではなく、標準規格や今では互換性など国が定める一定の水準を満たすものを提供できる企業に限られています。診療所はこの中から、自分たちのニーズに合ったものを選択し、その導入・維持コストは国が負担します。
こうした仕組みがあることによって、医療者は患者とコンタクトを取る前に多くの情報を把握できるため、診察時間の短縮化や重複検査・治療の防止など、より効率的で安全な診療が可能になります。
(2)他職種・他機関との継続性
これは、患者の診療情報が、他の職種・機関と共有されることです。
例えば、私の働いている地域を例に挙げると、前回紹介した多職種のうち、診療所のチーム内で診療録が共有されるのは当然ながら、診療所の外に在籍する訪問看護師、訪問PT・OT、緩和ケア専門看護師などの専門職や、時間外専門サービス(第15回参照)、救急センターや急性内科・外科病棟などの地域から急性期病院への入り口となる場所、そして地域のホスピスでも電子カルテ上での情報共有が可能となっています。
また、他の医療機関での診療内容は必ずかかりつけの医療機関に引き継がれるようになっています。例えば、患者が病院で診療を受けた場合、その患者が登録しているかかりつけの診療所へ外来もしくは入院のサマリーが送られ、診療所がそれを電子カルテに取り込むことで診療情報を保存していきます。
このように、病院だけではなく、時間外専門サービスやコミュニティサービスなど他の機関が対応した健康問題に関する情報が、かかりつけ医療機関に集まり、そこで一括管理されることから、診療所はいわばシステムのハブとして機能しています。
そのため、イギリスでは、患者について何か知りたい場合は基本その患者のかかりつけの診療所に連絡すればわかる、というのが一般的な認識です。
例えば、児童虐待があった家族で親が責任を持って子供を医療機関にかからせているかどうかを確認したいソーシャルワーカー、家族のいない高齢患者が急変して入院してきたが、意識がなく、コミュニケーションがとれない、集中治療室へ移送すべきか否か悩んでおり、かかりつけ医の意見を聞きたいという病院医師など、様々な状況でこのハブとしての機能が活用されます。
(3)対人関係の継続性
これは、医療者と患者との間での関係性そして信頼関係を構築することです。「信頼」「癒し」「責任」の3つがキーワードです。
これら3つは現代医療ではなかなか着目されませんが、信頼に基づく医療の反対には医療者不信があり、これは検査依存につながる恐れがあります。また、癒やしのない乾いた医療では、患者の不安や辛さを医療者と一緒に分かち合うことができなくなり、患者に対して責任を持たない医療は、病気を診て患者を診ない疾患中心の医療、そしてサービス利用者の言うがままに医療を商品として提供する顧客中心の医療を招く恐れがあります。
対人関係の継続性を担保することは、これら問題に対応するための一つの鍵になります。
イギリスでは登録制などにより、基本、医療サービスへの入り口が1つであるため、傾向として、利用者とかかりつけ医療機関との関係がより安定し、より長期にわたったものとなります。その結果、人間関係が構築されやすくなり、信頼関係も生まれやすくなります。
また、16世紀のフランスの外科医アンブロワーズ・パレの言葉に以下があります。
To cure sometimes, to relieve often, to comfort always(ときに病気を治し、しばしば症状を和らげ、つねに癒やす)
つまり、医療者は病気を治すことは時々しかできないし、症状を和らげることもいつもできるわけじゃない。けれども、寄り添って癒やすことは常にできる、という意味です。
こうした癒しの医療は、人間関係・信頼関係が構築されることによってより提供しやすくなります。
さらに、医療者側も、同じ患者を何度も診ることによって、医療者としての責任感が高まっていきます。また、登録制によって、責任の所在が明確になり、医療の責任者が生まれます。責任を自覚することで、他機関とのケアの調整など、患者のニーズにより良く応えようという姿勢がより出てきます。
もちろん、すべての人にとってこうした個人的関係性が重要ということではありません。実際、学生や若手の働いている人たちの間では、気にされる方は多くないかもしれません。けれども、複数の持病を抱える高齢の方や、身体的な問題以外にもメンタルヘルス、アルコール依存症、家庭問題、貧困など複雑な問題を抱えるニーズの高い集団にとっては、特にこうした関係性から得られるメリットが大きくなってきます。
今回は、これで以上です。
次は、病院との連携についてお話しします。