これからイギリスの医療の話をしていきますが、その前にそれに関するクイズをお出ししたいと思います。硬い内容かもしれませんが、想像でも結構ですのでぜひトライしてみてください。理解が深まる一つのきっかけになればと思っています。
それでは、以下のクイズに挑戦してみてください。○×形式になっています。
• 第1問 イギリスの保健医療制度は国営である
• 第2問 GP(家庭医)は公務員である
• 第3問 自分のかかりつけ医は一人だけである
• 第4問 自分の選べるGPまたはその医療機関の選択肢には制限がある
• 第5問 自分の選べる病院・領域別専門医の選択肢には制限がある
• 第6問 人工透析を受けられる年齢には上限がある
• 第7問 GPの診療は国のガイドラインによって制限される
• 第8問 検査・治療をするとGPの報酬が減るため、過小医療に繋がる恐れがある
以上、いかがでしたか?
イギリスに実際に住んでいる方やイギリスに滞在したことがある方、またイギリスに興味があってネットや本で調べたことがある方など、一定の読者の方々にとっては取り組みやすい問題だったかもしれません。
では、正解を一つ一つ見ていきましょう。
第1問 ✕。
イギリスの保健医療制度は「National Health Service(通称NHS)」と呼ばれますが、このNationalという単語のせいか、国営として日本語に訳されているのをしばしば見かけます。しかし、これは正しくありません。NHSはあくまでもパブリックサービスとしての一つの大きな枠組みであり、その中でパブリック(公)とプライベート(民)の両方がサービスを提供します。
第2問 ✕。
GPは公務員ではありません。プライベートビジネスを担う民間であり、国との一定の決まり(診療報酬制度)に沿ってサービスを提供する、いわば日本の開業医と同様の立ち位置です。実際、大多数のGPは開業医であり、私もその一人です。収入は人それぞれです。
第3問 ✕。
かかりつけの医師を一人決める「かかりつけ医制度」ではなく、かかりつけの医療機関を一つ決める「かかりつけ医療機関制度」を実施しています。現在では、複数医師での「グループ診療」が一般的ですので、かかりつけとなる医療機関の複数の医師から、自由にかかりつけ医を選ぶことができます。今日は医師A、次は医師Bというように、その都度違う医師を受診しても、複数のかかりつけ医を持っても構いません。
第4問 ✕。
サービス利用者は自分のかかりつけとなるGPやその医療機関を自由に選べます。変更もいつでも自由にできます。ほとんどの人は村ではなく、ある程度以上の人が集まる地域に住んでいて、私もその一人ですが、例えば、私の住んでいるところで半径2キロ圏内で絞ると、17の医療機関、ざっと見積もって70から85人くらいの医師から選ぶことができます。それ以上遠くても構いません。なんらかの理由で在宅医療が必要になった時はどうするかなど、医療機関と相談の上、両サイドが納得すれば問題ありません。
第5問 ✕。
病院やコンサルタントと呼ばれる領域別専門医の選択肢に制限はありません。
第6問 ✕。
年齢制限はありません。実際、イギリスで人工透析を受けている患者の半数以上は高齢者の方々です。
第7問 ✕。
GPの診療は国のガイドラインによって制限されることはありません。ガイドラインはあくまでも参考にする指標であって法律ではありません。
第8問 ✕。
検査や治療にかかるコストとGPの報酬は基本関係ありません。
そう、正解はすべて✕でした!
いかがでしたでしょうか。
意外な答えだったと思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。
実はこれらの問題、私が今まで様々な場所で日本の方々にイギリスの医療や制度についてお話をする機会をいただく度に、医療関係者やアカデミア、そして医療政策に関わる人たちなど、イギリスの医療についてある程度の知識をお持ちの方々の間で、よく遭遇する勘違いの内容をピックアップしたものです。
注目すべきは、これらの内容はイギリスの医療制度を語る上では外せない基本的な情報であるにもかかわらず、日本には広く伝わっていないという点です。こうしたファンダメンタルな事実も含めてイギリスのことについて正しく伝えている情報源が、公式なものや専門的なものも含めて多くは存在しない状況です。
なぜこうしたことが起きるのか。
私の考えでは、簡単に言って3つの原因があります。
1つには、往々にしてイギリスを含む海外の医療のことを正しく理解するのは簡単そうに見えるかもしれませんが実はとても難しいということ。多くの国々同様、イギリスの制度は複雑かつ膨大で、しかも常に変化しています。
次に、発信源となる私たちが、「これは正しい」と思っている知識が、実は間違っているのに、そのことに気づかずに発信してしまっているということ。私が研修医の時、「少し経験を積んだところからは逆に注意しろ」と指導医から教わりました。少し医療のノウハウが分かってきて、一人で色々と取り組み始めた時の方が、むしろ何も分からないけれどもそのことを自覚している医師よりも危険であるということです。無知を認識できない時に惨事というものは起きるからです。
そして最後に、バイアスです。バイアスは数多くあり、その多くは無意識下でついつい起こってしまうものなのですが、例えば、一部の情報だけを全体のものとして一般化してしまったり、個人の知識や経験から来る私論を重視しすぎて、社会としての公論を軽視してしまったり、イメージで話してしまって事実がおろそかになっていたりなど、情報というのはどうしても歪んでしまう傾向にあります。さらには、ネガティブな情報や経験はポジティブなものや中立なものより遥かに頭に残りやすいですし、既存の知識が新しい知識習得の妨げになることだってあります。
つまり、ある程度の知識や経験がある人が、こうした難しい内容を人に伝えるということは、実はこのような隠れたリスクが存在するということです。
そういった意味では、特に危険なポジションにいるのは私自身です。だからこそ、これらのリスクを意識し、こうしたバイアスからできるだけフリーになれるように「一部より全体、私論より公論、イメージより事実」というスタンスに沿ってお伝えしていこうと思います。
それでは、次回は、NHSについてもうちょっと踏み込んでいきます。