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なぜ熱い?モンゴルのヒップホップ みんぱくの島村教授が注目した「韻踏み」の文化

World Now 更新日: 公開日:
モンゴルのヒップホップについて語る島村一平さん
モンゴルのヒップホップについて語る島村一平さん=2025年10月27日、大阪府吹田市、中川竜児撮影

モンゴルでヒップホップが熱いという。アメリカ・ニューヨークのマイノリティーのパーティーから誕生したカルチャーが、なぜ遠く離れたモンゴルの地で花開いたのか。国立民族学博物館(みんぱく、大阪府吹田市)教授で、『ヒップホップ・モンゴリア 韻がつむぐ人類学』の著者、島村一平さん(56)に聞いた。

――モンゴルのヒップホップ研究を始めたきっかけを教えてください。

もともとモンゴルのシャーマニズムを研究していたんです。ウランバートルに拠点を設けて、シャーマニズム文化が残る地方に出かけてフィールドワークをして帰ってくるということを繰り返していて。シャーマンは草原の遊牧民たちの間を太鼓を叩きながら精霊を呼ぶための歌を歌うのですが、その歌が韻を踏んでいることに気づいたんです。いわゆる頭韻(言葉の頭の部分で韻を踏む手法)で、韻を踏んだ歌を歌っているうちに精霊が降りてくるんです。

草原でそういう歌をずっと聴いて、それからウランバートルに戻ると、ラジオから韻を踏んだ音楽が聞こえてきたんですね。ヒップホップです。ただ草原のシャーマンの精霊の歌はアジア音階、都会のヒップホップは現代的なブラックミュージックの流れを汲むものでした。ともあれ、ウランバートルでも2000年ごろからヒップホップが流行りだしていたんです。ここには何か、文化的な連続性があるのではないか、と考えたのが最初でした。

ドラムを打ち鳴らすモンゴルのシャーマン
ドラムを打ち鳴らすモンゴルのシャーマン=2015年、ウランバートル市郊外、島村さん撮影・提供

もう一つ決定的だったのが、モンゴルでシャーマンがすごく増えて、2010年頃にウランバートル市の人口の1%ぐらいがシャーマンになっていたんです。人口100数十万人のうち1万数千人がシャーマンという驚くべき状況だったのですが、ついに私の調査にずっと同行してくれていた車のドライバーまでシャーマンになった。

三つ年下の男で、付き合いも長くて、きょうだいのような関係になっていたから、聞いてみたんです。「なあ、精霊って一体何なんだ?」って。すると、モンゴル人は親戚じゃなくても親しければ「兄さん、姉さん」という呼び方をするんですが、そのドライバーがこう言ったんです。

「兄さん、精霊っていうのは人間の姿じゃないんだよ。韻を踏んで精霊の召喚歌を歌っているうちに自然と言葉が出てくる。それが精霊なんだ」「自分でも『何言ってんだ、お前は』と思うような意識がある。でも自然と言葉が出て来る、それが精霊の言葉なんだ」と。これに私はすごく衝撃を受けました。その言葉が、ラッパーたちがフリースタイル(即興のラップバトル)の時に、「降りてくる」「ゾーンに入る」という語りと酷似していたからです。その後、似たような証言を、他のシャーマンたちからも聞くことになりました。

考えたのは、要するに韻を踏むというのは、音をそろえていく作業です。特にモンゴルの場合は頭音が基本なので、頭の音をそろえていく。音をそろえるということに意識を集中すると、発話の意味が壊れてくる。普段、私たちは言葉を発話するとき、意味を考えながら話しています。ある種、「意味中心主義」の発話をしている。これに対して韻を踏みながら言葉を発するのは「音声中心主義」の発話だといえるでしょう。つまり音に認識を集中して発話しようとすることになる。すると、意味が壊れたり、思いもよらない言葉が出たりする。普段コントロールしているものが外れて、本音が出たり、想像もしない言葉と言葉の組み合わせが現れたりするのではないか、と。

ウランバートルの中心部には近代的なビルが並ぶ
ウランバートルの中心部には近代的なビルが並ぶ=2025年11月28日、ウランバートル、中川竜児撮影

これって、ラップでも起きることで、フリースタイルでラップをしていると、意味が通らないようなことを言うことがあるんですね。文法を壊して、音に集中することで単語と単語が結びつく瞬間がある。つまりモンゴルのシャーマンの憑依現象とヒップホップのフリースタイル・ラップは、実は「音声中心主義の発話」という点で同じ現象ではないかと思うに至ったんです。それを私は「韻の憑依性」と名付けることにしました。

――著書でモンゴルの「韻踏み文化」をたくさん紹介しています。

もともと遊牧民たちは極力物を持たない生活をします。移動しながら生活するには本に書かれた文章より、物語を記憶して喋る口承文芸が適している。それで記憶術としての韻というものが発展したと考えられます。音をそろえていると記憶しやすいですから。例えばモンゴルのことわざはたいてい2行構成ですが、その2行で韻を踏んでいる。早口言葉も同じで韻を踏んでいる。遊牧民たちに伝わる喧嘩歌のようなもの、互いの悪口を言い合うような文化があるんですが、それも韻を踏んでいて、まさに見聞きすると、ラップバトルそっくりです。英雄叙事詩といわれる、一晩ではとても終わらないような長いお話も韻を踏みながら語られる。この「韻踏み文化」の延長線上にモンゴルのヒップホップ(ラップ・ミュージック)もある、と理解するようになりました。

――交渉事に強い民族性ということもご紹介されていますね。

遊牧民のところにも長く滞在したのですが、雨の降り方によって良い牧草地の場所は毎年変わるんです。そこで自分は一番良いところを占有したいから、お互いにいつ移動するかで駆け引きしたり、時にはウソの情報まで流したりしながら、何とか自分が良い場所を占有しようとする。交渉上手というか、タフネゴーシエーターですよね。そういう部分もラップバトルと近い文化だといえるでしょう。

ウランバートル市内に描かれたグラフィティ
ウランバートル市内に描かれたグラフィティ=2025年11月26日、ウランバートル、中川竜児撮影

――もともとヒップホップやラップに関心があったのでしょうか?

学生時代にブラックミュージックに対する関心はありましたが、どちらかというとレゲエが好きでした。レゲエにも「トースティング」という、ラップのような、メロディーに合わせて好き勝手に語る伝統的な方法があります。そもそもアメリカのヒップホップもジャマイカからの移民が始めた歴史があるので、トースティングも流入していた可能性があるのではないかと思います。

ヒップホップも聴いてはいましたが、そこまで詳しくはなくて、モンゴルで流行りだしてモンゴル人に引きずられるようになって聴くようになりました。

ロックも「抵抗の音楽」と言われましたが、いつの間にかおとなしくなった。ヒップホップが魅力的で、ロックより素晴らしいと個人的に思うのは、何にも楽器を必要としないことです。ロックで自分を表現しようとすると、ギター1本買うのにも何万円もする。でもラップを始めるのには何もいらない。弱者の音楽なんですね。マイク1本あれば、今まで弱者だった者が、相手を睨みつけてディスり倒すことができ、強者になっていける。弱者に寄り添った音楽形態だし、持たざる者の最強の武器だと思います。

――モンゴルではヒップホップは老若男女が聴く音楽なのでしょうか。それとも若い人の音楽という位置づけですか?

50代より下なら聴いていて、日本よりリスナーの層は幅広いと思います。人口350万人ほどの国ですが、人気の曲なら1000万回以上再生されています。すごいことですよね。人口が少ないので、CDでは売り上げがそんなに得られない。だからラッパーたちはYouTubeで曲をリリースして、コンサートのチケット収入で稼ぐという方法をとっています。

ウランバートルの「チョコ・メトロポリス・クラブ」のステージで歌う女性ラッパー、BLU
ウランバートルの「チョコ・メトロポリス・クラブ」のステージで歌う女性ラッパー、BLU=2025年11月29日、ウランバートル、中川竜児撮影

――モンゴルでヒップホップがこれほど受容されるようになった社会的な理由や背景もあったのでしょうか?

文化的背景として「韻踏み文化」があって、それは現代まで繋がっていくわけですけれど、もう一つは1992年に社会主義が崩壊し、資本主義や民主化を指向していくなかで、経済的にも政治的にも大混乱を経験しました。その時代に西側の音楽が入ってくる。最初はヨーロッパ経由で、カセットテープをベルリンとかプラハとかワルシャワから買ってきて、そこにはユーロビートなんかも含まれていたようです。

ウランバートルのゲル地区。奥には高層マンションがたつ中心部が見える=2025年11月26日、ウランバートル、中川竜児撮影
ゲルが点在するウランバートルの「ゲル地区」。奥には高層マンションがたつ中心部が見える=2025年11月26日、ウランバートル、中川竜児撮影

アメリカのヒップホップが入ってくるのは少し後のことで、1995~96年あたり。カセットに限らず、中国やヨーロッパからの生活用品を販売する市場のような場所が、ウランバートルのスラム地区にあった。それが「ゲル地区」と呼ばれる地域です。ウランバートル市は盆地の中心に高層の団地群がありますが、地方で食いっぱぐれた人たち、家畜を失ってしまった遊牧民たちが流れて来て住むようになる。遊牧生活でなじんでいたゲル(天幕)がたくさんできて、ゲル地区を形成しました。

そこには大きな市場もあって、生活用品とともに売られていたヒップホップのカセットを聴いて触発されたゲル地区の少年たちがラップを始めるという経緯になります。彼らの中から、格差を前にして無策の政府や大統領、腐敗した国会議員を批判する歌が出てくる。

――ゲル地区のラッパーと、高層団地のラッパーの争いも紹介されていますね。

ゲル地区の連中は貧しいですが、高層団地、つまり集合住宅に住んでいる連中は比較的裕福なんです。そっちの高層団地の連中もヒップホップの魅力にとらわれて、ビートメイキングをし始める。どちらかというと街の子たちは恋愛系の歌を歌うのに対し、スラムであるゲル地区の子たちは社会問題に対する激しい批判的な歌を歌う。私は「ゲル地区派」と「都会派」と呼んでいますけど、そういう2つのスクール(グループ)みたいなのができて、互いにケンカもしながら切磋琢磨していく。1990年代終わりから2000年代初めにかけてのことです。

ゲル地区は今も拡大していますが、ずいぶん整備が進んで綺麗になってきました。かなり舗装道路ができているようです。ただ、下水は整備されてないと思います。上水道も地区の井戸から手で汲まなくてもいいように電動化されてきていますが、それでも家まで水を運ばないとならない。石炭ストーブも大気汚染の原因のように言われていましたが、今は煙が出にくい燃料などを使うようになって、少しマシになってきていると聞きます。

――互いに環境は違っても、ゲル地区派、都会派に共通して「モンゴル愛」のようなものがあるのでしょうか?

都会の人間であっても、対先進国という視点で考えると、相対的に貧しいんですよね。彼らの中には海外に留学しているような子たちもいるけど、海外で豊かな生活をしながら勉強しているのかというと、全くそういうことはなくて、必死でバイトしている苦学生なんです。そこからナショナルなものに対するコンプレックスだったり、逆に自信を取り戻そうという動きだったりが出てくる。

モンゴルに限らずどこの途上国でも、ヒップホップはナショナリスティックな部分を持っています。相対的に「地位が剥奪されている感覚」が彼らにあるからだと思います。自分たちの国の強みはどこにあるんだろう、という探求、アイデンティティーの追求にいく。それはロックミュージシャンであろうとヒップホップのミュージシャンであろうと共通している要素で、世界的に同じだと思います。

――ヒップホップというと犯罪や金のことを歌い、女性蔑視もひどい、といった批判もありますが、モンゴルではどうなのでしょう?

例えば、大麻で捕まるといったことはあります。アメリカや日本と同じ部分かも知れません。一方で、女性蔑視やミソジニックな歌詞という点ではちょっと違うと思います。

モンゴルは、女性の社会的進出がとても進んでいて、医者、弁護士、教師の6~7割が女性と言われています。かつて社会主義国だったので、雇用機会均等や選挙権が、日本よりもずっと早く導入されたというのもありますし、それ以前に、そもそも遊牧民、遊牧社会では女性の社会的地位が高かった。遊牧社会では財産の処分権は女性にありました。遊牧王朝で大ハーンが亡くなると選挙になるんですが、その選挙を実施するまで何年もかかる。その間誰が国を治めるかといったら皇后です、ハトンとかカトンって呼ばれます。

全体で見ると、男性ラッパーの方が多いですが、注目すべき女性ラッパーも登場してきています。

――日常生活の中でも政治批判は普通のことなのでしょうか。酒場とか、職場でおおっぴらに語る社会なのでしょうか?

居酒屋みたいな場所はモンゴルにはないので、パブやバーで飲んだり、家飲みもよくしますが、政治を語りますね。もちろん見方や考え方はそれぞれ違うので、激論になることもありますが、少なくとも自分の意見を開陳するのは普通のことだと思います。

島村一平さん
島村一平さん=本人提供

びっくりしたのはあちらの大学に行った時ですが、モンゴルの人たちってゼミでの議論なども日本より盛んですし、講義を聞いていても「先生の言ってることはおかしいです」と挑む学生が必ずいるんですね。「いや、やっぱり先生の方が正しい」という別の学生も出たりして、とても盛り上がります。

――そういう土壌があるにせよ、大統領や国会議員をストレートに批判するような歌は、やはり衝撃をもって受け止められたと。

それら初期の歌は、社会が混乱期にあったから流れたという側面もあったとは思います。ただ、少し前、コロナ禍の時に政府の対応を批判したラッパーがビデオクリップを上げたところ、2日か3日で50万再生くらいあったらしくて、今も批判精神に富むヒット曲は生まれ続けています。

――『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声の民族誌」』(編著)では、モンゴル以外の各地のラッパーたちを紹介しています。研究からどんなことが分かりますか。

文化人類学のインタビューの方法には、「構造インタビュー」と「非構造インタビュー」という二つがあります。あらかじめ用意したアンケート的な質問をする構造インタビューに対して、非構造インタビューは日常生活の中で人々が話している話に耳を澄ませて、何げない話から社会の仕組みや実態を理解していくものです。私はラップを聴くことは、最強の非構造インタビューだと思っています。

申し訳ないですけど、新聞の国際欄を読むよりも、ラップを聴くことでよりリアルな社会が見えてくる。しかも、世界の周縁に追いやられた人たちの現実を知ることができる。世界的にこれだけ格差が拡大するなかで、ラッパーたちはその世界をストレートに、如実に語っているからですね。私はジャーナリストにとっても、ラップを聴くことは必須だと思っています。