ジョン・レノンは「夢は終わった」と歌った
――ロックンロールから分化したロックは、若者の支持を得て発展していきました。ただ、これまで何度か、「死んだ」と言われています
1回目は、ビートルズが解散し、ジョン・レノンが、ソロアルバム『ジョンの魂』(1970年)の楽曲「ゴッド」で、「もうぼくはビートルズを信じない/夢は終わった」と歌ったときです。
カウンターカルチャーは終焉し、逸脱を謳ったヒッピーたちが日常へと帰っていきました。ウッドストックは甘い夢を見せてくれましたが、数ケ月後のオルタモント・フェスでは殺人事件が起こってしまった。あれほど礼賛した「自由」が無軌道になると何をもたらすのか。人々はつかれていたのです。
2度目は、76年にデビューしたセックス・ピストルズが77年に解散した時です。ボーカルのジョニー・ロットンは、解散後すぐに本名のジョン・ライドンを名乗ってパブリック・イメージ・リミテッドを結成し、ロックなんてくそくらえ、そんなものは死んじまったとうそぶきました。
パンク・ロックは体制への攻撃からアート文脈へのニューウェイヴ(ポスト・パンク)にスタイルを転じて、自分たちの音楽に何の意味もないことを宣言しました。
3度目は、94年にアメリカのグランジ・バンド、ニルヴァーナのカート・コバーンが死んだ時です。彼は人気絶頂期に、ひとり居室で猟銃を自分の口にあてて引き金を引きました。前代未聞の出来事です。
コマーシャリズムを否定していた自分たちが結果的に売れてしまい、そのことに苦悩していたと言われています。
カート・コバーンの死がもたらした影響
カートの死を前にして、多くのミュージシャンが途方に暮れました。売れることやスターになることを拒むのがロックだとすると、自分たちの演っている音楽とは何なのか、と。
これらは、いずれもアウトサイダーたちがその居場所を失い、社会に再統合されていく過程ととらえることができます。ここに、ロックが何度も死ななければならなかった理由があります。
いわば、ヒッピーやパンクやグランジは、社会構造がより強固に構築されるために克服されるべき反構造物だったのです。それゆえに、ひとたび大暴れした後、再統合を迎えるために「ロックは死んだ」と宣言されねばならなかった。
しかし、こうした前提も、「ロックが反社会的とみなされる土壌」があってこそのものです。つまり、「社会全体が安定した統合物」という認識が人びとに共有されていなければなりません。
ところがいまや、流動性を高めた社会には「大きな物語」など存在していないし、ロックについて何か語ったところで社会が大きく変わる感覚など持てない。それは数ある音楽スタイルのひとつを表す言葉になっています。
すなわち、「ロックは死んだ」という言葉が意味をなすようなロックは死んで、だからこそ音楽としてのロックは生き長らえているのです。
――時を同じくしてラップやヒップホップが台頭しました。黒人にルーツを持つ新たな音楽の出現は、プロテストの要素でも人々を惹きつけました
90年代中盤から、ロックはメインカルチャーでもカウンターカルチャーでもなくオルタナティブとして「別の道」を歩みはじめます。
役割期待を過剰に背負ったりせずに、体感に舵を切ったサウンドで、それでいて内省的なニュアンスを含んで、さまざまな困難に直面するプアホワイトのコミュニティに閉じていったんですね。
そうした動きに不満を持つ人たちの一部は、ロックから離れてヒップホップに移りました。堂々と社会批判や反差別のメッセージを繰り出す黒人ラッパーの姿は、新たな英雄の登場を思わせたでしょう。不良性も群を抜いていましたし、当時のキッズのハートをわしづかみにしました。
陰のX世代、陽のミレニアル Z世代は「自分たちの音楽探し」
――世代による音楽の聴き方、受容の違いもありますか
ベビーブーマーの人たちは「黄金の60年代」を経ているので、そこが全ての音楽の最高峰なのだという感覚を持ちつづけています。そうした価値の押しつけに首肯しなかったのがX世代で、ニルヴァーナ以降のグランジ~オルタナティブを支えました。
ちょうど野外フェスティバルが世界的に流行しはじめる時期にあたり、新興フェスの立ち上げにもこの世代は大きく関わっています。
次に来るミレニアル世代は、X世代を陰とすれば陽の気質の持ち主で、多様性にも寛容でした。パーティピープルが多かったので、音楽も、陽気なラテン音楽やEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を好んだりしています。
現在青年期を迎えているZ世代には、その反発があるのか、親世代のX世代の影響を受けたのか、自分たちの音楽を見つけだす作業をしているように思います。
――現在、Z世代のバンドが台頭してきています
2022年夏のサマーソニックには、Z世代に受け入れられるバンドが多く出演していたと感じました。
イタリア出身のマネスキンは、過激ないでたちでショックロック然としていますが、インタビューなどを聞くと、思っている以上に社会的偏見と闘う意志が強い。
ザ・リンダ・リンダズは人種的マイノリティで、SNS経由で「こんなバンドがいるんだ」と発見され、来日にこぎつけました。80年代の日本のバンド、ブルーハーツにインスパイアされた女性バンドがアメリカにいることへの驚きがありました。
そして、いま挙げたバンドよりも少し上の世代になりますが、ヘッドライナーのThe 1975の演奏は白眉でした。
彼らはデビュー時から「ロックなき後のロック」を模索しています。ライブはメローな雰囲気から始まり、中盤にはオルタナ風ギターロックの怒濤の展開、そして感傷的かつ力強いフィナーレと向かい、まるで20世紀の良質なサウンドのすべてを包含したようなステージでした。
あるアーティストに歴史の蓄積が乗り移るということが本当にあるんだ、という圧巻のパフォーマンスでしたね。ロックは死んじゃいない、ロックはすごい、と思わされた出来事のひとつです。
常識と非常識なら非常識、抑圧と被抑圧なら被抑圧者の側に
――なぜ今、そういうロックバンドが現れているのでしょう
ロックの歴史上さまざまなことがあったとはいえ、根幹の部分が変わっていないからじゃないでしょうか。
常識と非常識なら非常識、抑圧と被抑圧なら被抑圧者の側に立つ、アウトサイダーの価値意識です。ロックミュージシャンは、貧富や階級、学歴など社会的ヒエラルキーの劣位の立場に身を置く、そんな志向性が今も昔も変わらずあります。
ロシアとウクライナの戦争でクローズアップされたオケアン・エリズィーは、ウクライナの国民的ロックバンドです。
ロシアによるウクライナへの侵攻の最前線で、その惨状を目の当たりにしながら、抑圧にあらがい平和への願いを歌にしています。さながらレディオヘッドやU2のような風貌で、西欧側のミュージシャンたちもシンパシーを抱きながら彼らのことを見つめているんじゃないでしょうか。
さらに、21世紀になって、昔ながらの階級ヒエラルキー以外に、被抑圧の形のバリエーションが増えているように思います。
いじめられた経験を持つとか、LGBTQの人たちが権利を訴えるとか、ボディ・ポジティブのムーブメントもそうですね。かつては無視されてきたマイノリティが声を上げられるようになったこと自体、時代の変化を表していますが、そうした経験を持つ若者がロックの表現に心情を仮託することが可視化されている、そのように感じます。
――日本のロックシーンはどうでしょうか
とても明るい兆しが見えています。King Gnuのような、音楽の英才教育を受けて高い演奏技術を持っている人たちが、なんでもやれそうであるにもかかわらずあえてロックの名称を選んでシーンのトップに君臨していることがまずひとつ。
全体的に独自に発展してきた日本のロックは、歌唱も演奏もパフォーマンスも相当レベルが上がっていますよ。
それからこれは個人的にですが、女性ロッカーのバンドを最近ではよく聴いています。
まだそこまでメジャーではないのですが、シューゲイザーのリーガルリリーや、青春パンクのHump Backなど、ロック史の断片を切り取ったようなサウンドが耳に心地よいです。
彼女たちが歌う反戦歌や、「終わらない歌を歌おう」というセリフなど、男性がやると熱意が空回りしたり照れを感じたりするところが、ごく自然体に入ってきて良いですね。これも多様性のひとつの証かもしれないです。
一連の動きを見ていると、世界はロックを捨ててなんかいないし、世界は今こそロックを必要としている、と強く感じます。