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歴史に幕 パンク・ロックの夏ツアー

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カリフォルニア州サンディエゴで開かれたワープトツアー。バンズのスニーカーの若者が観客の頭上をサーフィング=2018年6月22日、Adam Amengual/©2018 The New York Times

ザ・バンズ・ワープトツアー(The Vans Warped Tour、以下ワープトツアー)が最後の夏を迎えた。1995年から毎夏、全米各地を巡回し、「パンクロックのサマーキャンプ」と親しまれてきた一大音楽フェスティバル。その24年の歴史の幕が閉じられる。
メタル、パンク、スカといった音楽ファンにとって、ワープトツアーはオープンステージであこがれのバンドと接し、熱狂する場だった。70ものバンドやアーティストが全米約40カ所で歌や演奏を繰り広げ、タトゥーをした若者やバンドのTシャツとチェック柄のバンズスニーカー姿のファンらが何十万人と集う。
特に1990年代の終わりから2000年代初期にかけて、多くの音楽グループやヒップホップMCがワープトツアーの存在感を高めた。ブリンク182(Blink―182)がいた。リール・ビッグ・フィッシュ(Reel Big Fish)がいた。エミネム(Eminem)がいた。
だが、最近はその人気に陰りが見えてきた。バンドにもファンにも、かつての盛り上がりがなくなってきた。4月にカリフォルニアの砂漠地域で開かれるコーチェラ(Coachella)には20万人以上のファンが集まるというのに。他にも人気が高まっている音楽フェスティバルはあるのに、なぜかワープトツアーはかつての勢いがなくなってきていた。
ワープトツアーの創設者でプロデューサーでもあるケビン・ライマンにメールで問い合わせると、彼は「根っからのワープト・ファンはずっとツアーに来ている。だが、次の世代が減っているようだ」と言った。
ライマンによると、全米各地を横断するツアーは18年で最後になるが、19年以降、たとえば25周年記念行事を開催するということもあり得る、という。「私は、できることはすべてやり尽くした。ちょっと疲れてきた。誰か他の人に継承してもらうか、それとも新しい形で再スタートするか。そういう時期に来ている」。ライマンはそう言うのだった。

サンディエゴのツアーを見るワープトツアー創設者ケビン・ライマン=2018年6月22日、Adam Amengual/©2018 The New York Times

最終ツアーは、音楽界における一時代の終わりを告げるとともに、ツアーに並走してきた有名ブランド、バンズにとっても一つの大きな節目でもある。スケートボード用スニーカーで知られるバンズは、2年目のワープトツアーからスポンサーになり、カウンターカルチャーのイメージを鮮明にしてツアーを盛り上げてきた。
「私たちがワープトツアーにかかわるまでは、『バンズ』といっても全国的な話題にはなっていなかった」と、同社のグローバルブランド担当プレジデント、ダグ・パラディーニは話す。「バンズは個性的なブランドであり、ワープトツアーも同じように個性的だった」 バンズはワープトツアーにかかわる資金の75%を拠出してきた。ワープトツアーの終幕はしかし、チケットが売れなくなったからではない、と同社幹部は言った。さらに、同社が音楽やスケートボードから手を引くとみなされては困る、とも強調した。バンズは、ニューヨーク・ブルックリンやシカゴやロンドンに屋内スケートパークと音楽会場を併設した「ハウス・オブ・バンズ」を展開しているが、今後も有名無名のミュージシャンによるコンサートを無料で開いていくという。
パラディーニは、「ワープトツアーはバンズの歴史に欠かせない。私たちの存在に不可欠の、重要な部分を占めている」と述べたうえで、「終止符を打ち、ワープトツアーを盛り上げてくれた全てのバンドとファンにありがとうと言う、まさにその時が来たのだ」と言うのだった。

サンディエゴのワープトツアーで演奏するバンド、シンプル・プラン=2018年6月22日、Adam Amengual/©2018 The New York Times

ワープトツアーが始まった1990年代。バンズのスニーカーは、粘着力の強い靴底が、本拠地カリフォルニアのスケートボーダーをとりこにしていた。バンズはカリフォルニアのスケート文化とイコールだった。一方、ワープトツアーはいち早く全国的な人気を集めていた。そのワープトツアーと手を組んだバンズは、パンクブランドとしての名声を獲得した。
バンズとワープトツアーの歴史をたどると、バンズは最初、一軒の店からスタートした。66年3月、カリフォルニア州アナハイムに開いたバン・ドーレン・ラバー会社(Van Doren Rubber Co.)で、ポール・バン・ドーレンとジム・バン・ドーレンの兄弟がオーダーメイドの靴を店内で製作したのが始まりだった。
ワープトツアーを始めたライマンは、ロラパルーザ(訳注=米国で開かれているロックフェスティバル)の元ステージマネジャーだった。95年の第1回ワープトツアーは、サブライム(Sublime)やノー・ダウト(No Doubt)といった人気バンドを呼んで、会場は盛り上がった。だが、財政問題を抱え、スポンサーを探していた。
その頃、バンズの共同創設者ポール・バン・ドーレンの息子、スティーブ・バン・ドーレンは、米国をはじめ世界各地でアマチュアスケートボード大会を開催したいと、協力者を探していた。彼はライマンに会った。ライマンは、「もし音楽ライブと一緒にやるなら、バンズはもっと大勢を呼び込むことができるだろう」と言った。バンズの精神は「オフ・ザ・ウォール(Off the Wall、型破りの意)」。2人はわずか15分の会談で合意した。ザ・バンズ・ワープトツアーの誕生だった。
以来24年。何が変わったのか?
最近の音楽フェスティバルは、大物歌手や人気バンドが出演すると入場料も高くなっている。たとえば、コーチェラのフェスティバルの場合、3日間の入場パスは500ドル(1ドル=111円換算で5万5500円)で、VIP席になると千ドル(同11万1千円)近くになる。だが、ワープトツアーは一律45ドル(同約5千円)で、特別席などはない。大物バンドに特別な待遇をするといったこともない。バンズにとって肝心なことは、多くの人がアーティストに近づけることで、人気バンドに会うのに余計な料金を払う必要もなく、ファンはバンドのテントを訪ねることもできる。
「握手するのに金が絡むようになったら、フェスティバル全体の関係が変わってしまう」とライマン。
ファンの一人、ビクトリア・ハジンズ(23)は「ワープト(ツアー)に行くのは、何かとてつもなく大きな、すごい熱狂の一部になれるから。でも、最近は、フェスティバル自体を楽しむより、コーチェラに登場する有名バンドを撮ってインスタグラムに上げるといった方に若い人たちの関心が集まっているように思う」と言った。

米カリフォルニア州サンディエゴでのワープトツアーでもバンズスニーカーを履いている若者が目立った=2018年6月22日、Adam Amengual/©2018 The New York Times

ワープトツアーの人気が低迷する一方で、バンズのブランド人気は世界的な現象にまでなってきた。バンズは2004年、ジャンスポーツ(JANSPORT)やティンバーランド(TIMBERLAND)、ザ・ノース・フェース(THE NORTH FACE)を傘下に置くVFコーポレーションに買収されたが、パラディーニによると、売り上げは当時の年間約3億2500万ドル(同約361億円)から、18年には30億ドル(同3330億円)を超える見込みだという。10年から14年にかけては毎年2桁の伸びを見せ、17年にザ・ノース・フェースを抜き、VFコーポレーション傘下でトップのブランドに成長した。同社イベント・プロモーション担当副代表のスティーブ・バン・ドーレンは会社のルーツを忘れないことが重要だ、と強調した。
「1970年代中ごろのスケートボーダーたちがバンズのシューズを愛用してくれたのだ。それから40年が過ぎた今も、彼らに感謝している。彼らがバンズに意味を与えてくれたのだ」と。(抄訳)

(Medea Giordano)©2018 The New York Times

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