――「バレアレス諸島の音楽」を意味するバレアリック・サウンドはどのようにして生まれたのですか。
イビサのヒッピー的な雰囲気は大好きだけれど、もう少し違うことができないかと思っていた。それで、ヒッピーが好むようなサイケデリックなロックに、ルーツ色の強いブラックミュージックを融合させてみたんだよ。バレアリック・サウンドの立脚点は自由な魂。レゲエがあれば、ポップスやロックもある。ボブ・マーリーからグレイス・ジョーンズ、ブライアン・フェリーまで、ジャンルにとらわれずに選曲した。フラメンコとエレクトロニカを組み合わせたこともあったな。
――あなた以外に、バレアリック・サウンドの創始者と言える人には誰がいますか。
DJアルフレドや、セザー・デ・メレロといった人たちだね。でも、決してライバルという感じじゃない。それぞれに音楽的な背景は違っていても、「いかに音楽を自由に楽しむか」という精神は共通している。
――バレアリック・サウンドはどのようにして世界に広がっていったのでしょうか。
ポール・オークンフォールド、ダニー・ランプリングらの英国人DJがイビサの音を英国に持ち帰り、それが「アシッド・ハウス」として花開いた。そこから世界中に拡散し、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と言われる一大ダンスムーブメントへと発展していったんだ。イビサにも、音楽好きの観光客が大勢やってくるようになった。クラブに行けば、ヒッピー、ジャンキーからセレブや有名人まで、お金のあるなしに関係なく、みんな一緒に楽しめる。90年代のイビサには、アットホームでリラックスできる雰囲気があった。
――現在のイビサにも、バレアリック・サウンドは生きていますか。
もちろん生きている。サンセットバーやチリンギート(海辺のレストラン)など、そこかしこにバレアリックの影響を感じるよ。ただ、クラブはバレアリックのルーツを忘れてしまったようにも見えるね。
――現在のクラブシーンのどんな点を問題視しているのですか。
一つ残念なのは、クラブの過度な商業化が進んでいることだ。DJのギャラは高騰、入場料は上がり、クラバーたちは狭いスペースに詰め込まれている。一度手を上げたら、下げることもできないぐらいにね。有名DJは神様みたいにあがめられ、クラバーたちはただ突っ立ってスマートフォンでDJを撮影している。ビジネスに走った結果、みんな踊ることを忘れてしまったんじゃないか。(文中敬称略)