――二つの粉ものにはジョージアで出会ったのでしょうか?
ヒンカリとハチャプリを知ったのは旧ソ連時代のモスクワです。「アラグヴィ」という、スターリン政権下で作られた、今はなきモスクワ最初のグルジア料理店でのことでした。
初めてロシアへ行ったときだったと思います。1980年代半ば、まだジョージアが旧ソ連を構成していた15の共和国のころで、呼び名もグルジアでした。
ロシア料理の研究のためにモスクワに通い始めた私でしたが、全土を巡らないと見えてこないであろう、壮大な食文化に圧倒されっぱなしでした。
モスクワは15共和国の郷土料理を味わえる稀有(けう)な都市でしたが、当時レストランは値段も高く、庶民が簡単に通えるところではありませんでした。
私は外国人ですから訪れた以上、様々な地方のものを食べてみたいと思うのが常でしょう。そこで、おいしい料理の代表として勧められたのが「ジョージア料理」だったのです。
――ロシアの人にとってもおいしい料理=ジョージア料理なのですね。
そうですね。そしてジョージアで定番メニューとして観光客が勧められるのは「サツィーヴィ」「シャシリク」「タバカ」です。そして粉ものではヒンカリとハチャプリでした。
ヒンカリはひと目見て、モンゴルの「ボーズ(餃子のルーツ)」の影響を受けたものだと思いましたが、蒸さずにゆでていると聞いて驚きました。
ハチャプリは、いわゆるお焼きのようなピザのようなパンで、鉄板やフライパンなどで焼いていました。舟形のものもありました。
――ヒンカリからモンゴルを連想されたのはなぜですか。
私はそれまで、モンゴル、中国、シルクロードをへて、ロシアへと食文化の旅を続けていましたが、生地に具を包んで加熱する、粉もの料理の原型をたどると、モンゴルのボーズ(餃子)や餅(ビン)に行き当たります。
そもそも、モンゴルのボーズは、遊牧民の住居であるゲルを模した、神聖な料理です。これはヨーロッパまで伝わった、モンゴル帝国の粉もの文化の象徴ともいえるものです。
さらに驚いたのは、ジョージアでは、ヒンカリを逆さまにして手で食べていたことです。生地の中身の肉だねは、塩とスパイスで味がついています。モンゴルのボーズと形は同じですが、倍ほどの大きさ。これは現地でも同様で、1皿頼むと3、4個盛られてくるため、1人で食べきるには大量でした。
――逆さまにして食べるとは、どういったことでしょうか。
生地の閉じ口のつまみを指ではさんでくるりと返したら、まず、中の汁をすすります。それから生地と中の肉に一緒にかぶりつきます。
つまみの部分は生地が分厚く、中まで火が通っていないこともあって粉っぽい。それで、そこは食べずに捨てるのがジョージア流なのだと教えられました。「つまみまで食べると、お腹がいっぱいになってしまうから捨てるんだよ」などと言う人もいましたけれど、そうではない気がしました。
――なぜそんな食べ方をするのでしょう。
なぜ手で食べるかと言えば、ヨーロッパには箸(はし)がないからです。フォークで切れば、中の肉汁が流れ出てしまう。それで、返して手で食べるようになったのでしょう。
モンゴルのボーズの場合は、上部に穴が開いているのですが、これは実際のゲルの屋根に煙突を立てる場所を表しています。
――モンゴルではどのように食べられていますか。
モンゴルでボーズを食べる時は箸を使います。大切なゲルのモチーフを逆さまにはしません。
また、中国でボーズが餃子的に進化した料理として「小籠包(ショーロンポー)」が浮かびますが、これはレンゲに乗せ、汁を吸ってから食べますよね。ジョージアでは、どちらの方法もうまくいかなくて、持ちやすいように、本来の煙突部分がつまみとなり、そこを持つ食べ方になったのだと思います。
粉もの文化がモンゴルから伝わったことは知られているのかもしれませんが、ゲルの意味までは知られていなのかもしれませんね。
――しかも、蒸さずにゆでているのですね。
その後、ジョージアに訪れるたび、家庭やレストラン、民宿といった様々な場所で作り方をうかがいました。大きな寸胴の鍋に水を入れ、直径7センチ大のヒンカリをゆでるんです。
混ぜないと下の方がくっついてしまうので、とにかくずっと混ぜているのは結構な重労働。モンゴルのポーズの場合は、蒸し器に並べるだけなので断然楽です。
「どうして蒸さずにこんな大変なことをしているのでしょう」と、私が根掘り葉掘り聞くたびに不思議がられましたが、「現在ではゆでていますが、もともとは蒸し器で蒸していたという話が伝わっているんですよ」という答えが各所で返ってきて、合点がいきました。
――合点がいく、と言いますと?
蒸し器、すなわちスチーマーは、現代ではステンレスやアルミ素材で作られていますが、蒸す文化は元々、竹製の蒸籠の文化です。モンゴルや中国をはじめとするアジアの文化で、モンゴル帝国から伝わったと言われます。遊牧民たちは水が乏しいため、ゆでずに蒸す方法が定着したのです。
これは、東から西へと伝わりはしましたが、原料となる竹のない西洋までは届かなかったのでしょう。
竹はほかの木材とは違い、しなりやすく水分をはじくため、蒸すことに向いています。中国に竹が豊富であることから発達した文化にほかなりません。湖南省、貴州省、四川省あたりに行くと、とにかく竹だらけです。
アルミ製の蒸し器は、昔は鉄製でした。トルコのアナトリア高原で発見された鉄の文化から、鉄板や鉄鍋が生まれ、シルクロードを経て西洋から東洋へと伝わったのでしょう。ウズベキスタンのあたりでは金属製の蒸籠を使っていましたね。ジョージアは鉄の文化の起源に近い国ですので、鉄の蒸し器を使っていたのではないかと思います。
――確かに。適した素材あっての道具です。
モンゴルは水がないから蒸していたわけですが、ジョージアは、水があるからゆでるようになった。ヒンカリだけのために蒸し器は必要なかったのでしょう。蒸し野菜を食べる文化もありませんし、煮る文化です。そこはヨーロッパ的ですね。
ゆでる文化の考察としてはもう1点あります。ジョージア人は遊牧民ですから、家畜をさばいて食べます。基本的には仕事を終えた家畜を食べますから、柔らかく若い肉ではなく、老いた硬い肉であることが多い。よくゆでないと食べられないということもあり、ハーブやスパイスを加えて臭みを除いていたのでしょう。
現地での見聞をつなぎあせ、考えていくうち、わたしの頭の中で、「そうか!」とつながっていく感覚がありました。
――ハチャプリに関してはいかがでしょう?
ハチャプリは地域性もあり、家ごとに味の違う家庭料理です。あちこちでホームステイをさせてもらいましたが、どこの家でも毎日焼いているんです。
それで、「日本人にとってのご飯と味噌汁みたいなものなのだな」と普通に感じました。もちろん専門店もたくさんあって、そういったお店も繁盛しています。おにぎり屋さんやコンビニのような感覚でしょうか。
そういえば、以前カヘチアでホームステイした際、そこのご主人が麺棒のかわりにワインの瓶で生地をのばしていたのをみた時には、「さすがはジョージア、最古のワインの国だわ!」と感激してしまいました。外国人には、まず定番の郷土料理が紹介されますが、「ハチャプリ」は、もはや国民食といった感じでした。
――生地は発酵生地ですか?
初めてうかがったジョージアの家庭では、生地の仕込み方は粉にヨーグルトを混ぜ、ベーキングパウダーを加えて発酵させる方法でした。
暑いので2時間程度置いておけば微発酵して天然酵母ができ、パンが焼けるくらいになります。
ジョージアの人々は遊牧民ですから、もとは、粉を練ってそのまま置き、天然酵母で発酵させていたと思われます。これは、モンゴルの遊牧民も同じです。
今まで何度もシルクロードを往復しましたが、「パン生地にはイーストが入っているのですか?天然酵母を加えているのですか?」と質問するたび、「水と粉のみです」という回答が返ってきました。前の生地に粉と水分を継ぎ足しながら発酵させ、使い続けていますので、ベースは自然と天然酵母になっているのです。粉に加える水分は、水か、牛乳か、ヨーグルトのいずれか。ジョージアも同様でした。
けれども、ジョージアの粉物事情も、次第に作りやすい方法にシフトしたのでしょう。3年前に行った時には、イーストを使う方法がスタンダードになっていました。
――どのような種類があるのでしょう?
ハチャプリには様々な形があります。丸くて、長野県のお焼きのようなタイプのものは食べやすく、家庭でよく出てきました。
中にチーズを入れたものをはじめ、きのこの炒めたもの、キャベツの漬物、豆の煮物(ロビオ)、ひき肉の炒めたもの。「その時にあるもの」を入れて、フライパンに多めの油やバターを入れ、揚げ焼きのようにします。
そこはおにぎりやピロシキと似ています。ピザのように大きく作る場合もありますが、切って食べなくてはならないので大人数やお店向きです。
家庭ではサジという中華鍋をひっくり返したような鉄製の道具で、お店では鉄板や石窯などで焼いていました。鉄の文化はトルコのアナトリア高原発祥と言われていますが、小麦の原産地にも近いと言われるジョージアも発祥と言ってもいいくらいの地域ですね。
――トルコとは地続きで食文化はどうでしょうか。
「アジャリアハチャプリ」というハチャプリがあるのですが、これは、トルコのパンに似た、黒海沿岸のアジャラ地方のもの。中にチーズ、ひき肉あんなどを入れ、卵を落とします。のちにトルコに通うようになって知ったのですが、黒海周辺には「ピデ」という舟形のパンがあり、よく似ています。
このあたりは、トルコもジョージアも、くるみなどのナッツ類ほか、農産物のラインナップが重なり、一帯が原産地であることを実感します。
トルコには今のジョージアにルーツがあるチェルケス人が多数暮らしています。チェルケス料理というジャンルも存在するほどです。
くるみの料理も多く、ジョージア料理のサツィーヴィ(鶏肉をくるみのソースで煮た料理)を彷彿(ほうふつ)とさせるものも多く、地続きの文化を感じます。
――実際に現地を歩いてこそ、粉もの料理の広がりについて説得力があります。
このように見ていくと、モンゴルから中国、シルクロードを伝ってロシア、ジョージアへと伝わった蒸し物は、ジョージアを中継にゆでる形に変化し、東欧のダンプリング、イタリアのパスタへとつながっていきます。ジョージア以西は、粉ものは全てゆでる方法です。
一方で、アナトリア高原発祥の鉄の文化は石窯や鉄板といった道具になり、東はシルクロードをへてモンゴルまで伝わりました。
西はアナトリアを起点にヨーロッパがパンを焼く文化へと広がっていきました。
ジョージアはまさに東西の粉もの文化の「交差点」と言えるのですが、それを体感できるまでは長い時間をかけての旅が必要でした。やはり実際に歩いてことそ見えてくること、こんな時代だからこそ大切にしたいと感じます。
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ハチャプリ
●材料(直径20センチ程度のもの2枚分)
強力粉、薄力粉 各150g
プレーンヨーグルト230g
ベーキングパウダー 大さじ1/2
溶けるチーズ(カテージ、フェタ、グリエール、モッツアレーラなど) 200g
油(現地ではひまわり油) 大さじ4
●作り方
- ボウルにヨーグルト、ベーキングパウダーを入れて合わせておく
- 別のボウルに粉を合わせ、1を加えて生地が滑らかになるまで練る。温かいところに置いて30分程度休ませる
- 2を2等分し、1枚を直径20㎝程度に広げる。チーズを乗せて端から生地でくるむようにしてしっかりと包み、再び直径20㎝程度の円形に綿棒などでのばす。同様にもう1枚成形する
- フライパンに油を熱して3を入れ、弱火にして両面じっくりと焼く
- 器に盛り、切り分けて食べる