ボルシチに出合った場所を思い出してみると、東京やウクライナ、ベラルーシ、ロシア、中央アジア、コーカサス、バルト、ルーマニア、モルドヴァ、中国のハルピンなど、数え切れません。
メニューにボルシチがあれば、どこの国でも試してきました。東京のロシア大使館でもいただいたことがあります。
ボルシチはウクライナの料理ですが、東ヨーロッパに限らず広く食べられていますし、訪れた場所ではどの国でも、同じ料理名で呼ばれていました。
ポーランドでは白ボルシチ、フランス他ヨーロッパ各地では春になると緑ボルシチが食べられていました。ビーツは入っていませんが、いずれも酸味があるスープです。
初めてボルシチを食べたのは中学の頃です。場所は都心にあったロシア料理店で、担任の先生が連れて行ってくれました。
そのボルシチにはビーツは使われておらず、牛肉入りのトマトスープでした。異国の味に魅せられ、いつか本場の味に触れてみたいと思いました。
興味深かったのは当時、ボルシチにビーツが使われなかったケースもあったことです。
後に私が同じタイプのボルシチに出合ったのは、シベリア地域やイルクーツク、カムチャッカ、ハバロフスク、ウラジオストックといった北方ロシアと、中国のハルピンでした。現在では日本でもビーツが流通し、変化したお店も多いようです。
日本の老舗ロシア料理店の多くが、実は中国のハルピンをルーツとしているようです。
満洲鉄道があった時代。鉄道は大連からハルピン、マンジューリをへて、ロシアの国境の近くまでつながっていました。
当時、革命によってロシア帝国が崩壊し、帝国派の白系ロシア人らが国外に多数亡命しましたが、ハルビンなど満州も亡命先の一つでした。
そのため、満州にいた日本人にボルシチやピロシキ、ペリメリといった食文化が伝わり、戦後、帰国した人たちがロシア料理店を開きました。
ボルシチという名前の語源には諸説あるようですが、「ボル」はウクライナ語でビーツ、「シチ」はキーウ(キエフ)・ルーシ(=キーウ公国。ウクライナ、ロシア、ベラルーシ3国のルーツ)のキャベツスープを指すそうです。
これは「シチー」と呼ばれる、ロシアの国民的スープでもあります。
私自身は歴史の専門家ではありませんが、以前よりボルシチに関してはウクライナ、さかのぼればキーウ・ルーシの料理ととらえています。
キーウ・ルーシは、9世紀にノルマン系のヴァイキング、ルーシがドニェプル川中流に進出して建国したノヴゴロド国がルーツです。
その地の東スラブ人と同化して南下し、10~13世紀には首都をキーウ(現在のウクライナの首都)におき、キーウ・ルーシとして繁栄しました。これが現在のウクライナ、ロシア、ベラルーシのもととなりました。
私は当初、ビーツはロシアやウクライナ辺りの野菜かと思っていました。原産が地中海沿岸であることを知り、ボルシチがウクライナ料理であることとつじつまが合いました。
つまり、ユーラシア大陸でとらえた場合、地中海沿岸のトルコのあたりから黒海をはさんでウクライナに、そして隣国のジョージア、アゼルバイジャン、アルメニアなどのコーカサス地方へ伝わったと推測できるためです。
そこからシベリア側のアジア方面に伝わっていったのでしょう。ロシアやベラルーシよりも先に、ウクライナでビーツが食べられていたのではないかと考えられます。
基本的には骨付きの肉でブイヨンをとったスープに、炒めた野菜類にキャベツの乳酸発酵漬け、その漬け汁を加えたものがシチー。これにビーツを加えるとボルシチになります。
基本はビーツが入ることですが、流通がない地域では「赤いスープ」ととらえられ、トマトベースのものをボルシチと呼んでいるようでした。この場合も、肉でとったブイヨンと、「キャベツの乳酸発酵漬け」は多くの国で共通です。
「キャベツの乳酸発酵漬け」はヨーロッパ全土で古くから食べられているもので、ドイツの「ザワークラウト」と同じく、酸味の強い漬物です。
これは、夏に収穫した野菜を保存するために作られますが、スープや煮込みの具として加えることで、調味料としての役割も果たします。
現在では、ビーツやキャベツは旬の時期には生で加え、酸味を別に加えることもありますし、昔ながらの方法で、乳酸発酵漬けを汁ごと加えることもあります。家庭料理ですからその辺りは大らかですね。
また、さまざまな家庭でボルシチを取材してきましたが、「ボルシチとはどのような料理ですか?」と質問すると、「ウクライナの郷土料理ですよ」といった回答があちこちで返ってきました。
現地では、誰しもが昔から日常的に食べているものですし、家ごとの味があります。近隣諸国に親戚がいることも多いので、文化は影響しあってそれぞれの味になっているように思います。
ウクライナのボルシチは肉、野菜、豆なども加えた具沢山です。それはこの国の大地が肥沃だからでしょう。
ブイヨンは骨付きの肉でとりますが、豚肉や鶏肉が多いです。豚の脂の塩漬け「サーロ」で細切りにしたビーツその他の野菜を炒め、キャベツの乳酸発酵漬け、豆とともに加えて煮込みます。
サーロはラードのようなもので、バター感覚で使われるのがウクライナボルシチの大きな特徴でもあります。
ビーツは旬の時期には生、そうでない時期にはキャベツ同様、乳酸発酵漬けにしたものを汁ごと加えます。
食べるときにはスメタナと呼ばれるサワークリームを加え、バンブーシカという、ネギとにんにくをすり込んだロールパンを添えます。
ロシアでもベラルーシでも、1年を通して食べられているのは鶏肉です。そのほかは、豚、牛など、違いは特にありませんが、具材をヒマワリ油で炒めるところはウクライナと異なります。
また、中央アジアなど、イスラム圏の国では羊をベースにするなど、宗教も関係しています。
ボルシチは本来、骨付きの肉からブイヨンをとりますが、「モスクワ風ボルシチ」は忙しいワーキングウーマンが考案したとされ、ベーコンやソーセージといった加工肉でだしを取ります。短時間でできるスピード料理です。
リトアニアで有名なのは生クリームとヨーグルトを加えた冷たいボルシチです。ジャガイモを添えるのですが、これがまろやかでくせになる味わいです。冷たいボルシチは夏のもので、ウクライナやその他の地域でも食べられていますね。
先ほども話に上った、ロシアのシベリア、イルクーツク、ウラジオストックなど、極北の地域のボルシチは、スープのベースがトマトやニンジンでした。キャベツの乳酸発酵漬けは入っており、食べる際にサワークリームの酸味が加わる点は同じです。
また、中央アジアやウズベキスタンはイスラム教国であるため、羊肉が使われていましたが、シベリア同様、ベースはトマト。すなわち「赤のスープ」をボルシチと呼んでいました。
こうして見ていくと、様々な条件が合わさって、その民族ごとの料理として根付いていることがわかります。
1970年代より40年ほどかけてユーラシア全土を巡ってきました。その間、ソ連末期にゴルバチョフ氏が進めた改革(ペレストロイカ)やソ連崩壊後の「空気」を肌で感じつつ、季節を変えながら繰り返し同じ地域を訪れました。
例えばハルピンのボルシチについては、3回ほど確かめに行きました。そうしてやっと、ニンジン、ジャガイモ、キャベツの入ったトマトスープのようなボルシチに出合うことができました。
こうした経験から、シベリアやハルピンのボルシチにはビーツが入っていないのが定番かもしれないと推測しています。
私は各地を訪問し始めた当初から、食文化のルーツを起点に、それがほかの地域に伝わってどのような影響を受けたり、与えたりしたのかを確認したいという一心でした。
各地の郷土料理とその調理法の全体像を「足で稼いで」突き止めたいという思いは今も変わっていません。もちろん、文化は混ざり合っていますので、論理的な整合性が取れるとは限りませんが。
ルーツのルーツをたどると、古くから人が暮らす地域にたどり着きます。食とは「ある素材でしか作れない、食べられない」をベースに伝わり、変化して根付いていくものなのだと思います。
長い歴史の中で、他文化が入り混じることはあるかもしれませんが、食べることは生きること。ボルシチという料理もこれから先、人々の暮らしとともに、ずっと親しまれていくことを願っています。
ウクライナのボルシチ
乳酸発酵漬けがなくても、すぐに作れる方法です。
●材料
ビーツ(半量はすり下ろし、半量は細切り) 1個
牛もも肉(角切り) 300g
豚バラ肉(粗みじん切り) 100g
乾燥インゲン豆(戻す) 50g
タマネギ(薄切り) 1/2個
ニンジン(細切り) 1/5本
ジャガイモ(皮をむき、細切り)1個
キャベツ(細切り) 2、3枚
リンゴ(種と皮を除いてせん切り) 1/4個
トマトペースト 大さじ1
ニンニク(すりおろす) 1片
塩 小さじ2
こしょう 少々
サワークリーム 適量
ハーブ(ディル、イタリアンパセリ、小ネギなど刻む。飾り分は取り分ける) 大さじ3
●作り方
- 鍋に2リットル水を入れ、牛肉を入れて火にかけ、煮立ったらあくを引き、弱火で約1時間煮る。40分程度のことろでインゲン豆を加える
- 別の鍋に、おろしたビーツ、水1カップ、酢大さじ1(分量外)、砂糖小さじ1(分量外)を加えてサッと煮立てる(乳酸発酵漬けの代わりに)
- フライパンに豚バラ肉を入れて炒める。タマネギ、ニンジン、トマトペースト、細切りのビーツを加えてさらに炒め、1に加える
- ジャガイモ、キャベツ、リンゴを加えて柔らかくななるまで煮込み、2も加えて混ぜ、ニンニクとハーブ、塩、こしょうを加えて火を止める
- 器に盛り、サワークリームと飾り用のハーブを散らす