ジョージアは、ワイン醸造発祥の地として8000年もの歴史を持つと言われる大変古い国です。
ぶどうの原産地でもあり、近年人気のナチュラルワインの愛好家やインポーター、醸造家が一度は訪れたいとあこがれる土地でもあります。
日本とこの国のつき合いは浅く、国交を結んだのは1992年。日本にジョージア大使館ができたのは2006年。それ以前のソビエト連邦時代(70年間)は、食文化についてもほとんど知られていなかったのではないでしょうか。
ここ数年は、日本のシュクメルリ人気ですっかり有名になりましたが、不思議なことに、30年以上に渡ってジョージアに通ってきたものの、この料理名を知ったのはほんの3、4年前のこと。
ジョージア北部ラチャ地方にあるシュクメルリ村周辺には何度か行っていましたが、何か特別に説明をうかがったことはなく、一般的な田舎の村の名前という認識でした。
それ以前のジョージアの書物や食文化の案内を見てもシュクメルリを取り上げたものは見たことがありませんでした。ですので、翌年に日本でブームが起きたときは驚きました。
私がボルシチとピロシキに魅せられて、ソビエト連邦の首都モスクワを訪れたのは1980年代のことでした。
当初はモスクワに行けばある程度ロシア料理のことが分かるのではないかと思っていましたが、もちろん、そんなに簡単にいくはずはありませんでした。
大国ロシアの料理は郷土ごとにとらえる必要があるということ。ソビエト連邦を構成していた15共和国を回らなければ俯瞰することはできないと、何度か通ううちに気がつきました。
モスクワの料理というものは東京同様、様々な地方の寄せ集めのようなところがありました。
例えばボルシチはウクライナ料理なのですが、モスクワ風ボルシチと言えば、時間をかけずに加工肉で煮込みを作るなど、ファストフード的な特徴が一つあります。
ところで江戸料理も地方からの寄せ集めでした。江戸城を築く職人のためのファストフードでもあり、それと似ている部分もあるように思います。
モスクワにある料理店や、様々な地域からモスクワに出て働く人々の家庭料理の味を訪ねる中で、ロシアの郷土料理が主にウクライナ、ベラルーシ、バルト、コーカサス、中央アジア、シベリアの七つに区分されることがわかってきました。
モスクワで料理店に行くとなると、まずはジョージア料理を勧められる。ソビエト連邦の中で最もおいしいとも言われ、食文化の研究には欠かせない国でした。
シベリア以外は現在、独立国となっていますが、ソビエト連邦の領土は広大だったので、アジア側とヨーロッパ側とでは個性も異なります。
ジョージアは「もう一つのシルクロード」と呼ばれるコーカサス地方にあり、多くのキャラバンが東西を行き来しました。農業や遊牧、酪農が盛んです。
ぶどうやくるみの原産地でもあり、果物も豊富です。ヨーグルト、牛乳、バター、サワークリームといった乳製品が本当に美味しい国です。
食材が豊かということは、美味しい料理が生まれる土壌があるといえます。
スパイスを多用するのも特徴的です。他の地域は極寒なため、スパイス類はほぼ収穫できず、料理の最後に生でニンニクを少量加えて風味や香りを残す程度ですが、フェヌグリークをはじめとするスパイスを豊富に使います。
ジョージアの主な宗教はキリスト教で、食べることを禁じられた肉類は特にありませんが、中でもジョージア人は鶏肉をよく食べます。鶏は通年多産系の素材として飼育され、食卓に上がる率が一番高いのです。そう、シュクメルリもまた鶏肉料理なのです。
さて、初めてジョージアを訪れた時は日本とまだ国交もなく、ビザが必須でした。ですから、コーカサス方面に行くこと自体が大変なことでした。
当時は直行便もなく、トルコから行くかモスクワから行くかのどちらか。トランジット時にビザを取るんです。最初に行った時は、モスクワ大学に留学している日本人の方にロシア語通訳も兼ねてついていただきました。
ロシアで合流して、モスクワに1泊する時にアルメニアのビザを取り、そこから飛行機でアルメニアに飛びました。アルメニアではジョージアのビザをとり、今度は車でジョージア入り。
ジョージアではアゼルバイジャンのビザを取り、汽車で出国しました。アゼルバイジャンからはモスクワに飛び、そこからアエロフロートで日本に戻るという忙しい旅です。
その時の思い出といえば、アゼルバイジャンまでの汽車の中で、車掌さんがリベート欲しさにお金を要求してきたことです。こんなこともあろうかと予め予測していましたので、財布のお金は分散して持っていました。
私たちが、日本から持って行ったボールペンやらせんべいやら、羊羹、ワサビといったものを差し出すと、「金目のものを出せ!」と言われました。
彼は目覚まし時計を欲しがったのですが、それを渡すと朝起きられなくなるため、私は拒みました。
そうして大騒ぎしたところ、珍しい東洋人女性がワイワイと騒いでいるところを一目見たいと、乗り合わせた石油ビジネスマンたちがやってきて、たちまち人だかりになりました。
結局、車掌はすごすごと退散。このようなときはすぐにお金を渡さず、皆で騒ぐことが大切なのだという教訓を得ましたね(笑)。
ジョージアに行くと毎回、料理上手の方のお宅にホームステイをしたり、民宿に宿泊して郷土料理を教わっていました。
主にはカヘティアなどの有名なワイナリーがある周辺、ムツヘタ、トビリシ周辺の都市部、山ぎわの田舎の村などに分けられますが、小さな国ですので特に文化が大きく違うことはなく、国全体で同じようなものを食べています。
ただ、コーカサス山脈の先はロシアなので、チェチェン共和国につながる国境地帯などは、外国人の訪問は制限されてきました。
シュクメルリという名前ではなくとも、似たような料理はたくさんいただきました。というのも、ジョージアはとにかく鶏肉料理が有名ですので、鶏肉を焼いてニンニクと煮込んだり、乳製品を入れて煮たようなものは、名もなき煮込み料理として昔からあったと思います。
ただ、古くからの伝統料理の場合は、原産のくるみを使ったものが多いでしょうか。
シュクメルリを教えていただいたのは、私個人の研究旅行ではなく、料理教室の生徒さんに2週間ほど国内をご案内するツアーがきっかけでした。
ガイドの方とともにプランを組み立てる中で、トビリシからテラピーの民宿に宿泊しつつ、民宿の方に料理教室をお願いすることになりました。そこで、現地のガイドさんからのおすすめ料理という感じで出てきたのがシュクメルリでした。
現地で伺ったものは、にんにくを加えて乳製品で鶏肉を煮込むタイプのものでしたが、聞いたところによると、乳製品を加えずにんにくと油を乳化させて鶏肉を煮込む作り方もあるようでした。 この乳製品を使わないシュクメルリこそが、もともとシュクメルリ村の飲食店で作られたものだそうで、それがトビリシなどの都市に広まったという話もあるようです。
いずれにせよ、ここ数十年の料理の様ですが、ある時からシュクメルリ として発信はしているのかもしれません。
出来上がったものは、にんにくいっぱいの鶏のクリーム煮といったところでしたが、使用するにんにくの単位が「かけ」ではなく「個」であるところがこの料理の凄いところです。
牛乳で煮てサワークリームを加えたり、生クリームを水で伸ばして加えるなど、その辺りは好みの様でした。また、チーズも加えたり加えなかったり好みのよう。
スパイスではフェヌグリークを多く使うところが特徴的でした。日本には辛いパプリカというものはありませんが、ジョージアにはどちらもあり、その両方を使っていました。
文化って面白いですね。日本のお寿司も世界の裏側では想像もしない形ではやっています。今後も、そういった偶然を楽しみながら、食文化の体系を辿る旅を続けていきたいと思った次第でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シュクメルリ
●材料(2人分)
鶏もも肉 1枚
にんにく 3かけ(現地では1個使用)
生クリーム 1カップ
塩 小さじ1/2
フェヌグリーク、黒こしょう 、チリパウラー、パプリカパウダー 各少々
バター、オリーブ油 各適量
●作り方
- 鶏肉は、8等分に切り分け塩少々(分量外)をふる。にんにくは粗みじんに切る。
- フライパンにバター、オリーブ油を熱し、1の鶏肉を皮目を下にして並べ、フェヌグリーク、チリパウダーをふる。両面こんがりと焼いて、厚手の鍋に移す。
- 2のフライパンにオリーブ油とニンニクを入れて炒め、水1/2カップと塩を加えて10分ほど煮る。
- 生クリームを加えて少し煮たら2の鶏肉の鍋にかけ、黒胡椒とパプリカパウダーを振って火にかけ、ひと煮立ちさせて火を止める。