前回は個人主体の医療サービスという視点から、セルフケアについてお話ししました。今回は地域主体のサービスについてお話しします
地域主体の保健医療を提供する上で重要となるのは、地域ごとのニーズや特性に合った形でサービスを提供することです。しかし、イギリスでは、これまでその意思決定の多くが政府や官僚によるトップダウンでなされ、必ずしも利用者や現場目線で考えられたものではありませんでした。
国はこれを教訓に、No decision about me, without me(私抜きに私のことを決めないで)をスローガンとして掲げ、現在では、利用者や現場で働く人たちにとって重要なことに重きを置き、地域住民の参加を促し、地域専門職と協働することによって意思決定を行っていくボトムアップの形が進んでいます。
今回は、こうしたボトムアップ型のシステムについて、「かかりつけ医療機関」と「地域医療」の2つのレベルに分けて簡単に説明していきます。
1)かかりつけ医療機関レベル
まずは、かかりつけ医療機関レベルでのお話です。イギリスでは、各々のかかりつけ医療機関がそれぞれの利用者のニーズに合ったサービスを提供できるよう、Patient Participation Group(患者参加グループ)というものが医療機関ごとに新しく作られています。
このグループは、かかりつけ医療機関の利用者たちで構成され、医療機関側と定期的に集まり話し合うことで、提供されるサービスに利用者のニーズをより的確に反映させようというものです。特に定員はありませんが、利用者全般のニーズが把握しやすいように、できるだけ利用者層を反映した構成になるようにしています。
私が務める診療所でも、この仕組みによって、サービス内容を変えてきました。例えば、イギリスの多くの地域では待ち時間が少なくてすむ予約外来の方が人気がありますが、私のところでは、それよりも予約不要のウォークイン外来にしてほしいとの利用者の声が多かったため、平日午前中の予約外来をウォークイン外来に変えた経緯があります(第15回)。また、診療所に電話した際に最初に流れる自動音声メッセージが長いとのことで短縮したり、待合室の掲示板に貼っている情報が多すぎるとのことで、重要なものを厳選して提示するようにもしました。
こうした話し合い以外にも、常時受け付けている患者や家族からのフィードバックや、国が定期的に行う患者体験調査(GP Patient Survey)の結果なども参考にし、サービスに反映させるようにしています。
多くのかかりつけ医療機関では、これらの集まりの議事録を自分たちのホームページ上で公開しています。また、GP Patient surveyの結果もネット上で誰でもアクセスできるようになっています。
2)地域医療レベル
次は、地域医療レベルのお話です。各地域がそれぞれの実態に合った地域医療を提供できるように、Clinical Commissioning Group(以下CCG)と呼ばれる組織が地域単位で作られています。
この組織の主な役割は、地域の状況やニーズに応じたサービスが何かを考え、公的、民間、サードセクターといったサービス提供者の立場に関係なく最も適していると考えられるところに必要な資源を分配することです。この「委託」のプロセスを、英語では「Commissioning」と言います。
CCGから委託を受けるのは、地域によって差はありますが、二次医療、コミュニティサービス、プライマリ・ケアなどで、CCGはこうしたサービスへの予算配分や政策の決定など地域医療の運営を担っています。これにより、イギリスの公的保健医療制度(NHS)に使われるお金の大部分はCCGが管理しています。
以前は、こうした地域の医療政策を、各地域に存在するPrimary Care Trustと呼ばれる組織が担っていました。しかし、出だしでも少し触れましたが、この組織は、現場への理解が不十分かつ全体的な視点が欠けるメンバーを中心に構成されていて、地域の実態に基づかないトップダウンの政策決定が繰り返されている、という批判がありました。
そうした状況を打開するため、この組織を解体し、新しく設立されたのがCCGです。
この新しい組織の運営を担う執行部は、かかりつけ医(GP)、住民代表、二次医療医師などのメンバーで構成されています。
例えば、私が住んでいるリーズのCCG執行部のメンバーは全員で14人、かかりつけ医6人、住民代表2人以外にも、二次医療医師、公衆衛生専門家、経営責任者、財務責任者などがいます。
ここでは、地域のかかりつけ医が住民代表と協働して、組織運営の中心を担っています。医療は専門性が高いことから、住民や患者の声が必ずしもサービス利用者の真の医療的なニーズとは限りません。このため、地域住民のニーズを誰よりも理解し、総合的な専門性を持つ地域のかかりつけ医に、医療政策の権限を委ね、各地域で必要なサービスの調整をお願いする、という考えからです。
2013年に始まったこの取り組みによって、全国のかかりつけ医療機関の全てはそれぞれの地域のCCGの傘下に入ることとなりました。リーズCCGは95のかかりつけ医療機関が属する組織で、約90万人の人口をカバーしています。NHS Englandによると、現時点で全国に約140のCCGがあります。
CCG執行部に加わるかかりつけ医は、その地域で従事する人たちの中で立候補者を募り、投票によって選ばれます。メンバーになった者は地域のかかりつけ医集団と連携を取り、ローカルな状況に応じた政策を目指します。
こうした地域医療政策の一つの例として、リーズCCGの最近の取り組みを紹介します。
以前、リーズでは大腸がん検診の受診率が、国の目標である60%を下回っていることが問題となっていました。がん検診受診率の詳しい調査をしたところ、裕福な人々が多く住む地区では70%を超える受診率であったのに対し、貧しい人々が多く住む地区の受診率は20%ほどと、とても大きな格差があることがわかりました。リーズはイギリスで3番目に大きい都市で、こうした都市部には、大きな健康格差があることが知られています。特にこうした貧しい人々が多く住む地区を中心に、受診率を改善するための対策が必要でした。そこで、こうした地区にあるかかりつけ医療機関から1人責任者を決めてもらい、その人々に検診普及のための教育、資料などを提供しました。その人達が特定の住民集団に対して、がん検診を受けてもらうようにアプローチすることで、受診率が大きく改善し、リーズ全体のがん検診率が目標の60%を超えました。
このようにボトムアップの形で地域政策を行うことは、地域の特性に合ったサービスをデザインできるというメリットが大きい一方、CCG執行部の中心メンバーであるかかりつけ医たちが公的な資源を自ら提供するサービスに私的に配分するというリスクも生まれます。
これに対し、利益相反を管理するためのシステム強化が始まっていて、次のような様々な予防手段が取られています。
- 最低3名の住民代表を執行部メンバーとして加える(リーズCCGは現在もう1人の住民代表を選考中)
- 執行部メンバーのうち誰かが利益相反の番人(ガーディアン)の役割を担う
- 執行部メンバーが受けた贈呈物や接待を外部公表する
- 利益相反の管理に関する研修を必須化する
- プライマリ・ケアサービスの委託を担う委員会の長は住民代表が務める
また、透明性を高めていくために、誰でも執行部の会議の場に足を運んで傍聴できるようにしたり、会議の議事録をCCGのホームページ上で公開したり、最近では新型コロナウィルスの影響から会議をYoutube上でライブ公開するなどの動きが全国で広がっています。
以上になります。
次回は、生活を支えることについてお話しします。