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ロバート キャンベルさん 日本の弁当は「一瞬を閉じ込める、時間の芸術」

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ロバート キャンベルさん
ロバート キャンベルさん=2023年6月、東京都内、新屋絵理撮影

日本文学や美術が専門のロバート キャンベルさんは、日本の弁当をどう見るのでしょうか。弁当にまつわる思い出とともに聞きました。(聞き手・丹内敦子)

弁当と洋食を絵に例えてみると、弁当は「掛け軸」、洋食は「絵巻」と言えるかもしれません。 

洋食は、レストランでも家庭でも、前菜、メインと順番に出てきます。フランス料理には起承転結があり、時間軸に沿って箸休めがあり、軽重があって、時間の流れの中で変化を楽しむ「絵巻」のように感じます。

これに対して弁当は、一瞬で見せる時間の芸術で、一つの空間にさまざまな時間を閉じ込めて見せます。揚げ物、煮物、焼き物、菓子など、一括して世界を一枚の絵画で提示して見せる。いわば「掛け軸」のようなものです。

私は料理の写真を撮るのが好きでよくスマホで撮影しています。ふつうの料理は斜め上から撮りますが、弁当の写真はいつも真上から。そこには一つの宇宙があり、夜空を眺めているような気持ちになります。上からのぞき、しばらく思索する。次々と運ばれてくる料理にはそうした時間はありません。

ロバート キャンベルさん=2023年6月、東京都内、新屋絵理撮影
ロバート キャンベルさん=2023年6月、東京都内、新屋絵理撮影

弁当を考えるとき、私は弁当箱のふたに大切な役割があるように感じます。これは硯(すずり)箱にも共通しています。 

昔から日本の家屋は、日中の居間などは、みんなが使う部屋になります。そうした場所で、硯箱はオフィシャルな場所に置かれても、ふたがあることでパーソナルな空間を作る。そこに恋文や手形など人に見られたくないものを入れられる。あるいは、ふたを開けることで、来客らに何かを見せて演出することもできる。

これは弁当のふたにもつながると思うのです。ふたをすることでパーソナルな感覚が生まれ、孤食に向く空間が生まれるのではないか。

私が子ども時代を過ごしたアメリカの弁当は、茶色の紙袋にアルミホイルに包んだサンドイッチとゆで卵、バナナを入れて持っていくぐらいでした。東大で教壇に立ち、そして国文学研究資料館の館長をしていたときは、パートナーが弁当を作ってくれました。ごまあえや焼き魚など、健康的な献立で、お昼になるのが待ち遠しかった。それが私の仕事人生の中で、最もおいしい弁当でした。