コロナ禍は、それぞれの国の「暮らし」を一度立ち止まらせた。これまであたり前だったことに制限がかかり、自分は何を大事に生きていきたいかという「本音」も棚卸しされた。
食べることに関してはどうだろう。キッチンや菜園に立つことに、心の安らぎをおぼえるか、豊富になったテイクアウトやデリバリーを利用して、24時間を自由に使うのがいいか。何が大事?
Bentoを改めて定義するなら、家の食事を外の空間に持ち出すものである。一方で、外での食事と時間を家の中に持ち込む手段になる。この「空間」と「時間」に加え、そこで繰り広げられる人間関係という「情感」も持っている。
「フランスの美食術」は2010年、ユネスコの無形文化遺産に登録された。食事の空間やサービス、コース料理にかけるたっぷりの時間を含めて、自国の文化だと宣言していたわけだ。
南仏のレストランが昼食用に考えたBentoは、なるほど、横に伸びていくコース料理の時間を、重箱に詰めることで縦に積み上げたものだった。
現代の客も店も、食事時間の合理化にはメリットを感じていて、Bentoという異文化のスタイルを取り込むことで、改革を成立させた。漫画など現代の日本のカルチャーに対するいいイメージも時代を後押しする。
「プラットフォーム料理」というとらえ方を、東京での食文化研究者の集まりで教わった。
ラーメン、サンドイッチやすしなど、決まった土台を好みでカスタマイズしても成立する料理ほど、世界進出しやすく、その土地のものと出合って、新たな文化をつくっていくというものだ。
確かにフランスパンはベトナムに残ってチャーシューやパクチーを挟むサンドイッチになり、日本ではバターと小豆のあんこをこんもりとのせている。
Bentoの箱も、プラットフォームになる。日本の工業デザイナーの草分け、栄久庵(えくあん)憲司は1980年の著書『幕の内弁当の美学 日本的発想の原点』の中で、とりどりの料理の盛り込まれた弁当を上から眺め「多元なるものの一元化」と書いた。
さまざまなものを集めながら、箱の中で一定の秩序を感じさせていると。引き合いに出していた弁当の器は、松花堂だった。四角い箱の中が田の字に仕切られたもので、もともとは生活の道具。昭和の初めに料理人・湯木貞一が、茶事で大勢に食事を出すために使って広まったと『吉兆味ばなし 一』にある。
湯木は、家の料理でも松花堂に盛り込むと「おいしそうにまとまる」、あれを食べこれを食べして「たのしさが出る」と語っていた。
世界各地で進化するBentoも、料理とともにそれぞれの文化を盛りつけ、ふたをして、手渡されていく。コロナ禍をくぐりぬけ、得るものがタイムパフォーマンスだけでは味気ない。食を他者と分かち合い、共に食べるという人間の営みが続くように、Bentoを持って外に出たい。