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メニューはおまかせコースただ一つ 三つ星「カンテサンス」岸田周三シェフの哲学

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
レストラン「カンテサンス」のオーナーシェフの岸田周三。食後にあいさつするときも、客の表情や声のトーンを観察して、料理やサービスに見直すべき点はないかと考えている=恵原弘太郎撮影

1コースのみ、といっても、内容は客によって異なる。「トマトが苦手」「牛肉が食べられない」。客一人ひとりの好みをすべて事前に聞き取り、2日前にメニューを確定させる。食材は当日の朝に届き、何一つ余らせずその日のうちに使い切る。「余った食材を次の日に使い回すことは一切ない。その1日の差がクオリティーに響いてくる」

世界で最も知られたガイドブック「ミシュランガイド」で14年連続、最高の三つ星を得てきた。「魚介や肉などの焼き加減は類を見ない精妙さ」「常に進化を遂げた『作品』を生み出す」とミシュランは評価する。

■同じ努力では「一流」になれない

志摩観光ホテルに入社したころ、家族と(後列右が岸田周三さん)=家族提供

子どもの頃から料理人にあこがれた。当時、グルメブームの真っ盛り。親が共働きで、夕飯や弁当作りを手伝いながら料理に親しんだ。「母が『おいしいね』『ありがとう』と喜んでくれるのがうれしかった」

調理師専門学校卒業後、「30歳で料理長に」との目標を固め、観光ホテルなどで8年間修業。26歳でフランスに渡り、その後の岸田の料理に大きな影響を与える「師匠」に出会う。パリで話題を呼んでいた「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボだ。「フランス料理とはこうあるべきだ」というセオリーを次々と覆す料理人だった。「衝撃的でした。こんなフランス料理があるのかと。今まで食べてきた料理とは全く違うものだった」

例えばソース。バルボは言った。「ソースは要らない」。日本で「フランス料理の肝はソース」と教わってきた岸田は驚いた。

バルボは続けた。「肉を焼いて逃げ出したものをソースにしてかけて食べるという発想が古い。肉に内蔵されたエッセンスを逃がさなければいい」。従来の常識にとらわれず魚の焼き方から塩のふり方まで徹底してこだわり抜く。「数字にならない部分からが料理人の真骨頂」と徹底的にたたき込まれた。

当時、アストランスで共に働き、現在はパリで「ES」のオーナーシェフをする本城昂結稀(41)は、岸田のことを「バルボシェフの意図を誰よりも理解していた」と振り返る。

岸田はバルボがそうしたようにすべてのセオリーを疑う。

「100年も200年も前にフランスで作られたシステムをいまだに『これが本物だ』と言い張っていること自体が思考停止だ」

「この100年の間に調理技術も機材も進化した。今まで1週間かかって届いていた食材が半日で届くようになったのに、なぜ昔と同じ香辛料をかけて臭み抜きするのか」

幼いころに抱いた「一流の料理人になる」との大志を一時も離さなかった。「みんなと同じ程度の努力にとどまったら、同じ程度の能力しか身につかない」。周りから貪欲に学び、良いと思ったところを吸収し、少しずつ地歩を築いてきた。

渡仏したとき手元にあったのは30万円だけ。つてもなく、勤め先どころか、その日の宿泊先も決まっていなかった。ミシュランガイドを買い、片言のフランス語で名のある店に片っ端から電話をかけたが、すべて断られた。帰国も覚悟したときブラッスリー(大衆居酒屋)で働き口を見つけた。

どんな雑用も「やらせてくれ」と引き受けた。次第に周りの見る目が変わり、仲間と認められた。信頼関係ができると、希望する次の働き口も紹介してもらえるようになった。一つ星、二つ星、三つ星と修業を重ねていった。

■「どうしても一緒に働きたい」と思える人に

食後にあいさつするときも、客の表情や声のトーンを観察して、料理やサービスに見直すべき点はないかと考えている=恵原弘太郎撮影

アストランスでも「働きたい」と直談判しては断られ続けた。1年ほどたったとき、夏休みに1カ月間だけ「無給の研修なら」と言われ、「ぜひ」と即答した。研修生が正社員になれることはほとんどない。「『こいつとどうしても働きたい』と思わせればいい」

朝、誰よりも早く厨房に来て、みんなが来る前に自分の仕事を全部終わらせ、同僚を手伝った。その日に必要な調理器具や食材をすべて用意しておき、言われたら瞬時に出せるよう隠し持った。1カ月後、正式に採用され、1年後にはナンバー2のスーシェフを任された。

休みの日には取引先の肉屋で働かせてもらい熟成の方法を教わり、パン屋や菓子屋でも教えをこうた。みんなが休む休憩時間も働いた。同僚だった本城は言う。「料理だけではない。仕事に対する取り組み方や姿勢もすごい」

■熱々にこだわり、時間との闘い

「ミシュランガイド東京2020」で、13年連続で三つ星を獲得した

「おいしい」とは何か。岸田はいまも「数値化されたものがあるわけではない。あやふやで、ぼんやりしていて、本当に難しい」と言う。最後に信じるのは自分の感覚だ。

「結局、自分がおいしいと思ったものを追体験してもらうのが料理」だと思う。だから、自分の「おいしい」にとことんこだわる。

日本航空(JAL)は昨年9月からファーストクラスで提供している機内食について岸田に監修を頼んだ。「空の上のレストラン」をコンセプトにした機内食で「新しい価値観を打ち出したい」と期待した。

ただ、機内ではオペレーション上、様々な制約がある。最大の課題は温度管理だった。岸田は「熱々」での提供を求めたが、繊細な盛りつけにするほど乗務員の手がかかり冷めてしまう。オーブンから出して乗客の手元に届くまでの数十秒をいかに削るか。あらゆる手順を見直す中、岸田は盛りつけ順に素材を真空パックにつめて調理する方法を提案した。

商品・サービス開発部の貝阿彌(かいあみ)直子(38)は「今までにないやり方で驚いた。お客様の口に入ったときにベストの状態にするためにはどうしたらいいかをすごく考えられていた」。

岸田は言う。「20秒が10秒になったからといって、劇的に料理がおいしくなるのかと言ったら、お客さんにはわからないかも知れない。でも、そういうこだわりを10個、20個、30個と詰め込むことによって劇的に味は変わってくる」。スプリンターが0.01秒を競って、本人にしか分からない世界で走り方を変えていくように。「もっと限界に挑戦していきたい」(文中敬称略)

■Profile

  • 1974 東京都町田市で生まれる。幼少期に愛知県に引っ越す
  • 1993 名古屋調理師専門学校卒業。三重県の志摩観光ホテルに就職
  • 1996 東京都渋谷区のフレンチレストランに入社
  • 2000 フランスに渡る
  • 2003 パリで注目されていた「アストランス」で働き始める
  • 2004 アストランスでスーシェフ(副料理長)に就任
  • 2006 カンテサンスを開店
  • 2007 ミシュランガイド東京で三つ星を獲得
  • 2011 カンテサンスのオーナーシェフに
  • 2017 海の資源を守る活動をする「シェフス フォー ザ ブルー」の立ち上げに参加
  • 2020 14年連続で三つ星を獲得。この年に新設された環境への配慮を評価する「グリーンスター」も得る

セミナーで海洋資源の保全を訴える(シェフス フォー ザ ブルー提供)

■海が危ない………2017年に日本を代表するシェフらと持続可能な海を目指す「シェフスフォーザブルー」を立ち上げた。つき動かしたのは年々魚がとれなくなる危機感だった。以前は買えた魚が手に入らず、質も悪くなるばかり。環境の激変を肌で感じていた。勉強会を通じて過剰漁獲の実態を知った。「料理人は水産資源の恩恵を一番受けている。海に対してやるべきことがある」。資源管理の重要性を知ってもらおうとイベントなどで発信している。

■40歳を過ぎてから………体力勝負の厨房で数年前から急に体の衰えを感じた。「この先、あと何年仕事ができるのか」と不安にかられ、ウェートトレーニングを開始。ジムで週2回、自宅でも体を鍛えると体脂肪率は10%、体重計の評価は「セミアスリート」に。「今が人生の中で一番体力があるんじゃないか」と笑う。