【もとの記事】フランスの三つ星シェフも惚れた 梶谷譲のハーブがつくる「別世界」
世界の料理人が惚れ込む広島のハーブ農家、梶谷譲さん(40)を描いた「突破する力」(4月号)には「料理人の方に梶谷さんのハーブを選ぶ理由を聞きたい。家で作れるレシピも教えて」(東京都・道野真貴子さん 46歳)とのリクエストがあった。ベランダの鉢植えでペパーミントやレモングラスを育て、ポトフや豚肉のトマト煮込みにはセージの葉を入れるというハーブ好きの道野さんの声を受けて10月下旬、梶谷さんのハーブを使う東京・中目黒のミシュラン一つ星フレンチ「クラフタル」を訪ねた。
梶谷さんのハーブを選ぶ理由を聞くと、シェフの大土橋(おおつちはし)真也さん(35)は開口一番、「生命力がみなぎっているから」と一言。口に含むと「昨日は雨だったんだな」「空気が乾燥してる」などと農園の情景が目に浮かぶのだという。「ふつうのハーブは柔らかくて中が透けて見える。単に上に向かって伸びた感じ。梶谷農園のものは葉っぱから根っこの先まで味が強烈です」。味わいが続くのも強みだ。「料理は咀嚼していただくもの。最初の存在感も大切だけど、記憶に残せるかはもっと大事です。その点、梶屋さんのハーブは、味や香りが余韻として残るので欠かせません」
大土橋さんはフランスで料理の修行をした後、前の店で働いていた時に梶谷さんのハーブに出合い、「独立したら絶対に使う」と決めていた。だが、いざ頼むと、あっさりと「だめです」と断られてしまった。農園に2年間、足を運び続けて、2年前にやっと取引できるようになった。大土橋さんは「(ミシュランの)星が付いたからじゃない?」と笑うが、梶谷さんは「一度OKしたら満足してもらえるものを提供し続けないといけないから」と時間が必要だった理由を明かす。
ハーブを使うことで、料理はどのように変わるのだろうか。大土橋さんはメニューを考案するとき、口に入れたときから飲み込んでなくなるまで、時間の経過とともに、食感や香り、味がどのように変化していくかを考えながら構成していく。「梶谷さんのハーブも見た目の美しさ、かわいさだけでは絶対用いません。なぜそこに置くのか、素材はハーブである必要があるのか。考え尽くします」
さて、道野さんからリクエストのあった、ハーブを使った料理の作り方のコツを聞かなければ。桜の名所として知られる目黒川沿いのレストランで、大きな窓から差し込む光のなか、ハーブを使った料理をつくってもらった。
まず作ってくれたのが、片手でつまめる大きさの北欧風のオープンサンドだ。薄いライ麦パンにサワークリームを塗って、煮詰めるなどして果実を濃縮させたピンクグレープフルーツの粒を敷き詰める。主役は信州サーモン。バニラ香るまろやかなムースに仕立てた。最後に酸味の強いオゼイユの葉を散らすことで、味の輪郭が際立つという。
オープンサンドと同じお皿に盛り付けるのは、やはり信州サーモンを使った一品。マリネしたサーモンには相性のいいディルを添える。大土橋さんが手のひらにのせてくれたディルを口に入れると、ほんのりとした甘みと清涼感のある香りが広がった。ディルと、ディルのオイルを合わせて用いることで、奥行きが出る。大土橋さんは丸い鏡の皿の中央に信州サーモンをのせ、さらにイクラや完熟梅のソース、粒マスタードなどをキャンバスに描くように一つ一つ慎重に仕上げていった。
でき上がった品がテーブルに運ばれてきた。華やかな色合いに目を奪われつつ、まずオープンサンドをいただく。ライ麦パンとサワークリームの酸味と、グレープフルーツの苦みと甘み、みずみずしさ。サーモンのムースの口当たりのよさがそこに融和する。味全体に一体感を持たせて、引き締めているのが、オゼイユの酸味だと感じた。
サーモンのマリネは、舌にまとわりつくようにねっとりして、口の中で弾けるイクラと対照的な食感だ。ここに、甘みの強い梅のソースとディルのほのかな甘みと、粒マスタードやぴりっと辛いナスタチウムの花がアクセントになっている。口の中から消えても、ディルのオイルの味わいや香りが続いていた。
次に出てきたのは、薄く切った牛肉を使った「しゃぶしゃぶ」のような一品。薄切りの鹿児島の黒牛で巻いたレッド水菜は、濃厚なコンソメソースにくぐらせる。仕上げに細かく刻んだナスタチウムの葉を薬味のように使う。しゃきしゃきした食感の残るレッド水菜と、とろけるほど柔らかな牛肉に、ナスタチウムの鮮烈な辛みが深みを増している。
どの料理も、決して量が多いわけではないハーブが、味のまとめ役や引き立て役になっている。ハーブの存在感と奥深さを、改めて感じた。
「こんな使い方もあるんだ」と驚いていると「さっと火を通したハーブを具材にしたしゃぶしゃぶは、おうちでもできるのでは」と大土橋さんが教えてくれた。
しゃぶしゃぶはごまダレやポン酢につけていただくのが定番だが、こうした「タレ」もハーブを使えば、簡単にワンランク上げられるという。ごまダレにはルッコラを刻んで入れると、ごまの風味が増す。ポン酢には、ざく切りにした貝割れ菜を入れると大根おろしの代わりになり、一層香りが引き立つという。確かに、それなら大根をおろすよりも簡単だ。貝割れ菜を「ハーブ」だと考えたことはなかったが、こんなに身近な食材でもいいのかというと、ぐっと敷居が下がった気がしてうれしくなった。
ハーブはここ数年で、日本でも近所のスーパーにも並ぶほどに身近になってきた。梶谷さんのもとにも20代、30代から「研修させてほしい」「ハーブについて学びたい」という問い合わせが増えたという。進路に悩む高校生から、直筆の手紙も送られてきた。「食に関心のある若者にとって、農業も職業の選択肢の一つになれば」と梶谷さんは思っている。
2年前からは、フィリピンの実習生と一緒に働いている。笑顔の絶えない明るい人柄と懸命な仕事ぶりで、作業効率は格段にあがったという。2人だった実習生も今や5人になった。来年、実習生たちが帰国するのに合わせて、首都のマニラとセブ島に農園を開く計画を立てている。運営は彼らに任せ、フィリピンでハーブの可能性を広げていきたいと考えている。「フィリピンはグルメの発展途上段階だから、伸びしろを感じるんです」