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料理の撮影に夢中の客にイラッ そういう私もやっぱり写真を撮っている

マイケル・ブースの世界を食べる
北村玲奈撮影

レストランで誰かが料理の写真を撮るのを見て、イラッとすることはないだろうか。

彼らが「今この瞬間を生きる」のでなく、食事の写真をSNSでシェアするのに時間をとられている(世界的にも食べ物はインスタグラム上で一番よく写真に撮られる被写体だ)と気をもんだり、他人の食事を邪魔するばかりか、一番いい状態で料理を出そうとするシェフやホールスタッフの努力を台無しにしているじゃないか、と感じたり。

食やレストランについて執筆しながら世界を旅していると、自前の照明や三脚を店に持ち込むフードブロガーたちを目にすることがある。よりよいアングルのためにイスの上に立ったり、もっと光を当てようと窓側の他の客のテーブルへ皿を動かしたりする人もいる。

ロンドンのとある店がオープニングを迎えた夜、著名な批評家が怒り心頭で、「とっとと食べたらどうなんだ」と、店中に響き渡るような大声をあげるのを目撃した。人気ブロガーが前菜を撮ろうとカメラを手にあれこれしていたせいで、批評家にメインディッシュを運んできたスタッフが動くに動けず、料理が冷めてしまったのだ。ニューヨークのモモフク・コーや東京のすきやばし次郎が写真撮影を禁止しているのも理解できる。

シェフの多くは、料理を写真に撮られることを嫌う。前述の理由だけでなく、写真は料理をまずそうに見せることが多いからだ。実物より脂っぽく見えたり、レンズがほこりで汚れていたり、人工光で何もかも黄色くなったりする。フラッシュを使えば、テーブルの上はまるで犯行現場を撮ったみたいに見える。

正直なところ、本当においしいものは見た目もいい、というわけではない。たとえばフランスの煮込み料理や多くのインド料理がそうだ。多くの食材は、茶色くなったときに最大限においしくなる。そして茶色は、写真映えがよくないものだ。

中には、食べるものすべてを写真におさめるという風潮を受け入れているシェフもいる。ここ数年、明らかにインスタできれいに見せるためだけにデザインされた料理を食べてきたが、どれもゴミみたいな味だった。たいてい、虹みたいに7色の食材が盛り込まれている。

しかし白状したい。

私も店で食事をするとき、料理の写真を撮っている!

とにかく素早く、一人淡々と。フラッシュなどもってのほか。写真があれば料理について書くときも記憶が呼び起こされるし、食のトレンドや特定のレストランについて長めの記事を書くとなれば、何年も前の思い出深い料理を見返すこともできる……。これが一応の言い訳ではあるが、まあ結局、私も料理の写真を見るのが好きなのだ。それが日本料理ならば特に。

■美を極める懐石料理

パリのル・コルドン・ブルーでシェフになるための修業をしていたころ、古典的なスタイルで腕を磨いてきた年配のフランス人シェフの先生方からよく言い聞かせられた。「まずは目で味わえ」と。料理の見栄えは、味や食感と同じように重要なのだと。そして、日本ほどそれがあてはまる国はない。ラーメンやカレーの店でさえ、料理をできる限り魅力的に見せようと、シェフは最大限努力しているのだ。

おそらくこれは、日本の鎖国時代に開花した独自の美学によるものだろう。食に限らず、陶芸から庭園、芸術にわたり何もかも美が追求された時代だ。そのアプローチは今、懐石料理において絶頂を極めている。世界で最も美しく、食べ物の中でも限りなくアートに近い。

あまりの美しさに、懐石の店で料理を写真に残さないなんて犯罪のような気がしてしまう。その存在を記録することなく、偉大な美や技巧を単なる栄養、腹の足しへとおとしめる行為は倫理的に間違っている。2次元上で記録され、世界に共有されたいと、料理が望んでいるのだ。これも言い訳だけど。(訳・菴原みなと)