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近い? 遠い? 初の高速鉄道で結ばれた香港と中国本土の距離感(後編)

鉄輪で行く中国・アジア 更新日: 公開日:
香港と中国大陸を結ぶ高速鉄道の開業日、広州南駅のホームで自撮りする乗客=2018年9月23日、広州市、吉岡桂子撮影

中国で祖先のお墓参りをする清明節を控えた週末、9月23日。香港と本土を結ぶ高速鉄道が開業した日も、私は香港にいた。広州の友人に会う約束があった。ホヤホヤの高速鉄道に乗らない手はない。ネットで探した中国の旅行代理店に注文した。

初日に乗りたい「テツ」がつめかけているとみえて混んでいる。何度かメールでやりとりした後、なんとか朝の便をゲットした。香港を午前10時に発車するG6548号。10時47分には広州南駅に着く。1等席が371香港ドル(約5400円)だ。切符の受け取りや荷物検査、パスポートチェックなどに時間がかかるため、2時間前には駅に行くように、旅行代理店からメールで注意書きが届いた。列車に乗っている時間より、駅で待つ時間が長いではないか!

中国本土の直通する高速鉄道の開業日、香港側の西九竜駅は早朝から大混雑だった=2018年9月23日、香港、吉岡桂子撮影

初日は混乱していた。窓口は長蛇の列。休日でもあり、初乗りを楽しもうとやってきた人が目につく。切符を受け取る窓口に1時間近く並んだ。のちに報道で知ったことだが、発券システムが故障し、自動券売機が使えなかったり、停電が起きて列車が遅れたりしていた。高速鉄道にも飛行機のように手荷物の重さの制限があるが、本土からのお客さんはそれを知らず、職員に注意されてもめるケースも相次いだようだ。

私が初日の切符を正規のサイトで買えなかったのも、こうした混乱が背景にあったのかもしれない。いまは、香港の場合はスマホには対応していないが、外国人も正規のサイトで事前購入でき、窓口で切符を受け取ることができる。

開業を祝ってオレンジ色の風船がぷくぷくと飾られた改札をくぐって、飛行機に乗る前のような荷物の検査を受けた。香港側のイミグレーションへと進む。パスポートを見せて香港を離れる手続きをする。抜けると、簡単な免税店があった。高級タバコやお酒が中心だ。中国の高級白酒、マオタイ酒に混じって、サントリーのウイスキー「響」も置いてある。さらに進むと、床に黄色い線が引かれている。香港と内地(中国本土を指す)の境界を示すものだ。記念撮影の名所になっている。私もスマホで写真を撮ろうとすると、香港側は大丈夫だったが、大陸側では「ここで写真を撮るな」と注意する職員が現れた。

西九竜駅構内にある中国と香港の境界線。「内地」が中国大陸側。記念撮影の名所だ=2018年10月21日、香港、吉岡桂子撮影

その境界を越えると、中国側のイミグレーションが見えてくる。「あなたは内地のエリアに入ります」。黒い看板が目に入る。再びパスポートを取り出す。内地、つまり中国本土に入る手続きをした。担当官は記者ビザがベタベタ貼られたパスポートをじっと見ている。

「今回は?」

「高速鉄道に開業初日に乗りたくてきました」

「そうですか。お気をつけて」

扱いはとても丁寧だった。両側とも窓口がたくさんある。たいして並ばずにすんだ。合計で10分もかからなかった。

高速鉄道の香港側の西九竜駅に、内地、つまり中国本土の税関職員らが業務を行う区域がある。香港にもかかわらず中国の法律が適用され、香港の民主派から強い反発を招いた=2018年9月23日、香港、吉岡桂子撮影

香港の正式名称は中華人民共和国香港特別行政区。1997年に英国から中国に返還されたが、「一国二制度」の高度な自治のもと、パスポートの種類も違う。香港と中国本土との往来は、定められた地点で出入境審査を受ける。いわゆる出入国検査と形式はほぼ同じである。主な場所は15カ所ある。香港やマカオの人々は、本土との往来にあたって「港澳居民来往内地通行証」というカードを使う。

在来線の本土直行便の場合、出発駅である紅磡(ホンハム)駅で香港を離れる手続きをし、いったん列車に乗る。その後、広州東駅や上海駅など降車駅で本土に入る手続きをする。高速鉄道の場合、先に書いたように、香港の西九竜駅内に出入境審査を集約した。1カ所で両方が検査をする意味で「一地両検」と呼ばれ、香港では問題視された。とりわけ、民主派の猛反発を招いた。返還時の約束として「一国二制度」のもと、原則として香港では中国の法律を適用しないことになっている。この「法執行の分離」は、香港の「憲法」ともいわれる香港基本法の根幹にあたる。中国の税関の職員や警察官が香港の領域で職務を執行する「一地両検」は、それに反する、と。

香港に入ったり出たりする手続きをする場所。こちらは香港政府が業務を行っている=2018年9月23日、香港・西九竜駅、吉岡桂子撮影

ロンドンとパリやブリュッセルなど欧州大陸とを結ぶ高速列車ユーロスターも、出発前に双方が同じ駅で出入国審査をする。仕組みは同じだ。そのほうが便利だからで、とくに問題にはならない。しかし、香港で強い反発が出たのは、香港の民主派と大陸の政府の間には、同じ国でありながら欧州の国どうしのような信頼はない、ということを映している。

当然だろう。ここ数年、中国政府から香港への圧力は増している。とりわけ、14年の雨傘運動以降、激しくなっている。中国政府に批判的な候補者を事実上締め出す選挙制度に反発して、若者たち数万人が香港島の中心部を占拠した運動である。その後も当選した民主派の一部が、議員の資格を奪われたり、中国を批判する書店関係者が連行されたりした。さらに、最近は独立派代表が登壇する講演会で司会をした英フィナンシャル・タイムズの英国人記者に対して、香港政府は就労ビザを延長せず、事実上追放した。こうした積み重ねが、香港の人々の中国政府、その支配下にあるように見える香港政府への不信を高めている。

上海生まれで香港に移住して長い60代の知人も言う。「香港の中心部に中国本土の政府が管理し、法律を執行する場があることは許せない。香港の主権の問題だ。雨傘運動以降、中国と香港の政治的な違いは、ますますはっきりしてきたではないか」

民主派学生らが路上を占拠し始めて1カ月たったのに合わせ、運動の象徴になっている傘をひろげる市民ら=2014年10月28日、香港・金鐘、古谷祐伸撮影

おめでたいはずの両地を結ぶ高速鉄道の開通がむしろ、離反する気持ちを露呈させる機会になった。香港が持つ独自性を失うことへの嫌悪感にもつながった。皮肉なことだ。

ただ、開業初日は大きな反対運動はなかった。知人のひとりは「できたものに文句を言ってもどうにもならない。抗議行動をすれば、相手の価値を高めてしまうだけ。無視して、使わないのが一番」と語った。いっぽう、中国側は「一部の人の政治的な目的で反発された」「理性的ではない」(中国共産党機関紙人民日報)と切って捨てている。 

心の距離は遠い。

開業を祝う風船で飾られた改札の前で自撮りする乗客ら=2018年9月23日、香港・西九竜駅、吉岡桂子撮影

香港の民主派と中国本土の対立を潜ませながら、手続きはあっけなく終わった。西九竜駅のだだっ広い空間で、列車を待った。レストランや売店はない。水が飲める機械がおいてあるだけ。待ち時間が30分以上ある。退屈だ。白い壁に目を向けるとオレンジの文字が目に飛び込んできた。「高鉄新里程(高速鉄道、新しいページ)」。建設の歴史を記したパネルがあった。香港で使われる漢字の字体、繁体字だ。本土の字体である簡体字ではない。本土と香港では使われる字体も異なる。「自主開発した高速車両、香港に投入」「世界のすべての高速鉄道の距離を足しても中国に及ばない」と賛辞が続く。香港、マカオ、広東省を中心とする珠江デルタに「1時間生活圏」をもたらし、さらに北京や上海ともつながったことが誇らしげに紹介されていた。

発車10分ほど前に、ホームに入れた。待っていたのは、動感号ではなく、いつもの復興号だった。がっかり。それでも、列車と自撮りをしている乗客がたくさんいる。

列車に乗り込むと、切符が手に入りにくかったわりに、車内はすいている。定刻に出発した。しばらく地下を走る。車両にある速度計を見ていると、10分ほどで時速は177キロまで上がった。一つ目の駅の福田、二つめの深圳北駅を越えてもトンネルがちだ。約20分でようやく窓から景色が楽しめるようになった。南方の濃い緑が目に飛び込む。最高時速は時速306キロに達した。あっというまに広州南駅に着いた。広州の都心からかなり離れた郊外にある。友人と待ち合わせたレストランまで地下鉄に1時間半も乗った。香港より広州市内の移動が遠い。中国は広い。

香港の西九竜駅で、開業初日に自撮りする乗客ら。列車は新たに投入された動感号ではなく、本土を頻繁に走る復興号だった=2018年9月23日、香港、吉岡桂子撮影

友人と会って香港への帰り、広州南駅から乗った列車も復興号だった。1、2等車とも売り切れ。仕方なくビジネス席を買った。1枚496香港ドル(約7200円)。一等車より、1700円ほど高い。先頭車両で、座席は飛行機のビジネスクラスのようにゆったりと後ろへ倒せる。

車内でお弁当を買う。行きの列車で香港メディアの記者に「もっとも香港風」と教えてもらった「港式腊味滑鶏煲仔套餐」。鶏肉と野菜の二段重ねでボリューム満点。48元(約770円)。くずきりのようなデザートはバラの香りの甘い蜜と砕いたピーナツがかけてある。おいしい。いずれも、これまで高速鉄道で見たことがないメニューだ。

広州南駅から香港・西九竜駅へ向かう復興号の車内で買ったお弁当。鶏肉と野菜の二段重ねでボリューム満点。48元(約770円)。香港風を意味する「港式」と書いてあったが、深圳で作られていた=2018年9月23日、G6551車内、吉岡桂子撮影
こちらは二段重ね弁当の肉の段
広州南駅から香港・西九竜駅へ向かう復興号の車内で買ったデザート。くずきりのような冷たいゼリー。バラの香りの甘い蜜と砕いたピーナッツがかけてあった。15元(約240円)=2018年9月23日、G6551車内、吉岡桂子撮影

次の駅で、茶髪のヤンキー風の若者が隣の席に座った。私の年齢の半分ぐらいに見える。ミカン箱サイズのぱんぱんに膨らんだ段ボール箱を持っている。「ニイハオ~」。話しかけてみた。内陸の四川省成都市から友人と一緒に広東省の海沿いの町に遊びにきた帰りだという。開通したばかりの高速鉄道に広東省側だけ乗って、深圳の空港から飛行機で戻るそうだ。「香港まで行かないの?」ときくと、「新しい高速鉄道をちょこっと試してみたいと思って。香港まで行くと遠くなる」。人なつこい。「日本人なのに、中国語を話している」とびっくりしている。英語を話す外国人を驚く米国人は少ないが、中国ではまだ、中国語を話すと驚いてくれる。この先、さらに「大国」になれば、「中国語は話せて当然」という態度に変わる日が来るかもしれないが……。

お弁当に箸を戻して食べていると、段ボール箱からバナナを取り出し、一本くれた。「赤いバナナだよ。めずらしいでしょう。広東でマンゴーといっしょにお土産に買ったんだ。一本あげる」。あの箱は、果物だったのか。かじるとガリッとした歯ごたえで、渋い。「おいしい?」ときいてくる。せっかくくれたのに、どうしよう。あいまいな顔をしていると、離れた席にいた彼の連れが気づいた。「おまえ、まだ硬そうだぞ」。見ていないようで、よく見ている。「ありゃ」。箱から別のバナナを取り出して、もう一本くれた。「リンゴをそばに置くと早く熟れるんだって。農民が言ってた」。あっというまに深圳北駅に到着。「じゃあね」。どやどやと降りて行った。

彼らのように、大陸からの観光客には話題の高速鉄道だが、香港人にはさほど魅力的でもないようだ。そもそも広東省へ観光に行く香港人は多くない。北京や上海へ行くなら、飛行機に乗る。

動感号は20年前に返還を記念して走らせた直通寝台と同様、つながる、いや、つなげるという政治的使命が優先された列車なのだろうか。鉄道で結ばれることは支配の象徴か、それとも融合の始まりか。改めて考えた動感号の旅だった。

*当初の原稿では「正規のホームページでは外国人は切符を買えない」としていましたが、読者からの指摘を受けて確認したところ、外国人でも正規のサイトで事前購入でき、窓口で切符を受け取ることができることがわかりました。訂正します。