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きっかけは日本の超有名すし店 中国のトップエリートが麺レストランを仕事に選んだ理由

創業@中国 更新日: 公開日:
北京・中関村にある本社で取材に応じる伏牛堂の張天一CEO=福田直之撮影

目標は「宇宙人に研究されるほどの店」

米粉は中国の南方で好まれる主食だ。一説によると、歴史は紀元前3世紀、秦の始皇帝が南部・桂林に攻め入ったときにさかのぼる。麺を食べ慣れた北方の兵士が、南の米食に慣れなかったため、米を麺に加工して食べたそうだ。日本人がよく知っているビーフンより太い。ちょうどスパゲティといったところか。

「看板商品」と書かれている「黄牛肉粉」(28元=約462円)を頼んでみた。頼んで数分でできあがった米粉は、辛みのきいた汁にマッチし、添えられた牛肉が味わいの幅を広げていた。この日は昼食を食べていなかったこともあり、夕飯の時刻が迫ってはいたが、あっという間に平らげてしまった。

ふと配膳口の上を見ると、壁には「碩士(大学院生)米粉」と書かれていた。なぜ、大学院生なのか。この会社が生まれた経緯と深く関係している。

天津市の「伊勢丹」が入るビルの地下2階にある「覇蛮」。「大学院生の米粉」と書かれている=福田直之撮影

「中国人、韓国人、日本人……アジア人は米を食べる。30億人が食べるこの食材で、世界一流の飲食ブランドがなぜないのか」

そう語るのは、覇蛮の運営会社「伏牛堂」の創業者で、最高経営責任者の張天一(チャン・ティエンイー)だ。「その理由はアジア文明が過去200年、世界で十分に強くなかったからだ。将来、覇蛮は金拱門(チンコンメン)のように、飲食の代名詞になりたい。30年後、宇宙人が地球に攻めてくるとき、『覇蛮とは何か?』と研究するほど、たくさんの店を構えたい」。金拱門は、中国でマクドナルドを運営する会社だ。

天一は中国の最高学府・北京大学の大学院で金融法を学んだ。2014年の修了後に選んだのが、弁護士でも、公務員でもなく、米粉レストランを開くことだった。

誰もがあこがれる職に興味を示さず、出身地の湖南省で人気の米粉を売る大学院生の存在は、たちまち話題になった。「ふるさとの米粉を北京大の院生はこのように売る」と、新聞に見出しが踊った。

調べてみたら、彼は北京大学の構内にある「1898珈琲」の共同創業者だったことがわかった。ここは私が北京大学に留学していた13~14年に通いつめ、勉強をしていたとても懐かしい所だった。同じ時期に同じキャンパスにいた人間として、勝手に親近感を感じた。

そんな天一にぜひ会ってみたいと、9月のはじめ、中国のシリコンバレーと呼ばれる中関村にある伏牛堂の本社を訪れた。

北京・中関村にある本社で取材に応じる伏牛堂の張天一CEO=福田直之撮影

中関村は、母校・北京大学のすぐ南に広がっている。北京大学と肩を並べる清華大学や、エリート養成校として知られる中国人民大学からも近い。多くのIT企業が本社を構えるだけでなく、これから成功を目指すベンチャーがひしめくエキサイティングな街だ。

本社はビルの一室にあった。執務室で迎えてくれた天一は一見、28歳という年齢よりもさらに若い。だが、取材ではこちらの質問に、よどみなく理路整然と答えた。非常に早口な一方で、表情が落ち着いていた。中国茶を振る舞われながらの取材が進むにつれ、みるみる目の前にいる若者が、老成した存在に見えてきた。

「すきやばし次郎」のドキュメンタリーに感化され

レストランを始めたきっかけは、と聞くと意外な答えが返ってきた。「『二郎は鮨の夢を見る』というドキュメンタリーを見て感動したからだ」と言う。銀座の有名寿司店「すきやばし次郎」の店主・小野二郎さんを記録した作品だ。

「大学の時に見て、一人の人間として、一つのことを成し遂げようと思い始めた」という。ちょうど天一の出身の湖南省は、米作が盛んな地域だった。寿司と同じ米料理で、地元の名産の米粉でレストランをやってみたいと思い立った。

「覇蛮」の看板商品「黄牛肉米粉」=福田直之撮影

14年2月に湖南省常徳市にある米粉レストランに弟子入りをした。3人の同級生と10万元を集め、4月に北京に戻って開業した。

ただ、当時は「会社を作って経営するという感覚まではなかった」。大学院を修了するまで3カ月の間に、「つぶれてもいいとさえ思っていた」という。だが、たった一度の出前が天一の考えを変えた。

著名投資家に口説かれた

創業メンバーが、自分たちで調理し、自分たちで配達していた時代。天一が自ら出前に出た。お客の部屋に入るなり、抱擁された。そのお客は言った。「天一や、おまえはどうしてこんなことをしているのか? それは好きだからやっているのだろう」。それから30分間、彼は天一に説いた。「君はマクドナルドやスターバックスみたいな店をつくれる」。そう強調し、しまいには「投資をしたい」と言い始めた。実は、彼は著名な投資家だったのだ。

米粉レストランをビジネスとして考えていなかった天一。だが、言われて調べてみると、「中国の飲食業界は非常に巨大だが、発達は不十分だった」。天一が研究してみたのは、ファストフードの雄・米マクドナルドだ。「1955年に成立し、70、80年代に急速に発展した。理由はとっても簡単。ベビーブームに乗った」。天一はすぐにひらめいた。「このモデルは現在の中国にも当てはまる。90、2000年代に産まれた人口が2億人以上いる。彼らは、親の世代のように貯蓄を好まず、消費意欲が盛んだ」

北京・中関村にある本社で取材に応じる伏牛堂の張天一CEO=福田直之撮影

こうして創業を決意した天一だが、周囲の反対はきつかった。ふるさとを出て、北京大で法律を学ぶ我が子の自慢が生きがいだった父親は、北京大の院生が米粉レストランを開くというニュースの当事者が息子であることを新聞で知り、天一は電話口でしかられた。テレビ番組で知り合った著名企業経営者が、「この米粉屋は成長しないよ。やめなさい」とアドバイスをしてきたこともあった。そして、誰もが、「これまでずっと教育を受けてきたのに、どうして米粉レストランを開くことを選んだのか」と天一の行動を奇怪な目で見た。

だが、それは、飲食業界に対する偏見と誤解に満ちていた。「夫婦で開く小さな店なら、知識はいらないかもしれない。でも、企業としてレストランを企業として経営するなら、商品提供やサービス、経営効率も重要なはずだ」。中国の飲食業の現状は米国とは質的に違った。「米国は1年の飲食業収入が4・5兆元。中国は4兆元。額は大体同じだが、企業の規模が全く違った」。中国には、まだマクドナルドのような超巨大な飲食企業はなかった。規模の大きな企業が発達しうる可能性を感じた。

それではなぜ、天一は弁護士や公務員を選ばなかったのか。「父母は公務員になって欲しいと思っていたが、大学を出るにあたっては、やりたいことをやろうと思っていた」と言う。

天一は子どもの頃から個性にあふれた子どもだった。数学の問題では、問題用紙の前のほうにある選択問題や、穴埋め問題など簡単な問題ではなく、最後に出てくる難易度が高い問題の解答に力を入れた。「当然、トップにはなれないが、俺にはそれがすごいと思えた」。学生の時に法律事務所でインターンをしていた。だが、「毎日、スーツを着て革靴を履き、(北京のビジネスセンター)国貿に出勤する。そんなものと思わされてしまうのが、いやだった」。そこで選んだのが、周りが誰も考えない飲食店経営だった。

北京・中関村にある本社で取材に応じる伏牛堂の張天一CEO=福田直之撮影

競争という渋滞をすり抜けるための「差異化」の戦略

天一が大学を出るころ、弁護士の数がちょうど余り気味だった。「交通規制が敷かれたとき、フェラーリも、質の悪い車も同じように停車させられる。そんな時は、自転車の方が早く走れる。大学を出るとき、みな同じような道を選ぼうとする。その対価は渋滞だ。そこでは、自転車が最も速いのだ。差異化こそが、競争で優位に立つための戦略になる」

金融法を学んだ大学院生から、米粉レストランの経営者への転身。社会人経験はなく、大学までで学んだことが全てだ。だが、全く違う畑のように見えて、実は役立つことも多いという。「創業者はとりわけ、コミュニケーション能力、表現能力、論理的思考能力、学習能力、さっと全体を理解する能力が必要」。法律を学んだ利点は他にもある。「契約書は自分で見ればいい」。法律部門を置く必要がないのだ。

創業は天一の人間としての器を大きくした。創業から10カ月ほどの15年1月、中国共産党機関紙の人民日報系メディア・人民網の取材に、天一は創業した最大の収穫について「気づき」だと答えている。

4人の仲間で始めたレストランだが、最初は米粉の仕入れも、牛肉さばきも、調理も配達もすべては自分たちで行った。創業者でありながら、現場の労働者でもあった。だが、こうした仕事の過程で、野菜を売るおばさんや、ゴミ収集のおじさん、警備員のお兄さんなど、今まで接したことのなかった人々との交流が生まれた。彼らは生活条件が必ずしもよくない状況でも、積極的に生きていた。

弁護士事務所の実習で、北京最高層だった「国貿三期」に出勤し、北京の街頭を俯瞰する。大学を出る前、そういった形でしかなかった社会との接触が、自らの創業によって一気に補完されていった。

北京・中関村にある本社で取材に応じる伏牛堂の張天一CEO。書棚にはドラえもんの人形が並ぶ=福田直之撮影

今、経営者としてつらいのはよく眠れないことだという。「昨年、毎晩のように会議の夢を見た。昼間の会議の続きだ。創業というものは、日々困難の連続だ」。

だが、そんな彼を支えているのが、店の名でもある「覇蛮」という価値観だ。これは、湖南省の方言で、「徹底的に戦い、負けを認めず、あきらめない」という精神性を意味する。「湖南は特色のある省。日本の鹿児島県に似ている」と、天一は二つの地域の気質の近さを感じる。

会社がある中関村は、全国から創業を志した起業家が集まり、ベンチャーがひしめく。当然、経営者の交代や、会社そのものの消滅も珍しくない。だが、創業から4年、「覇蛮」を掲げる伏牛堂は成長を続けている。現在、50店舗だが、「北上広深」と呼ばれる北京、上海、広州、深圳の4大都市を中心に2年以内に200店舗まで増やす考えだ。アリババ集団と組んで北京市内では無人レストランの展開も始めている。また、オンラインでの販売も増やしたいと考えている。

天一の机の上には、中国の国旗「五星紅旗」が置かれていた。後ろの棚には「ドラえもん」の人形が飾られていた。赤と青、好対照をなしていた。ドラえもんが好きなのか聞いてみたところ、天一は「小さい頃から見ている。何でも出してくれるのが良い」と答えた。