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中国での起業に挑戦したフランス人 QRコードで中国の流通網を変える 

創業@中国 更新日: 公開日:
インタビューに応じる客湖のトマ・モリセ最高経営責任者(CEO)=2020年8月17日、上海市、福田直之撮影

14億人もの人口を抱え、国土が広大な中国は、網の目のように張り巡らされた極めて複雑な物流網を持つ。たとえばレストラン。食品メーカーが卸業者に売った商品は、いくつもの別の卸業者の手を経た末に、レストランに届き、料理となって客の胃袋に収まる。

末端のレストランは、チェーン店もあるが零細な家族経営も非常に多い。商品がどの販売業者を経て、最終的な需要者に届いているのか。メーカーがそれを正確に把握するのは非常に難しい。消費者向けの「to C」市場こそ、ネット通販の進化により中抜きが進んでいる。だが、企業向けの「to B」市場はまだ旧態依然とした複雑な流通体系が残っている。

観光名所・外灘沿いの歴史的建造物の中にもレストランやバーがある=2019年5月、上海市、福田直之撮影

中国に来て10年目のフランス人、トマ・モリセ(36)は、「流通を把握したい」というメーカーの問題を解決するビジネスをしている。彼が経営する上海市のソフトウェア会社「客湖」は16年に設立したスタートアップ企業だ。メーカーが「to B」に売った商品が今、物流過程のどこに、どれだけあるのかを把握しやすくするのが主要サービスだ。

「たとえば洋酒メーカーが、お酒を5本買ったレストランにもう1本プレゼントするプロモーションをしたとします。こうした販売促進活動は今まで、卸業者と末端の需要者が話し合って、メーカーに必要な商品数を伝えていました。ですが、我々のサービスを使えば、メーカーがプレゼントに必要な商品の数を直接把握できるので、漏れることなくプレゼントを配れます。そして、メーカーはキャンペーンの効果を直接、知ることができます」

モリセが説明するサービスの導入は決して難しくない。メーカーは自社製品にQRコードを張り、卸業者は購入した商品についたQRコードを読み取っていく。一つの商品につき、一つの固有のQRコードが張られているので、卸が卸に売り、そのまた先の卸が買う――という重層的な流通環境でも、QRコードが行く先々で読み取られさえすれば、メーカーは商品の現在地を把握できる。

しかも、伝統的な流通ルートを壊さずに、そのまま利用してデジタル化を進めるので、抵抗が少なく受け入れられやすい。当然、卸業者や需要者にQRコードをわざわざ読み取ってもらうには仕掛けがいる。読み取りに協力してくれた業者に対し、メーカーは次の仕入れで利用できる商品券や、サービスと交換できるポイントを発行する。このため、卸業者や需要者はQRコードをしっかり読み取ってデータベースの構築に協力する意欲がわくのだ。

客湖のサービスはバーやナイトクラブ向けの酒類流通から始まった。今は自動車修理に使う部品やリフォーム建材、飲食店向け調味料へと領域を広げている。顧客は今のところ、中国に進出している外国企業が中心だ。日本企業では自動車エンジンの点火プラグを作る日本特殊陶業も、客湖の重要な顧客のうちの1社。「今年は外資より、中国企業の顧客が多くなるでしょう」とモリセは業務の拡大に手応えを感じている。

流通を効率化する自社のソフトウェアについて説明する客湖のトマ・モリセ最高経営責任者(CEO)=2020年8月17日、上海市、福田直之撮影

私がモリセと初めて会ったのは2019年7月、香港であったスタートアップが集まるイベントだった。外国語が通じにくいという言語の障壁と、外国人が起業をしにくいといわれる中国から、比較的有名なイベントに出展できるほどのスタートアップを率いるモリセは目立つ存在だった。あれから1年がたち、上海市の本社にモリセを訪ねたところ、コロナ禍から立ち直りつつある中国経済のなかで事業は順調そうだった。

モリセは1986年4月、フランスのパリに生まれた。父母は普通の会社員だったが、子供の頃から「起業したい」との思いがあった。13歳の頃、米国のスタンフォード大学で学んだ後、起業したという起業家の話がよくテレビ放送されていた。その番組を見るうちに、「大学を出たら、起業するのも面白いのではないか」と、考えるようになっていた。

実は兄は起業家としての先輩でもある。ドイツで映画の配給会社を経営しており、配給作品からは世界的映画賞の受賞作も出ているという。モリセの4人のきょうだいは、全員がフランスを離れて活躍している。ドイツにいる兄のほか、二人の妹もそれぞれイギリスとカナダにいる。

インタビューに応じる客湖のトマ・モリセ最高経営責任者(CEO)=2020年8月17日、上海市、福田直之撮影

フランスに生まれたモリセだが、インターネット時代に自らの夢を叶える場所としてヨーロッパは向いていないことに気づいた。「欧州は大きなネット企業の成功例はない。欧州連合(EU)はあるけれども、市場や消費者は国によって異なり、言語も、銀行も、広告も、物流も違う。創業環境としてはよくない」と思っていた。

モリセは2008年に渡米し、マサチューセッツ工科大学に進学。そこでは数学を学び、MBAなどを取得した。修士課程を終えた10年、これからの発展が見込めるアジアに関心を持ったモリセは、シンガポールに行って仕事をしようと考えた。9月と決めていたシンガポール渡航までの3カ月間、時間をつぶすために滞在した中国が彼の運命を変えた。

この間、中国最高峰の清華大学で都市計画の実習をすることにした。だが、授業内容よりも気になったのが大学の周囲の環境だった。北京市にある大学のまわりには、中関村と呼ばれる地域があって、中国有数のスタートアップの集積地だったのだ。清華大は中関村に広がるITエコシステムの核だ。

「中国人は外国人にも開放的だった。親しみやすく、アイデアさえあれば、誰もが協力してくれるのではないか。中国語はわからなかったが、ここで創業するのは難しいことではないと思いました」。当時はまだ、何をしようかさえ思いついていなかった。だが、子供の頃の起業の夢が再び頭をもたげていた。

中国での起業を思い立ち、モリスはシンガポールに渡るのをやめた。中国滞在を続けるのに必要な就労ビザを得るため、フランス政府の職業紹介サービスを通じて上海市にある洋酒販売会社の仕事を得た。

起業は決心したものの、何をするかは決めていなかった。だが、洋酒の販売会社での仕事を通じて、中国の物流がとても複雑でメーカーが全体を把握できていないという問題に気がついた。その解決策として思いついたのが、商品に付いたQRコードを読み取り、物流情報をデジタル化する構想だった。QRコードはキャッシュレス決済で採用され、中国では誰もが当たり前のように使うようになっていた。

インタビューに応じる客湖のトマ・モリセ最高経営責任者(CEO)=2020年8月17日、上海市、福田直之撮影

外国人として、中国で起業するのに「とりたてて困難はありませんでした」とモリセは言う。「起業家には中国人もいるし、外国人もいるし、若者もいるし、老人もいるし、男もいるし、女もいる。中国で成功した起業家はいろんな属性を持っている。中国で最も有名な企業家のジャック・マー(馬雲、元アリババ集団会長)氏は起業当時、若かったわけでもないし、豊かだったわけでもないでしょう」と話す。

ただ、話を聞いているうちに、モリセが外国人であるがため、金融機関から融資を得るのが難しかったという事実がわかった。

「消費者相手の『to C』ビジネスはできる限り多くの利用者を集めるため、紅包(もとはご祝儀の意味。転じて、キャンペーンによる還元)が必要です。そのため膨大な資金が必要になります。その点、企業相手の『to B』ビジネスなら、利用者を広く募る必要はないため、初期費用はそれほどかからず、融資は大きな問題になりません。企業を相手にした現在のビジネスモデルを選んだのは、融資の問題も背景にあります」と話す。

外国人であるモリスにとって、もう一つの壁は中国語だった。日本人にとって外国語学習の対象としての中国語は、比較的とりくみやすい言語に入るだろう。というのも、初学でも文字さえ見れば、だいたい意味はわかるからだ。だが、漢字を知らない欧米人はそうしたゲタをはかせてもらえない。

当然、モリセは中国語の習得に悩むことになる。そこで彼は「中国語で来たショートメッセージに、中国語ですぐに返信する義務を自分に課しました」と話す。中国では、メッセージへの即返信が流儀だ。外国人にとって厳しい環境に、あえて自分をあわせることにした。

欧米人は会話から上達し、次に文字をマスターするという流れが一般的だが、モリセは最初に文字から入り、徐々に会話に自信をつけていった。「自分の中国語のレベルが低ければ、相手はコミュニケーションをとりたいと思わないでしょう。学んでも話せない人はたくさんいます」。一度も体系だって中国語を習ったことがなかったが、今はビジネスに不自由がない水準にまで向上した。今回の取材もすべて中国語で行った。

起業にあたり外国人起業家を参考にしたか、と聞いた。モリセは「中国では外国人の創業例は少なく、見当たりませんでした」と話した。実際、米国人が中国人と創業した旅行検索サイトが比較的知られている程度だ。

言語も異なる外国で、しかも外国人による先例が少ない中国という国での創業。それは「海図なき航海」に等しい。だが、モリセは言う。「成功する起業家は、他人と同じことはしないものです。独特な思考を持っています」と言う。彼にとって、先例はもとより不要だったのかもしれない。

その代わり、モリセは仲間を大切にしている。会社を運営するのはモリセのほか、フランス人1人、中国人2人の創業チームだ。「4人はそれぞれ性格が異なります。2人は外向的で、2人は内向的。感性を大切にするのが1人、理性を大切にするのが1人。相互に補える関係です。性格は仕事の能力以上に重要です。仕事の能力は身につけようとすれば身につけられるが、性格は変えることができないですから」

社のロゴの前でポーズをとる客湖のトマ・モリセ最高経営責任者(CEO)=2020年8月17日、上海市、福田直之撮影

中国の企業家の中で、モリセが好きなのは美団点評(メイトゥアン・ディエンピン)を率いる王興氏だという。日本ではなじみがない企業だが、中国では出前宅配サービスを手広く展開し、グルメサイトの「大衆点評」を運営。さらに、苦境に陥ったシェア自転車の「モバイク」を買収し、オンラインとオフラインをつなぐ総合プラットフォームでは強者の一角を固めつつある企業だ。

モリセが好きなのは、王興氏の堅実さだ。「中国のスタートアップは短期的なチャンスに目を奪われて資金を投入し、結局倒産してしまうケースが見られる。長期的なビジョンを描き、忍耐の心を持てれば、どんな産業でも稼ぐことができるでしょう。そうした点で王興は優れています」と話す。

モリセは「経営者として大切にしようとしているのは、ほかの経営者より早く、将来の市場の変化を見据えた経営をすることです。当然、短期的な利益を求めることは否定しません。それでも、同時に長期的なトレンドを抑えられなければ、結局は倒産するでしょう」と考える。

中国経済の変化は、ほかのどの国よりもめまぐるしく、ダイナミックだ。モリセが成功できるかどうかは、彼が外国人であることを逆手にとって、客観的に市場の先行きを洞察できるかどうかにかかっていそうだ。また、外国人が設立した企業が今後、どのような経験をしていくかは、中国がどれほど外部に対して開放的なのかどうかをしっかりと検証する材料にもなるだろう。