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「ドラゴンボールのスカウター」を作った男 鯖江の技術も生きる

創業@中国 更新日: 公開日:
自社のAR眼鏡をかけてみせるLLビジョンのCEO呉斐=7月8日、北京市、福田直之撮影

2018年はじめの春節。中国・河南省鄭州市の鄭州東駅では、顔認識機能付きのサングラスをかけた警察官が、里帰りのためにごった返す人々の顔に目をこらしていた。レンズの向こうに見える人の顔の周りには枠が表示される。警察のデータベースにある逃亡犯の画像と一致すると警告が出る仕組みだ。

顔認識が可能なハイテク眼鏡が、犯罪捜査に使われ始めた――。まるでSFアニメが描く未来を彷彿させるようなニュースは、世界中に衝撃をもって受け止められた。

あれから2年半、この眼鏡は新型コロナウイルス対策でさらなる進化をしている。

LLビジョンの眼鏡。眉間の部分にカメラが付いている=7月8日、北京市、福田直之撮影

北京市の首都国際空港では、眼鏡をかけた警備員が旅客の顔に目をこらしている。眼鏡には赤外線カメラがついており、旅客の検温をしているのだ。

眼鏡越しに見ると顔は四角い枠で囲まれ、その下に体温が表示される。測定可能人数は、毎分200人で旅客の流れが滞ることはない。顔認識で通行者の額の位置を特定しているため、検温時の誤差はプラスマイナス0.3度に抑えられるという。

【動画】AR眼鏡を使った体温測定

様々な業界から引く手あまたのメガネ

眼鏡を作っているのは、北京市のスタートアップ、LLビジョン(亮亮視野)だ。

「警察関係は眼鏡の用途の一つに過ぎません」と、創業者の呉斐(42)言う。

実は、ビジネスシーンでも引く手あまただという。

インタビューに応じるLLビジョンのCEO呉斐=2020年7月8日、北京市、福田直之撮影

例えば、中国で人気が出ている中古車。売買プラットフォーム「優信中古車」はLLビジョンの眼鏡を4000個購入した。中古車の状態を点検する作業員がこの眼鏡をかけて検査することで、検査過程を逐一記録する。記録した後で画像認識を使って、作業員が決められた手順通りに検査していたかを検証することができ、車の値付けの客観性を高めることに役立っている。

大手航空会社も採用した。航空機のメンテナンスは一つ間違えれば大事故に結びつく可能性がある。眼鏡に映った動作と本来あるべき動作を画像認識でリアルタイムに対比し、合致しないと判断された場合、その場で警告が出る仕組みを現在、準備している。

中国企業だけでなく、日本の大手メーカーにも採用が広がっているという。新型コロナの影響で国境を越えた移動が難しくなり、中国の工場でハイテク眼鏡をかけたエンジニアが作業する際、日本から指示するといった使い方もできる。

エンジニアが現場の作業員の作業を手伝ったり、指導したりすることができる。作業効率を引き上げ、事故を減らすこともできる。「人は常に過ちを犯します。従業員の経験が足りないこともあります。生産過程での品質問題は7割以上が人による過ちが原因で起こります。本来するべき動作をするよう眼鏡によって注意してほしい、という需要は非常に多い」と同社幹部の娄身強は言う。

LLビジョンが今、力を入れているのが博物館との強力だ。ハイテク眼鏡をかけながら展示物を見て回ることで、視野に文字や映像を表示して解説したり、順路を明示したりすることもできる。7月8日には、湖北省の陶器修復師がLLビジョンの眼鏡をかけ、海南省の博物館の職員と視野を共有し、遠隔で海南の陶器の修復に当たった。 

ドラゴンボールに出てくる「あれ」で理解広げる

LLビジョンが手がけるハイテク眼鏡はAR眼鏡と呼ばれる。「AR」は「Augment Reality」の略で、日本語にすれば拡張現実だ。「VR」=「Virtual Reality」(日本語で仮想現実)の眼鏡は視野が全てコンピューターグラフィックになるが、ARの場合、現実の視野の上にコンピューターグラフィックが表示される。

例えば先ほど触れた空港の体温測定だと、人の顔(現実)の上に四角い枠と体温(コンピューターグラフィック)が表示されて見える。スマートフォンカメラで写して表示した現実の風景の上にモンスターが見えるゲームアプリ「Pokémon GO」のARモードを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。拡張現実、つまり現実を拡張して普通に見たときより多くの情報を得ることができるのだ。

【動画】AR眼鏡での見え方

いずれにせよ、一般にはなじみが薄い。呉もビジネスを始めた頃は説明に困った。

「AR眼鏡とは一体何ですか」と問われると、決まってこう言うことにしていた。

「サイヤ人がかけている眼鏡です。ベジータのあれです」

漫画「ドラゴンボール」に出てくる「スカウター」のことだ。片目だけの眼鏡のような形で、敵のパワーがどれくらいかを計測、表示できる。

「みんなドラゴンボールが好きだから、この話をするとよくわかってもらえるんです。中国でもみんな見ていいました。技術的には大きな違いがあるのですが」と呉は笑う。

自社のAR眼鏡をかけてみせるLLビジョンのCEO呉斐(右)と娄身強=7月8日、北京市、福田直之撮影

LLビジョンが作るのはあくまでもレンズとカメラ、AI半導体、通信機能、顧客のニーズに合わせて作ったソフトウェアなどを組み合わせた眼鏡本体だ。最新モデルは89グラム。装着してみても普通の眼鏡以上の違和感はない。割引価格では1万元(約15万円程度)を割ることもありうるといい、中小企業や個人でも手に入れることが可能だ。

観察対象となる顔や作業の過程を眼鏡で読み取り、AIを活用して手持ちのデータと対比するのは眼鏡を納めた先の当局や企業だ。呉は「我々は基礎的な機能を提供するだけです」と言い、LLビジョンの元に顧客のデータは残らないという。警察から企業、個人向けのゲームまで、AR眼鏡の応用方法は顧客の数だけあるということだ。

14年に創業したばかりの頃、具体的な使い方が想像できない顧客からの評価はさんざんだった。そんななかでも持ちこたえられたのは、顧客に寄り添ってニーズを探ることを徹底したからだった。呉は「まず使ってもらって、探し当てた用途こそが正しい使い方なのです」と話す。

日本のアニメを見て科学を学ぶ

中国が外国の資本や技術を導入する改革開放政策を始めるちょうど1年前の1977年12月、呉は北京市中心部の東城区で生まれた。

子どもの頃はわんぱくで、教師を悩ませる子どもだったという。「家電を分解するのが好きでした。もらったおもちゃはすぐに解体し、親に怒られればすぐに組み立て直していました。そもそも機械いじりは父親の趣味だったのです」と話す。

父母はともに冶金のエンジニアだった。小学生だった頃、父親は技術を学ぶため日本の新日本製鉄(現・日本製鉄)に3カ月派遣された。日本の土産に、色彩が豊かな色鉛筆を買ってきてもらったのを覚えている。

学校では数学が得意な学生だった。70年代生まれの子どもに物心がつく頃、中国政府は改革開放の旗を盛んに降っていた。多くの若者がエンジニアになっていった。

父母の背中を見て育った呉は日本の科学アニメ「ミームいろいろ夢の旅」を見ながら、科学の常識を学んでいった。「電気抵抗の原理や稲妻はどうして発生するのかをミームで学びました。どうして? と常に思う子どもでした」と振り返る。

96年に大学に進学した。親の影響で、大学も鉄鋼に強みを持つ「北京鋼鉄学院」の後身、「北京科学技術大」に入った。だが、呉の関心は鉄鋼より、パソコンに、そして中国に姿を現し始めていたインターネットに向かっていった。

 父母が働く会社の事務所にあるパソコンは、当時珍しくネットにつながっていた。昼ごろNBAのホームページを開けたが、夕方までかかってやっと半分ほど表示されただけだった。友人の入構証を借りて清華大の実験室に入り、ここでもネットに接続してみたこともあった。接続先は検索サイトのヤフー。カテゴリーごとにサイトが整理されていて、趣味のクラシックについて書かれたページを見ていた。「一気に世界につながった感じがした」と振り返る。

AR眼鏡の視野をスマートフォンで確かめることもできる。赤外線検温機能付きのモデルは、読み取った顔と体温が表示される=7月8日、北京市、福田直之撮影

ネット好きが高じて、ネット企業で実習をするまでになっていた呉は、2001年に英バーミンガム大の大学院に進学し、登場したばかりの米グーグルの検索について論文を書いた。

04年に大学院卒業後はスウェーデンのアンテナ会社に入社し、北京の事務所で働いた。当時、携帯電話のアンテナは外側についていた。この会社はアンテナを電話の内側にしまい込むのに大きな貢献をした会社で、ノキアの携帯電話の世界的なヒットにつながった。

だが、米アップルが07年にiPhoneを発売。時代はスマートフォンだと考え、中国でも早期にスマートフォンを作ったレノボに移った。鉄鋼エンジニアの一家に生まれた科学好きの少年は、パソコンやネット、携帯電話を経て、そしてスマートフォンと技術の先端に一貫して触れる人生を歩み始めていた。

ARとの出会い、そして創業

10年ごろ、北京では週末ごとに、エンジニアが集うサロンが多く開催されていた。レノボで3~5年後の技術を見通す仕事をしていた呉は「AI倶楽部」に参加していた。「私たちの音声認識技術について意見を頂きたい」「機械翻訳の機能についてですが」……エンジニアたちは自社の取り組みについて、社外に意見を問うオープンな議論が行われていた。ここで呉はARに出会ったのだった。

呉は最初、AR眼鏡を面白い技術だとしか思わなかった。だが、技術サロンで、技術書を読んで得た知識でARについて説明しているうちに、興奮していく自分に気づいた。「ARはハードでもソフトでもなく、次世代のコミュニケーションなのだということに気づいたのです」と呉。情報が表示されるのはテレビの画面でもスマートフォンの画面でもない、眼鏡をかけて見える視界に表示され、コミュニケーションに大変革が生じると思った。

サロン参加者の投資家も呉が語るARの話に一生懸命耳を傾けるようになっていた。「彼らの関心はどんどん細かくなっていきました。水泳を習うなら水の中。陸の上で習うわけにはいきません。だから、こうなったら『知行合一』であろうと思いましたね」と、呉は心がARを手がける創業に向かった経緯を語る。

だが、最終決断には迷いもあった。「ARには輝かしい未来があるのかどうか。ARは人に誇れる事業なのかどうか。うまくいかなかったら、人生を浪費してしまうのではないか」

背中を押してくれたのは、ランニング仲間だった。ランニングコースだった北京オリンピック公園を走りながら、友人は言った。「ランニングも続けなければと思っているうちは続かない。どうしてか? それはランニングを心から愛していないからだ。ランニングが趣味になった時、もしくは日常の一部になった時、はじめて長く続けられるようになる」。その言葉を聞いた呉は「起業にも言えることだな」と思い、迷いを捨て去った。

14年6月、レノボを辞めてからは早かった。7月に会社を設立し、従業員を募集し始めた。8月には20人が集まった。

左から右にかけて新しくなる歴代のLLビジョンのレンズ。より薄く、より透明になっている=7月8日、北京市、福田直之撮影

鯖江の眼鏡メーカーと協力

だが、レノボやグーグル、マイクロソフト、インテルなどから集まった人材の中には当然、眼鏡作りの専門家はいなかった。「眼鏡のフレームと言えば鯖江」と思い立った呉は、すぐに北京の日本大使館に駆け込んでビザを取り、関西空港経由で福井県鯖江市に向かった。

突然訪れた呉を鯖江の眼鏡メーカーは快く迎え入れてくれた。「かけてみて心地よい眼鏡にしたいのですが、機器を収納する部分が必要です。どのように負荷のバランスをとるべきでしょうか」と呉。メーカーは「確かに圧力がかかるので、このような鼻パッドにとりかえてはいかがでしょうか」「我々にはこのような特許もあります」と的確なアドバイスをくれたという。

朝から午後5時まで話し合った。翌日も朝から話し合い、午後は永平寺に連れて行ってもらった。「寺はきれいに掃き清められていた。みんな静かに、自分の思考の世界に入っていた。そのひたむきさは大きな啓発になった」と話す。

この業者との協力関係は、今日まで続いている。鯖江が蓄積した眼鏡のフレームの技術をLLビジョンが取り入れた結果できあがったのは、軽くて透明度の高い、かけ心地の良いAR眼鏡だった。LLビジョンは眼鏡1個ごとにこの業者に対してライセンス料を払っているという。

天の時

19年から、顧客にまず「AR眼鏡とは何か」から説き始める必要はなくなったという。呉は「ベジータを持ち出さなくても良くなりました。IT企業でARを理解していないとすれば、それは淘汰されうる企業でしょう」と笑う。

呉は経営でも技術開発でも地に足が付く経営を貫いてきた。ベンチャーキャピタルから得た資金も大切に使い、従業員の出張もなるべく安いホテルにし、同性なら相部屋をとらせる節約ぶりだった。「多くの企業が道半ばで死に絶えます。特にスタートアップは。自らの欲望と情熱を抑えきれなかったり、消費者の期待を深く受け止めすぎたりするためです」と語る。

技術についても控えめだ。「技術の発展は人間の情熱よりもゆるやかで、初めの頃に盛り上がって、熱を帯びた状況になる。例えば『ARの時代が来た』となれば、マーケティングや広告が商品をすぐに広めて、『皆さん毎日かけてほしい』などと言うでしょうが、技術的にはまだ解決すべきことがたくさんある。技術屋から言えば、危ないことです。雨が潤した大地は万物を育てるが、草に根がなければ育つことはないでしょう」と見ている。

自社のAR眼鏡をかけてみせるLLビジョンのCEO呉斐=7月8日、北京市、福田直之撮影

中国でも19年に高速通信規格5Gのサービスが始まった。IoTに対する需要も高まっている。14億人のビッグデータを背景に、AIの性能も不断に向上している。AR眼鏡はこれらすべてと関係が深く、世間の動向は普及に追い風だ。

製造を重ねるにつれ、中国の受託メーカー、部品を使う日本の光学メーカーやサービスを利用する米国のクラウド企業などとの取引関係も強固になった。呉は「我々の進む道は上向きの線を描いている。業界は安定してきており、事業のリスクはどんどん小さくなるでしょう」と話す。

米グーグルだけでなく、近くアップルもAR眼鏡を手がけると伝えられている。呉が思うとおり、「次世代のコミュニケーションツール」となるならば、いつか人類はみなAR眼鏡をかけて生活する日は来るのだろうか。

「まだ朝から晩までAR眼鏡をかける時代は来ないと思います。ですが、リアルタイムかつ直感的にデータと結びついた現実を覚知できるというAR眼鏡の機能は有意義だし、全人類にとってよいことです。この眼鏡をかけて生活する機会は、やがて増えていくことでしょう」。呉はそのように世界を感知する手段の大きな変化を展望している。