六本木ヒルズの43階。ネット企業の「メルペイ」で中国インターネット研究所の所長を務めるのが家田昇悟(いえだ・しょうご)だ。メルペイはスマートフォン上でフリーマーケットのアプリを運営する「メルカリ」のグループ会社。メルカリでは売上金は現金化しない限り、システム上にどんどんたまっていく。それを決済サービスを軸にした金融ビジネスにつなげるという新規事業を託された会社だ。
家田の仕事は少し特殊だ。対話ソフトの「スラック」を使い、中国で起こっているイノベーション事情を、親会社のメルカリを含めたグループ全体に発信している。
現在27歳の家田は、17年10月から18年3月までの半年間、イーコマース関連のイノベーション企業が多い上海市と、人工知能(AI)関係の企業が多い北京市に滞在。イノベーション動向をウォッチし、ベンチャー経営者と面談を重ねた。メルカリから受けたミッションは「中国初のサービスが色々出てきているので、定期的に報告して欲しい。インサイトにするというか、新規事業のネタになるようなものを欲しいような感じだった」と明かす。
中国での半年の生活で得られた最大の知見は「フィンテックだった」と言う。「中国で一番盛り上がって、産業として大きくなったから」。帰国して配属されたメルペイでのビジネスに、中国のフィンテックをどう生かせるのか。「楽しみにしてください」と家田。
メルペイは「信用を創造して、なめらかな社会を創る」とうたう。中国発のフィンテックの一つに、キャッシュレス決済で蓄積された個人の信用スコアに応じ、サービスを受ける場合の保証金が免除されたり、優待を受けられたりする仕組みがある。日本でも、そんなシステムが生まれる可能性があるのかもしれない。家田はそんな将来性を秘めたメルペイの創業に参画した。
家田は岐阜県で生まれ、奈良県で育った。両親とも日本人の家田が中国に興味を持ち始めたきっかけは「三国志」。好きな武将は曹操だ。「一番強いのが強いというあの世界観が好きだった」と話す。小説を読み、漫画を読み、三国志が舞台のゲーム「三国無双」も愛好した。11年春に同志社大学のグローバルコミュニケーション学部に入学。中国語学科を選んだ。そして12年夏から、交換留学で1年間、上海市にある復旦大学に留学することになった。
当時、尖閣諸島の問題があり、日中関係は悪かった。だが、「中国の時代が来るのかなという感じで」留学を決断。「当時の報道でも中国経済崩壊論はあったが、自分は単純に考えて伸びるだろうと思った」。GDPはすでに日本を抜いていた。都市部には高層ビルが林立。発展のスピードが早く、人が多かった。「みんなルールを守らずにカオスな感じは衝撃であり、雑多な感じが自分に合っている気がした」と言う。
留学を終えて日本に戻ると、就職活動が待ち受けていた。だが、すぐに中国で働いてみたいと考え、1年間休学。上海で日本酒の販売代理店でインターンを始めた。元々卸会社だったが、消費者向けの販売を始めようとして、家田がネット販売を担当。そのとき興味を持ったのが、中国のインターネットやベンチャーキャピタル、ネット業界、スタートアップだった。日本語になっていない中国語のベンチャー事情をブログで発信し始めた。15年3月に日本に帰国後、8月にツイッターで知り合ったベンチャーキャピタルのパートナーから「メルカリに似たようなサービスを中国で調べて欲しい」と声をかけられ、メルカリで調査を始め、最終的に入社を誘われた。現在の仕事は、当時手がけていた調査の延長上にある。
中国のイノベーションやベンチャーブームは17年の春ごろから、日本でも広く注目されるようになった。だが、それにさかのぼること3年ほど前から、市場をウォッチしてきた家田が思うのは、中国のイノベーションを語る日本国内の論調への「違和感」だという。
「色々見方があると思うが、日本が中国に遅れているという論調は、かなり違和感がある。中国でイノベーションといわれているものは、日本で実現しているのがほとんどだ」
家田が「例えば」と語り出したのが、中国で流行する決済事業者による小売業への進出だ。スマートフォン決済の業者が、小売店と連携して販売増に取り組む「新小売り」。中国メディアは1年ほど前から盛んに取り上げてきた。ただ、家田から見ればこうだ。「丸井はずっと戦後、小売りと金融が一体化したビジネスをやってきた。それは世界最先端だったと思う」
もう一点が、キャッシュレス決済に対する見方だ。「Suicaが2000年のアタマからやっている。あんなに早い読み取りは世界でもまれだ」と言う。中国のキャッシュレス社会化に一役買い、現在日本でも普及が進み始めたQRコードも「もともと技術は日本発祥だ」
その上で家田は言う。「もちろん中国による技術発から生まれたイノベーションはあるが、『中国のイノベーションはすごい』とひとくくりに言うと、色々なところを見落として、本質的ではない議論になってしまう」
そうした前提で、家田は中国のイノベーションをどう評価しているのか。
「マーケティングはすごい。あと人の多さを生かした人工知能(AI)の世界はデータを集めたもの勝ち。個人情報の集めやすさやデータの数で世界的に見ても中国が勝つのは自明で、産業的に有利だ」。マーケティング力を評価する家田は、中国でイノベーションが盛んになった理由を「課題の多さ」に見いだしている。
「コンビニも日本に比べて少ないし、移動が不便だからシェア自転車が使われる。単純に人が多いし、国土が広い。お店もサービス精神が全くない。棚に物がないこともある。そう思うと、店員は働いていない。ただ、働いていないからこそ、そこにイノベーションの余地、改善の余地がある。優秀じゃない人がいっぱいいるからこそ、改善に取り組む優秀な人が生まれるのではないか。解決すべき課題は日本よりはるかに多く、起業するためのネタは無限にある」
中国のイノベーションやベンチャーブームは、2014年秋、李克強首相が夏季ダボス会議で提唱した「大衆創業、万衆創新」政策など、国策がリードしてきたと考えられている。ただ、家田の見方は政策のほかにも様々な要素が複雑にからみあった結果、偶然起きたという見方だ。
「タイミングがよかったと思う。クラウドが広まり、ベンチャーキャピタルからお金が集められるようになり、簡単に起業ができるようになった。ちょうど中間層が伸びて来る時期にもあたっていて、2010年代に入ってから政府が投資主導ではなく、消費主導の経済に変えようとしていた。すべてがマッチングした。インターネットの発達以外の色んな要素がからんで、奇跡的にこの起業家、色んなユニコーンが生まれている」
ただ、やはり中核にあるのはネットの発達、とりわけスマートフォン化が「一番大きなビッグウェーブだった」と言う。「(配車大手の)滴滴出行や(出前大手の)飢了嗎がモバイルでクーポンをばらまいたりして、サービスを大きくする。それで、モバイル自体も便利になっていく。スマホ化に乗っかって、お金も起業家もゴーッと来ている」という感触だ。
中国のイノベーションやベンチャーをテーマにした日本からの視察は、日中関係の改善が拍車をかける形で相次いでいる。それでも、単に「中国」というだけで毛嫌いし、取引そのものに消極的な経営者も依然多い。
そこで家田は「冷静な視点」を持つことを呼びかける。「もうちょっと冷静に中国ってものを見て、そこにビジネスチャンスがあるなら、別に食わず嫌いをせずにビジネスを始めればいい。その結果、難しかったならば、それは中国のせいにするのではなくて、ただ単にビジネスとして難しかったということを、淡々と語ればいいのではないか」
後に最高実力者になる鄧小平が、経営の神様・松下幸之助に「近代化をお手伝いいただきたい」と依頼してから40年。中国が進めた改革開放路線で、日本が果たした役割は大きかった。そして今、中国で勃興したイノベーションは世界中の注目を集めている。教える時代から、競争する時代、そして学ぶこともある時代へ。その変化を、身をもって実践した家田はどう考えているのか。
「もっとも昔に話を戻せば、日本は遣唐使を派遣した。近代化した後は中国が日本を学ぶ流れがあったが、それって何か行ったり来たり揺れ戻しがある。お互い、色々学ぶところはあると思う」と、悠久の歴史に立脚して見ている。
そして、発想の転換がカギだという。
「『学ぼう』という視線で中国に行ったらいろいろ変わるのではないか。QRコードについて、『日本の方がすごい』と言って終わるのか、それを組み合わせてキャッシュレス決済に使った中国から『学べる』と思うのか。多分、それをどうとらえるかだけなのかな、という気もする」