シャン・フェイフェイ(40)はときどき料理店には行くが、マニキュアだけをして帰ってくることもある。
最近のある水曜日の夜。シャンは、北京の繁華街にある火鍋チェーン「ハイディラオ」の店で、テーブルが空くのをじっと待っていた。中国の料理店はサービスのひどさでは悪評が高いが、このチェーンはそれに逆らうように営業を続けている。
店の従業員がシャンの爪を磨き、マニキュアを塗る。無料のサービスだ。部屋にあるいくつかのポット泡立つ液体からは香りが立ち上り、あたり一面に広がる。
ピンクに輝くマニキュアが済むと、もう食事をする気はなかった。何度もここにくるうちに、「食べるのは二の次」になってしまった。
週に1回はマニキュアをしにくると言うシャンは、「この店の多様な『特別サービス』が、すっかり気に入っている」。足のペディキュアもある。写真のプリントアウトもできる。ボードゲームや折り紙も楽しめる。すべて無料だ。
火鍋の人気は、中国では高い。中でも、ハイディラオは群を抜いている。店に一歩足を踏み入れてから出るまで、従業員全員でサービスを尽くしてくれるからだ。
ハイディラオは、海外にも本格的にチェーンを広げようとしている。2018年9月、香港市場に新たに上場して資金を調達(10億ドル近くとも言われる)。米国のカリフォルニア州やニューヨークなどにある海外店網(訳注=日本、韓国などにもすでに進出)を、さらに多くの国々に拡充する方針だ。
ただ、海外となると、本国とは違う難しさも出てくるだろう。
「客が待たされ、爪を切ってもらっている光景は、あまり見たいとは思わないね」。香港の外食産業コンサルタント会社イースト・ウェスト・ホスピタリティー・グループの最高経営責任者ジョエル・シルバースタインは、中国本土のハイディラオを訪れた印象をこう語る。「それに、米国でそんなことをしたら、衛生規則に完全に触れてしまう。中国では、確かに無料である限り『おまけのサービス』が好まれるということなのだろうけれど」
衛生という点では、中国の他の火鍋チェーンが物議をかもしたことがある。鍋からネズミの死体が見つかり、店側は徹底究明を誓う羽目になった。
笑顔のないサービスが普通の中国で、ハイディラオは着実に固定客を増やしている。食事の順番を待つ間に、靴を磨いてもらい、ゲームもできる。料理を味わいながら、四川省の伝統芸能の川劇(せんげき)を楽しむ。小さな子供と一緒なら、遊んでくれるお姉さんがいるキッズルームだってある。
中国のハイディラオの常連客は、300近い店のどれかに入るのに何時間も並ぶことがある。それほど人気があることは、コンサルタント大手OC&Cの2016年の調査でも裏付けられている。2011年には、米ハーバード大学経営大学院の研究事例にもなっている。
「店のスタッフは、客を家族の一員のようにもてなしてくれる」と専業主婦リウ・ルー(42)。乳飲み子がいるが、ベビーベッドを用意してくれるので、食事に専念できると満足そうだ。
火鍋は、もともとは体を温めてくれる冬が本番だったが、今では一年を通して食べるようになった。鍋を囲んで談笑し、時間をかけてつつくことが、心を通わせる貴重な場にもなるからだ。
ハイディラオの名は、勝つことを意味する四川省のマージャン用語に由来している。鍋のだし汁はさまざまだが、有名なのはやはりピリ辛の四川風味だ。
創業者は、かつてトラクターの製造工場で働いていた張勇。故郷の四川省簡陽市に開いた1号店(訳注=1994年と報じられている)はたった4席しかなかった。
「だし汁の作り方も、材料の調理方法も知らなかった」。2011年に「You Can’t Copy Haidilao(英題)〈ハイディラオをまねすることはできない〉」を出版した北京大学の教授によると、張は創業時をこう振り返っている。「それでも、客を満足させようと、売り上げ以上のものを注ぎ込んだ。だから、料理の味がそれほどではなくても、店にまたきてくれるようになった」
最近では、衛生上の問題が相次いで発覚したにもかかわらず、ハイディラオのブランドが大きく傷つくことはなかった。
17年には、北京の二つの店に覆面取材が入り、ビデオの映像があっという間に広まった。調理室にはネズミが出没し、食器洗い機は油でべとつき、下水管の掃除には鍋をすくうお玉が使われていた。18年6月には、この2店の一つでごまだれのつけ汁からハエが見つかったと報じられた。
いずれの場合も、ハイディラオはすぐに謝罪し、全店で衛生管理を徹底的に見直すことを約束した。
現在は、調理室の様子は客から丸見えの状態だ。ライブの映像が壁にかけてあるテレビや卓上のタブレットに映し出され、自分で確かめたければ、それもできる。
「材料はとても清潔。他の火鍋店は、これほど新鮮ではない」と数日ごとに来店している教師リウ・ヤーリー。「友人同士で集まるのは、ハイディラオと決めている」
米国や他の国でも、火鍋は中華街の周辺にまで広がるようになった。ハイディラオの海外展開の成否は、「おまけのサービス」が中国と同じように客を引き寄せられるかどうかにかかってきそうだ。
「海外でも人気を得るには、サービスもメニューもその国に合わせねばならないだろう」と上海で料理ブログを運営するダーシー・チャンは指摘する。自分もハイディラオを愛用しているが、女性だけに「国によってはやり過ぎと受け止められるかもしれない」と気をもむ。
「客が席を立って、手洗いに行く。出てくると、手ふき用のペーパータオルを持つ店員が、満面の笑みを浮かべて待っている。ゾッとする人もいるのではないかしら」(抄訳)
(Elsie Chen and Sui―Lee Wee)©2018 The New York Times
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