香港の鉄道会社「香港MTR」が運行する「動感号」は、前方から見た顔が本土を走る「和諧号」とそっくりだ。それもそのはず、基礎となる車体は同じ「CRH380-A」。製造したのは、中国の国有企業で世界最大の車両メーカー、中国中車(CRRC)の山東省青島市にある工場だ。かつては中国南車の「青島四方」と呼ばれ、日本の川崎重工業が長く技術支援していた。新幹線のDNAもどこかに入っていそうな面立ちである。
「香港まで高速鉄道の切符を1枚。動感号にしてください。できるだけ早い時間で」
全線が開通して約一カ月が過ぎた10月21日。香港にもっとも近い駅、深圳市福田駅の切符売り場で注文した。香港行きの高速鉄道の大半は、本土側を頻繁に走る「復興号」や「和諧号」。せっかくなら「動感号」に乗りたい。
だが、窓口の対応は冷たかった。
「動感号だって?どの列車か、ここではわからないよ」
切符を販売するシステムでは見分けがつかないようだ。
その日の朝、私は香港でも同じ質問をしていた。九竜側に新設された高速鉄道専用の「西九竜駅」。反応は全く違った。
「ハオヤー(わかったよ)」
手元の資料をめくって探してくれた。「好(ハオ)」は「OK」という意味だが、ハオヤーと伸びる語感が優しい。二等車で78香港㌦(約1100円)。わずか26キロ、15分の短い旅である。クレジットカードを出すと「お手数ですが、サインをお願いします」と丁寧だ。「謝謝」と言うと「不客気(どういたしまして)」
香港の現地の言葉は広東語。たとえば「ありがとう」も「謝謝(シエシエ)」ではなく「多謝(ドーツェ)」や「唔該(ムゴーイ)」を使う。だが、北京語で注文する私には、広東語なまりながら北京語で応じてくれる。開業早々ということもあって、駅構内にはオレンジ色のベストを着た係員があちこちに立ち、道案内など問い合わせにも親切に説明している。
いっぽうの福田駅では中国共産党・中国共産主義青年団、国有企業中国鉄路のマークが入った案内「ボランティア」カウンターが設けられていたが、とっつきにくさもあって誰も声をかけていなかった。「初心忘るべからず。交通強国、まず鉄道から」―。香港では見られない政治スローガンがぺたぺたと貼られている。
こんなに近いのに、こんなに違う・・・。
高速鉄道の開通で、広州南駅とも最短47分で結ばれた。在来線では広州まで2時間ほどかかっていた。習近平政権は政治や経済の体制が異なる香港と、より緊密な経済圏をつくる狙いで建設を推進してきた。10月に開通した香港、マカオ、広東省珠海を結ぶ世界最長の大橋(約55キロ)と並んで、本土から香港を訪れる観光客の増加につながる経済効果も期待されている。
しかし、近いからこそ、違いが際立つこともある。私が感じたちょっとした違いの数々を、香港の人々は日々感じながら暮らしているのだろう。高速鉄道の利便性は、両地の心の距離を縮めるのだろうか。
開業から一カ月が過ぎて、お客は伸び悩んでいる。運賃は在来線より5割以上高い。香港紙によれば、1日のべ8万人の乗客を想定して経営計画をたてているが、目標に届かない日も多い。初日すら7万5千人だった。半分に満たない日もある。週末の増便はとりやめたそうだ。この状況が続けば、大赤字となって、ゆくゆくは香港政府の財政補助が必要になりかねない。豪華な駅舎の建設費にも批判が出ていた。赤字の補てんとなると、さらに批判が強まるにちがいない。「中国本土のネットワークに香港を組み込む」という政治的な目的だけが達成されるのか。それとも、しだいに便利だと認識されてお客は増えていくのだろうか。
北京と香港の間には、政治的使命を背負った直通列車がこれまでも走っていた。
英国から中国へ香港が返還される2カ月前、1997年5月のこと。北京と香港を乗り換えなしで結ぶ初めての定期旅客列車が運行を始めた。文化大革命前の50年代から話はあったが、本格的に建設が決まったのは80年代半ば。中国にとって悲願だった返還が定まってからだ。全席寝台の列車が、約2500キロを当初は30時間弱で結んだ。香港の主権の回復を祝って、首都とつないだ。
私も一度だけ乗ったことがある。北京で1年間の語学研修を終えた2000年夏。香港経由で東京に戻ることにしたのだ。北京西駅から乗った列車は、ものすごくすいていた。中国で乗った列車で、あれほどすいていたことは後にも先にもない。同じ車両に数人しかいなかった。がらんとした車内に冷房ががんがんきいていた。話し相手もいない。寒い車両にぽつんといると、1年の緊張の疲れがどっと押し寄せてきた。意欲満々で出かけたはずの留学の成果にも将来にも、悲観的になった記憶がある。
あの時代に比べれば、高速鉄道なら北京から香港まで9時間弱で着く。とはいえ、飛行機の割引チケットと変わらない料金を支払って、2倍以上の時間をかけて鉄道を選ぶ人がそれほどいるとは思えない。
そんなことを考えながら、前日の夜を思い出した。広州から香港への高速鉄道に乗り損ねて、長距離バス、タクシーを乗り継いで歩いて境界を越えるはめになった。
現在の勤務地、バンコクから飛行機で2時間半。広州で友人に会ったあと、高速鉄道で香港に向かおうと広州南駅へと地下鉄で急いだ。夕方7時すぎには着いたが、すでに切符は売り切れていた。「高鉄(高速鉄道)はもうないよ。いま、アナウンスしているのが聞こえないのか」。たしかに放送している。しかし、ざわめきのなか外国人の私には耳に入っていなかった。
「すみません、9時半の最終もありませんか」
「だから、ないって言っている」
「どうやったら今晩中に香港に行けますか」
「知らないよ。外で聞いて」
仕方ない。とにもかくにも、明朝の取材に間に合うように香港に向かわねばならない。白タクの客引きのおばちゃんを振り切り、長距離バスターミナルを探した。幸い、すぐに見つかった。
山東省のバスターミナルで15年ほど前、スリにあった嫌な思い出がある。ダウンコートのポケットに入れていたガラケーを後ろからぶつかってきた男性に盗まれた。大勢がひしめきあい、女性ひとりではちょっと怖い雰囲気だった。
良い意味で予想は外れた。スマホをいじりながらバスを待つ若者が退屈そうにソファに座っている。驚くほど静か。整然としている。「南方の長距離バスには盗賊がでる」などと北京の友人から真偽不明の注意をされた時代は遠い昔。2時間かけて深圳までバスで行き、そこからタクシーで香港との境界へ向かうことになった。最終便の切符を入手できた。70元(約1100円)だ。
ほっとすると、のどが渇いてきた。売店で買った青島ビールをプシュッとあけた。香港でよくみかけるフィリピンブランドのサンミゲルは置いていなかった。右隣に座っているモヒカン頭の若者が、ぴくっと反応した。驚いた気配が伝わる。顔を向けたら、顔をそむける。確かに見渡すと、男性を含めて誰もお酒は飲んでいない。左隣の女性にきいてみた。「誰もビール、飲んでいないね」。彼女はからからと笑って「こういう公共の場所では、中国人はあんまり飲まない。友達や家族とのだんらんかレストランか……。女性が一人で缶ビールはめずらしい」。日本でも一般的とは言いかねる。旅先とはいえ、なんだか気恥ずかしくなったが、飲み干した。
バスは深夜の便ながら、満席。高速道路のわきにも、工場や住宅、ショッピングモールなどの明かりが点在する。深圳でバスを降り、タクシーを乗り継いで、香港へ入るイミグレーションに着いた。深圳湾口岸と呼ばれる境界を、歩いて越えた。週末の香港を往来する大陸の若者たちが行き交う。香港側にはバスはすでになく、タクシーでホテルへと向かった。
この間、バスの待ち時間を含めて合計5時間半。おもしろい体験ではあったが、高速鉄道の便利さも身にしみた。
香港と中国本土を結ぶ高速鉄道が開業した初日も、私は香港にいた。両地の「距離」を物語る問題を抱えながら、香港は晴れの日を迎えていた。
(11月2日に続く)