6年越し1ミリも進まず その舞台裏は
バンコクから北へ約700キロ。観光客にも人気の古都チェンマイとの間には、飛行機や長距離バスが頻繁に往来している。格安航空なら片道数千円だ。チェンマイ中心部の人口は13万人程度。在来線で14時間かかるところが、高速鉄道で3時間半に短縮されたとしても、集客力には疑問符がつきまとう。
日本とタイの両国政府がバンコク―チェンマイに新幹線を整備する協力に合意したのは、2015年のこと。いまも実現に向けて調査が続いている。関係者の間では「永遠の調査路線」とも呼ばれ、タイの地元紙もときおり、「廃案検討」(英字紙バンコクポスト)と伝える。
鉄道ビジネスにかかわる日本企業の幹部は、あっさりと言う。「進まないのはなぜかって? 採算に合わない。それに尽きる」。事業費は、総額5000億バーツ(約1兆7千億円)近くと試算されている。一期工事として、バンコクから約380キロほど先にある都市ピッサヌロークまでに区切って建設するとしても、2700億バーツ、日本円にして1兆円近くかかるという。
日本政府はタイ政府に円借款を供与し、日本製の車両や信号など新幹線システムを売ったり沿線開発にかかわったりすることで、日本企業が潤うともくろんだ。この区間が赤字になったとしても日本には関係なく、タイ政府が公共交通を支えるだろう、と。
だが、タイ側は「新幹線」の運営会社を両国で設立し、日本企業も沿線でのビジネスだけでなく鉄道事業の経営を担ってほしい、と期待した。赤字になれば、ともに責任を負う仕組みだ。
日本企業はそっぽを向いてしまった。「中国の国有企業じゃあるまいし、民間企業がそんなリスクをとれるわけがない。日本政府の出資はさらにありえないでしょう。非現実的な計画を、両国の政治家がアドバルーンとして打ち上げた」。この幹部は解説する。
そんな計画が、どうして生まれ落ちたのだろう。
時計の針を、2014年まで巻き戻してみよう。
14年5月。タイで軍事クーデターによって成立した政権が発足した。元陸軍司令官のプラユット暫定首相が、軍事政権発足後に初めて来日したのは15年2月のこと。安倍晋三首相(当時)と会談し、いくつかの経済協力に合意した。「新幹線」は含まれていなかったが、日本はその呼び水として在来線の複線化工事などを約束した。翌3月。第3回国連防災世界会議に出席するため再び来日したプラユット氏に対し、安倍氏は新幹線を念頭に「鉄道協力」を持ちかけた。一行には、2月は東海道新幹線を東京から新大阪まで、3月は東北新幹線を東京から仙台まで試乗してもらった。
二つの来日の受け入れにかかわった日本政府高官は当時、私の取材に対して、こう話していた。「タイ側の反応はとても良かった。ほっとした。タイは中国とも話を進めており、全路線をとられてしまうわけにはいかない。新幹線をなんとしても走らせたい」
日本政府は焦っているように見えた。理由がある。これに先立つ14年12月。プラユット氏は中国を訪問していた。習近平国家主席、李克強首相と会談した。高速鉄道の北京―天津間を夫人とともに試乗し、高速鉄道の整備に向けた協力に合意した。ラオスに近い東北部ノンカイからバンコクを通りタイ湾に抜けるルート(約734キロ)など2区間である。「鉄道を中国から買い、タイからはコメやゴムを売る」という物々交換のような約束も、話題になった。
中国の動きが日本を刺激した。巻き返すべく、日本政府はプラユット氏の2度の来日をとらえて攻勢をかけたのだった。15年5月には、和泉洋人首相補佐官をバンコクに派遣した。安倍政権、菅義偉政権を通じて首相補佐官を務める和泉氏は、国土交通省(旧建設省)出身。国際協力銀行(JBIC)の前田匡史総裁(当時専務)とともに、日本のインフラ輸出の旗振り役である。その和泉氏が、タイ政府との間で高速鉄道の整備を協力する約束をとりつけた。この月末にタイのプラジン運輸相(当時)が来日し、閣僚間で正式に合意する。和泉氏も立ち合った。
日本の国土交通省の発表によれば、覚書には「バンコク~チェンマイ間高速鉄道に関し、日本の高速鉄道技術(新幹線)の導入を前提として詳細な事業性調査や事業スキーム等を日タイ間で協議」することが書き込まれている。
プラジン氏はタイメディアに対して「(タイ政府が)12年から調査をしており、日本側が納得できるデータが集まっている」と語り、翌16年にも着工できるとの考えを示した。今から思えば、あまりに甘い見通しである。
もっとも百戦錬磨の和泉氏らが、その見通しを真に受けていたとは思えない。タイの鉄道建設は時間がかかる。高速鉄道にしても、1990年代から計画はあったが、通貨危機や政変もあって立案されては消えていった。日本は中国と競い合いながら10年ほど前から強い関心を寄せてきた。日本の政治家や官僚は、タイ側の甘いささやきにのってみせることで、新幹線輸出を勝ち取った絵を描きたかったのだろう。
このとき合意を受けて、朝日新聞も「タイ、新幹線を採用 日本と合意」(15年5月28日朝刊)と報じた。「JR東日本、日立製作所、三菱重工業が連合を組み、事業への参加を検討している。インフラ輸出を成長戦略の柱の一つに掲げる安倍政権は、新幹線のトップセールスに力を入れている」。1兆円を超す総事業費の調達を課題としながらも、実現すれば「2007年の台湾に続く2例目の新幹線輸出」と期待が記されていた。
しかし、いや、案の定というべきか。プラジン氏がささやいた16年の着工はありえなかった。採算が疑問視されるなかで、日・タイ両政府は16年、バンコクからピッサヌロークまでを優先して建設することで合意した。全線の整備に踏み出すには、あまりにも採算が見通せなかったからだ。黒字化には一日あたり5万人以上の乗客が必要だが、1万人程度にとどまるとみられていた。
翌17年12月、日本政府は建設に向けた調査報告書をまとめ、タイ政府に渡した。ピッサヌロークまでの事業費は2700億バーツ(1兆円弱)、開業目標は2025年。タイの交通当局は当時「沿線開発によって長期的には黒字になる」と日本の国土交通省から説明を受けたと語っている。調査費は約7億円を使った。今も調査が続いているが、問題なのは巨額の円借款を用いることを前提とする事業にもかかわらず、結果の詳細は今も公表されていないことだ。日本政府は「政府間で協議中で事業費なども調整中のため公表の予定はない」(国土交通省鉄道局)と説明する。
タイに先行にして進むインドへの新幹線輸出にしても、工期の大幅な遅れと事業費の膨張が予想されている。こうした現況について、日本政府は想定とのずれや今後の見通しについて、きちんと情報開示すべきだ。
習政権の対外戦略「一帯一路」に沿って雲南省からラオスを抜けてタイまで高速鉄道を延ばしたい中国。安倍政権(当時)のもとでインフラ輸出を経済政策アベノミクスの一つの目玉とする日本。日中両国を競わせて、インフラ整備をよりお得に進めたいタイ。そんな3カ国の思惑が交錯しながら、タイを舞台にする高速鉄道の計画は動いてきた。
興味深い事実がある。タイを舞台にした日中の高速鉄道輸出の競いあいは、国際入札ではない。日中とも軍政の指名によって事業を獲得している。米国のオバマ政権(当時)が軍政に距離をおく傍らで進んだ。
オバマ氏は退任までプラユット氏をホワイトハウスには入れなかった。「早期の民政復帰」や「人権の尊重」を求めて高官の交流も止めていた。
それに比べれば、日本政府は中国政府同様、タイが軍事政権であるということは気にかけなかった。タイは日本企業にとって5千社以上が進出する東南アジアの拠点である。政治体制を問わぬよう日本の経済界の日本政府への要望が強かったからだ。日本の政府や企業には「日本が引くと中国に攻め込まれる」という危機感もあった。軍政時代のミャンマーに対して、日本が欧米に歩調をあわせて距離をとったことは、中国に商機を奪われた失敗として記憶に刻まれていた。
タイ軍政と米国との首脳会談が成立したのは、人権問題で中国以外の国に対してはオバマ政権ほどに注文をつけなかったトランプ政権になってからだ。台頭する中国を牽制する意味もあって、オバマ氏がやはり距離を置いていたフィリピンの強権的なドゥテルテ政権とも関係を修復した。
人権や民主主義をより重視するバイデン次期政権は、非民主的な国々に対してどんな対応をとるのか。価値観をどのような形でビジネスに持ち込むか。2019年に軍政から総選挙を通じて民政へ移管したタイではあるが、野党つぶしなどを受けて、親軍政勢力が政権を維持している。王室を含む権威主義的な体制に対して若者が批判を強めて街に出ている。タイなどの政治情勢とバイデン次期政権の動きしだいでは、日本はアジアで鉄道を含む経済協力のあり方を問われることになるかもしれない。
さて、タイの高速鉄道は、中国が協力する路線の歩みものろい。バンコク―ノンカイ線(約606キロ)は着工から3年で、建設できたのは3・5キロだけ。中国メディアに「かたつむり」と揶揄されるほどだ。
中国人技術者の滞在ビザの問題や建設資金の調達方法でもめた。タイ政府も世論も中国主導の建設を警戒した。中国の政府系銀行による高い金利を嫌って自ら調達することに切り替えた。車両など高速鉄道システムや技術は買っても、土木工事は自国の企業中心に持ち込んだ。ようやく工事が始まったのは2017年のこと。車両などの納入契約がまとまったのは20年末になってからだ。現在も環境アセスメントを終えられず、着工できない区間もある。第一区間とするナコンラチャシマ(約250キロ)までの開業目標は、23年から25年へ先送りされている。
『王国の鉄路』や『タイ鉄道と日本軍』の著者で、タイの鉄道に詳しい横浜市立大学教授の柿崎一郎氏は指摘する。「中国だけでやっていれば今ごろ開業していたかもしれない。タイ政府は自らの利益や合法性を損なわないように中国主導を認めなかった。かたつむりかもしれないが、タイのペースで進めている。中国とラオスの鉄路は2021年末につながるが、中国からタイまでが一本の鉄路で結ばれるまでにはまだ10年かかるかもしれない」
1950年代の東西冷戦時代、ラオスがまだ「西側」だったころのこと。共産ドミノを回避したい米国は、ラオスへの生命線となるタイ東北部の鉄路を、国道とあわせて無償援助で敷いた。同じルートでいま、中国の技術を用いた鉄道が作られつつある。「国際情勢の変化を映している。米国にとって東南アジアの戦略的重要性が減った。その隙をついて、中国は権威主義的な政権との距離を縮めている」と柿崎氏。
タイ政府がもっとも力を入れる高速鉄道も視界不良だ。首都圏の3空港をつなぎ、日本企業も進出する東部経済回廊(EEC)を走る路線である。タイ最大の財閥チャロンポカパン(CP)グループが中国企業との協力で整備する。21年に着工し、26年の開業を目指すが、用地の引き渡しが遅れ、関係する企業の動きは鈍い。
中学時代をタイで過ごした柿崎氏がバンコク―チェンマイ間の寝台列車に初めて乗ったのは、1980年代半ば。日本製の車両だった。大学生からタイ鉄道研究を始め、約4000キロに及ぶタイの鉄路を乗り尽くしている。「もっとも必要なのはバンコク首都圏の渋滞を解消する都市鉄道の新設と、1割ほどしか進んでいない在来線の複線化でしょう」
バンコク北部で、壮大な新しい駅の建設が佳境を迎えている。バンスー中央駅。この駅とともに2021年11月にレッドライン(約26キロ)と呼ばれる都市交通も開業する予定だ。合計で2700億円規模の円借款が投じられ、三菱重工業や住友商事など日本企業が参画している。赤いつややかな車両は、日立製作所が笠戸事業所(山口県)で製造したものだ。電化がほとんど進んでいないタイでは珍しい電車で、最高時速120キロで走る。
プラットホームは24を数え、東南アジア最大だという。ホームの4本はレッドライン、8本は在来線、残る12本は高速鉄道用に残しておくそうだ。日本の新幹線や中国の高速鉄道が立派なホームに滑りこむ日は、いつか来るのだろうか。