中国が敷く「初めて」の鉄路 世界遺産の町にも駅
バンコクからタイ航空のジェット機で1時間半。まるごとユネスコの世界遺産に登録されている町、ルアンプラバンに飛んだ。着陸が近づくと土色にうねるメコン河が見える。村上春樹さんが紀行文で「街そのものより、街外れにある飛行場の方がたぶん大きいだろう」と書いた空港は、中国政府の援助で拡張されたものだ。赤橙の屋根がつつましく並ぶ中心部をしのぐほど広い。降りてみると、隣に中国の海南航空機がとまっている。深圳から来た便だ。中国とは雲南省・昆明や景洪、湖南省・長沙、海南島などとも直行便で結ばれている。
現在のラオスの基礎となるランサン王国が14世紀に都をおいたルアンプラバンは、お寺が多く「仏都」とも呼ばれる。南国の濃い緑に囲まれたこぢんまりとした町である。国民の大半は仏教徒だ。ラオスの国花、白いチャンパ(ラオス語でプルメリアをさす)や鮮やかなピンクのブーゲンビリアが咲く細い通りを毎朝、濃い橙色の法衣をまとうお坊さんたちが托鉢(たくはつ)に歩く。私もホテルの近くの屋台で20000キップ(約260円)で「買った」糯米を手づかみで喜捨した。スマホを抱えた旅行客がお坊さんの列を追いかけている。
想像した以上に観光地化されていたが、貧しい地域の信仰をこうしたお金が支えることも、「宗教」のめぐりなのかもしれない。欧米客の人気が根強く、プライベートジェットで訪れるお金持ちもいるそうだ。アジアからはタイや韓国のほか、中国からのお客が増えている。旧正月の連休中は中国ナンバーの車がたくさん乗り入れ、信号のない町が喧噪に包まれたという。「賃貸・販売」。町には住宅や事務所の貸し出しや投資を誘う中国語の広告が目につく。地元の人から不動産を買い取って旅館やレストランを経営する中国人も増えている。
ここでも、中国国境から首都ビエンチャンへとつなぐ鉄道(約410キロ)の建設が佳境を迎えていた。ラオスの建国記念日である2021年12月2日の開業を目指す。起工式からわずか5年で完成させる突貫工事だ。最高時速は旅客が160キロ、貨物が120キロ。現在バスで1日以上かかるところが、3時間から4時間まで縮まる。ラオスを代表する観光地の古都ルアンプラバンが寄せる期待は大きい。起工式は首都のほか、ここでも行われた。
「建好老中鉄路 造福老中人民(ラオス―中国鉄道をきちんと造って、両国民を幸せにしよう)」。そんな看板が目に飛びこんでくる。建設を手がけるのは、中国の国有企業だ。メコン河に橋をかけ、トンネルを掘り、駅を造っている。お寺がひしめく中心部から車で20分ほど走ると、工事現場に着く。中鉄八局集団の大きな看板が見える。世界中で鉄道インフラを手がける中国中鉄の子会社だ。「八局」はラオスに近い四川省や雲南省といった南西部を拠点にする。
ゆったりと流れる乾期のメコン河をぶった切るように、セメントの橋げたがぬっと立ち並ぶ。渡し船に乗って川面から眺めてみる。のっぺりとした人工的な橋脚は、こぢんまりとした仏都で強い異物感を放つ。ラオスは、中国の習近平(シー・チンピン)政権が推し進める対外構想「一帯一路」の一里塚にあたる。悠久の大河にかけられた橋げたが、中国の南進達成の記念碑のようにも見える。
「外国で仕事しながら家族を思う」「安全に帰宅して一家だんらん」。赤い貼り紙があった。ラオス語と中国語で書いているが、工事に携わる労働者は、大半が中国人で、ベトナム人が続く。
中国側によると、鉄道の建設現場で1万7千人以上が働き、「ラオス籍は4300人以上」(中国共産党機関紙人民日報)という。地元の人に聞くと、ラオスの人はモノを運んだり、車を運転したり簡単な仕事に携わっているそうだ。
中国人労働者は現場近くのプレハブ住宅で寝泊まりする。町の人たちの生活圏と離れている。「もめごとが起きないように、現場付近を軍人も巡回しています」。道案内を頼んだ若いガイドはそう説明した。貧しい農家の三男で、中国政府の奨学金で雲南省の大学で4年間にわたって中国語を学んだそうだ。「初心忘るべからず」。中国系旅行会社から支給されたジャンパーの背中には、習近平政権のスローガンが漢字で書いてある。
「中国人とラオス人は文化が違う。ルアンプラバンのレストランやバーは基本的に禁煙ですが、中国の労働者はたばこをよく吸うし、近づきませんね。観光客も含めてラオス料理はあっさりしすぎて口にあわないようで中華料理を好みます」。中国人が経営する中華料理店が町に増えているゆえんだ。公務員を目指しつつ、ガイドで稼ぐ彼にとって中国の人々は大事なお客さんだ。言葉を選びながらも、両国の文化の違いに繰り返し、触れていた。「中国語を使って仕事をするときは声が大きくなってしまうんです。ラオスの人はほんとうはもっと静かにしゃべります」と苦笑いする。うん、わかる。私もそうだから。
近くの山肌にはトンネルの穴が見える。山がちな国土を貫いて走るため、半分近くがトンネルだ。その数は75にのぼる。冒頭の「中国はラオスでいったいなにをしているんですか」という問いに対して、私がここで見つけた答えの一つは「トンネルを掘っている」。そう言いたくなるほどの数だ。車を少し走らせれば、あちこちで穴を見かける。沿線付近にはベトナム戦争時に米国が落とした不発弾が眠る地域もある。ラオス軍が除去しながら整地していった。
ラオスの一人あたり国内総生産(GDP)は中国の3分の1にも満たないが、銅、金やボーキサイトなど貴重な鉱物資源が眠る。「中国はトンネルを掘りながら地質調査をし、カネになる鉱物のありかを調べているのではないか」「トンネルを掘って出てきた土にまじった鉱物を組織的に中国へ持ち帰ってしまった」。真偽不明だが、そんな「疑念」も耳にした。
トンネルは意外と小さい。単線だからだ。線路の幅は、中国と同じ標準軌の1435ミリ。狭軌(1000ミリ)中心のタイとは異なる。いずれタイに延長されるが、線路の幅は中国規格だ。
旅客も貨物も一緒に走る。最高時速はそれぞれ160キロ、120キロ。160キロは、一般的に高速とは呼ばない。「中速」だ。ちなみに、日本では東京上野と成田空港を結ぶ京成電鉄のスカイライナーが最高時速160キロで走っている。「新幹線」をイメージする速度ではない。
建設中の鉄道は、高速鉄道と伝えられてきた。看板にも、世界最大の鉄道車両メーカーで、国有企業の中国中車が造る高速鉄道車両が描かれている。この事業は胡錦濤(フー・チンタオ)前政権時代の2010年ごろから、話が進められてきた。初めは両国の間で「高鉄」の方向で話がもちあがった。主に資金の負担について折り合いがつかず、当初の目標だった15年の開業を目指した着工は見送られた。
そこへ「一帯一路」を掲げる習政権が登場し、一気に動き出した。ただ、中国の専門家から問題点が指摘された。山がち+単線+貨客併用+30を超える駅の数を考えると「高速」は無理だ、コストも膨らむ、と。これに対して、中国メディアによれば、ラオス政府は一環して「高鉄」にこだわった。「メンツ」だろうか。そこで、折衷案として「平地では200キロで走れる規格の車両を用意する」ことになった。
日本の鉄道専門家にきくと、「貨物と旅客が一緒に単線を走り、駅の数も多く、200キロ走行は危ない」と言う。私自身も実際には200キロで走るかどうか、疑問に思っている。
似たような話を中東欧でも聞いた。中国が支援して建設するハンガリー・ブダペスト―セルビア・ベオグラード鉄道。ここも高速鉄道の計画で始まったものの、時速は旅客160キロ、貨物120キロをめどにしている。ラオスと同様に地元政府から「短い区間でも良いので200キロで走らせてほしい」という要望が上がっていた。
中国にとって「高速」かどうかは、どうでもいいはずだ。最大の狙いは貨物輸送にあるからだ。中東欧では、いずれは中国国有企業が買収したギリシャのピレウス港まで鉄路でつなぎ、貨物を運ぶ想定だ。ラオスの場合はタイを抜け、マレーシア、シンガポールへとつなぐ「東南アジア縦貫鉄道」の一部と位置づける。いずれも中国の製品を輸出するルートであり、中東から原油を運ぶルートのバックアップ機能を持たせている。
ラオス出身で、ジェトロ・アジア経済研究所研究員のケオラ・スックニランさんの試算によると、貨物輸送については輸出するモノを持つ中国やタイのメリットが大きい。旅客についてはラオスの方が利益を享受できるそうだ。
ルアンプラバン駅の予定地にも行ってみた。こちらは意外に遠い。世界遺産ゆえに町の環境に配慮したときいた。車は土ぼこりをあげてガタゴト走る。木材を引きずって運ぶゾウにも出くわした。中心部から20キロもないはずだが、30分以上かかった。空港よりはるかに不便だ。ブルドーザーが走り回り、整地している。どの程度の乗客数を予想しているのだろうか。とにかく巨大な敷地である。東京駅よりも広いのではないか。コンテナの集積場や倉庫、トラックの駐車場に備えたつくりだ。旅客よりも貨物を重視した駅だと思う。
「高速」と言っていたくせに―。ずっと取材してきた私は、ついついそう言いたくなる。だが、ラオスにとっても、もはや中速か高速かは大きな問題ではない。地元の人々に良い役割を果たすかどうかが、最大の問題だ。
ラオス政府にとって言えば、鉄道は念願だった。フランス植民地時代の19世紀末、7キロほどの鉄道が敷設されたことはある。南部メコンの物流を担った。しかし、1941年には運行を終えてしまう。その後、第2次世界大戦中の日本軍の侵攻、戦後は重なる内戦を経て1975年に現在のラオス人民民主共和国が成立。東南アジア諸国連合(ASEAN)唯一の海を持たない国として、隣国タイと結ぶ鉄路が長く検討されてきた。ところが、90年代末のアジア通貨危機で延期になり、2009年にようやくビエンチャンとタイ北部を結ぶ鉄道が開業した。その距離わずか3・5キロ。しかも旅客のみ。運行はタイ国鉄にゆだねている。「陸鎖国」と中国語で呼ばれるラオスにとって「老中鉄路」は、初めての本格的な鉄道なのである。
鉄道はラオスという国を、そして人々の生活をどう変えていくのだろうか。
いくつか心配事がある。まず「債務のわな」である。返せなくなるほどの借金漬けになってしまうリスクを指す。鉄道工事の費用は約60億ドル。ラオスのGDPの3分の1、年間予算の2倍近い規模である。ラオスの負担分は約3割だ。「これほどのカネを動かせる国は中国しかない。日本にできますか」。ある政府高官は言った。「日本には日本にできることをやってほしい」
ラオスはダムや人工衛星など別の事業でも中国から借金を重ねている。政府の借金はすでにGDPの6割を超えており、国際通貨基金(IMF)から注意されている。返済能力に「黄信号」がともると、国際機関や先進国は貸しづらくなる。そもそも日本など先進国にとってラオスは、円借款など利子がつくお金を貸すよりも貧困削減を念頭においた無償援助が中心の相手だった。だが、中国の関わり方は違う。お金をどんどん貸して、プロジェクトを進めようとする。
ラオスが中国にお金を返せなくなるとどうなるのか。鉄道の両脇50メートルは、ラオスと中国の合弁で設立した鉄道会社が所有する。この土地のほか、虎の子の地下資源を差し出さざるを得なくなるおそれがある。中国にも「カリウムなど資源で返してもらえばいい」(中国誌・北京週報ネット版)とする意見がある。実際、鉱物の輸出代金で返済にあてる契約になっている。ラオス研究の専門家、ジェトロ・アジア経済研究所研究員の山田紀彦さんは「ラオス政府は『債務のわな』の問題を意識はしているが、発展には資金が必要だと認識している。ベトナムとは政治的に深い関係にあるが、資金は期待できない。中国への依存が続くだろう。(高速鉄道が開業する)21年までに水力発電が40機稼働するので、電力の輸出で借金は返済できると考えている可能性がある」と指摘する。
歴史的にも、ラオスは貿易や人の往来ではタイとの関係が深い。だが、不動産開発から農業、小売りまで、中国の存在感は増している。鉄道にかかわる通信技術は、華為技術(ファーウェイ)が深く関与することになっている。鉄道の建設によって中国への依存度がさらに高まることは間違いない。
中国との国境沿いの町では経済特区の開発が進んでいる。2017年秋に不動産開発業者を訪ねたときには、売る側も買う側も中国人。中国とラオスは一時間の時差があるが、中国時間と暦で仕事をしていた。かつては麻薬の密売地として知られた黄金三角地帯に点在していたカジノの主な客は中国人。仲間内の殺人事件なども起きて縮小されたものの、残った場所では毛沢東が描かれた人民元札が飛び交う。
鉄道を含む中国との橋渡しをしてきたソムサワット副首相が16年に引退した。祖先が海南島籍で、中国語を話す「老朋友」(国営新華社通信)とされる「親中派」の代表的な人物だ。彼の退任で「ラオスは超親中路線をやや修正した」(タイの外交筋)とも分析された。ただ、経済規模でも人口でも中国の地方都市にも満たないラオスにとって、巨大な隣国中国とつきあいには、誰がトップを務めてもおのずと限界があろう。
現在の商工相は幼いころを北京で過ごし、習近平氏と小学校の同級生だという。ラオス専門家の山田さんは言う。「ラオスはむしろ、中国寄りとみられていることを『外交カード』に用いて、日本、米国、ロシア、韓国など他国からも資金を引き出そうと立ち回っている」。「小国」を自認したうえで、したたかさを発揮しているとも言える。
鉄道の人材育成はどうなるだろうか。雇用にかかわる問題だ。ラオスは全体として技能を持つ働き手が不足している。建設段階でいえば「トンネルを掘って橋を架けられる労働者がラオスにはいない」(沿線の自治体幹部)とする説明はうそではない。ルアンプラバンでも、中国側が開いた研修会に人が集まらないこともあったという。ただ、開業後も運営や運行を中国にゆだねてしまうのだろうか。運転士から乗務員、駅の管理、線路の補修に至るまでラオスにとって初めてのことばかりが続く。中国は現地の人材を育てる努力をしてほしい。
この事業による土地の収用で多くの人々が引っ越しを強いられた。4000世帯を超える家庭が影響を受けたそうだ。住み慣れた場所からの引っ越しで生活は大きく変わる。ラオス政府には補償はもちろんだが、「初めて」の鉄道を共同体の崩壊ではなく、貧しさから抜け出せるきっかけとするような政策を期待する。
さらに、鉄道の建設に伴い、70を超えるトンネルを掘り、200近い橋をかけたことによる環境への影響も心配だ。ラオスを主語でかたるとき、それは政府だけではない。
ラオスにとって鉄道が問うものは、果てしなく大きい。
ルアンプラバンの町を一望できるプーシーの丘に登ってみた。てっぺんにも、お寺や仏塔がある。河の向こうの緑の山が黄土色に欠けている。鉄道のトンネルの穴がぼんやりとひかっている。中国側は2019年を「決戦期」とし、年内に土木工事の9割を終える計画だ。両国政府は19年を旅行年と定め、百万人の中国人客の誘致で盛り上げようとしている。
日本にとってラオスは、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊が1965年に初めて赴いた国だ。政情が不安定ななか、日本語教師、コメや野菜作りの指導員として協力した。当時、中国からは「いわゆる平和部隊(青年海外協力隊をさす)は(中略)日本の特務機関と軍事要員を隠す手段」(国営新華社通信)と非難された報道が残る。だが、協力隊を含めて日本の草の根が地道にラオスの人々に向き合ってきたつながりは深い。
近年、権力者を取り込んで外交の糧とする中国の動きに刺激されて、日本も安全保障をより意識した援助へと傾きつつある。中国の軍拡を思えば安保の視点はもちろん重要だが、成長から取り残されていく人々に対する支援を忘れないでいたいと思う。
ラオス航空が年内にも、ビエンチャンとルアンプラバンから福岡へ向けて直行便の乗り入れを検討している。日本人との心の距離が一段と縮まることを祈る。