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日本と中国の「鉄道争奪戦」 インドネシアの本当の「ドリーム」は(後編)

鉄輪で行く中国・アジア
インドネシア初の地下鉄を走る予定の車両。日本車両が製造した。21年ぶりに日本からインドネシアに輸出された「新車」でもある=MRTジャカルタ提供

インドネシアで初めての地下鉄が来年3月、開業する。日本政府が円借款で建設を全面的に支援した。前編でも紹介したように、渋滞が街の代名詞ともいえるジャカルタで、市民の確かな足となることが期待されている。

公共交通機関の整備が追いつかず、渋滞が激しい都心では、バイクタクシーが市民の足となっている=2017年9月、ジャカルタ、吉岡桂子撮影

この鉄道は「ジャカルタ都市高速鉄道(MRT=Mass Rapid Train、大量高速輸送)南北線」と呼ばれ、中心部からビジネス街の目抜き通りを通って南下する。東南アジア諸国連合(ASEAN)の事務局の前あたりで地上に出て、高架を走る。全長15.7キロ。東京メトロ銀座線(浅草ー渋谷)より1キロほど長い距離だ。インドネシアでは来年4月に大統領選挙が控える。現政権の成果として、なんとしても開通させたいジョコ大統領の意気込みに押されるように、急ピッチで仕上げが進む。

インドネシア初めての地下鉄の工事現場。駅への入り口ごとに警備員がいる=2018年11月21日、ジャカルタ、吉岡桂子撮影

総額3300億円を超える円借款事業として、2013年秋に工事が始まった。土木工事から車両、信号、運行管理や開業後の支援までまとめて日本企業の技術を用いる。日本車両の豊川製作所(愛知県豊川市)で製造されたステンレス製の車両がすでに陸揚げされて出番を待つ。1990年代末のアジア通貨危機以降、インドネシアは財政資金を節約するため、日本からは中古車両を導入してきた。日本製の新車が輸入されたのは、21年ぶりのこと。南北線に続いて東西線の建設も計画されている。

私のふるさと岡山には地下鉄がない。大学生になって大阪へ遊びに行って初めて乗った。梅田駅の怖いぐらいの人混みの記憶とあわせて、私にとって地下鉄は都会のにおいが漂う乗り物だ。インドネシアでは80年代から計画はあったが、幾度となく頓挫してきたそうだ。構想から30年を経て日本の援助で初めてジャカルタを走る。なんとか無事にスタートを切ってほしいと願っている。

いっぽう、ジャカルタとインドネシア第2の都市スラバヤを結ぶジャワ島横断鉄道(約730キロ)の改善に向けた協力は、あまり進んでいない。当初は高速鉄道の新設も検討されたが、コストの面から見送られた。軌道の改善などによって、時速を約70キロから160キロに引きあげることで、かかる時間も現在の12時間から半分に短縮する計画だ。今年にも着工する予定だったが、資金負担の問題などでおりあいがつかず、調査の段階を抜け出せていない。

「生じた傷をいやしたい」。この案件を日本に委ねるにあたって、ルフット・パンジャイタン海事調整相が2016年末、朝日新聞の取材に語った言葉だ。インドネシア初の高速鉄道となるジャカルタ―バンドン(約140キロ)間の建設を中国に発注したことで、日本国内ではジョコ政権に対する不信が強まっていたからだった。資金負担の枠組みが不透明で日本企業は手を出しにくいという理由があったにせよ、日本は長く調査を続けていただけに、適当な条件を並べ立てる中国に事業を横取りされたようで、インドネシアに裏切られた思いを抱く人もいた。

私は17年9月、この因縁の路線を鉄道で往復した。バンコクからジャカルタに出張したついでに、足を伸ばしてみたのだ。

バンドン駅。インドネシアの線路の幅は日本と同じ1067ミリが多い=2017年9月7日、バンドン、吉岡桂子撮影

片道3時間あまり。150000ルピア(約1200円)ぐらいだった。往復とも、それなりに乗客の姿があった。標高700メートルの高原にあるバンドンは熱帯にしては過ごしやすい。大学都市でもある。学生らしき若い乗客も多かった。この旅で記憶に残るのは列車そのものではない。ヒジャブで頭を覆ったイスラム教徒の若い女性が、手鏡を持ってマスカラを熱心に塗っていたことだ。片目に何十回も。日本で論争の種になる女子高校生のしぐさを思い出した。興味津々で後ろの席からのぞいている私も、ひょっとしたら手鏡に写っていたかもしれない。車内販売で鶏肉やお芋の団子のようなもの、炒めたタマネギや落花生などを白いごはんにのせてあるお弁当「NASI RAMES」を買った。30000ルピア(約240円)。スパイシーで、ちょこっと甘く、おいしかった。

ジャカルタからバンドンへ走る列車の車内販売。飲み物やお菓子、お弁当を売っている=2017年9月7日、吉岡桂子撮影
ジャカルタからバンドンへ走る列車で買ったお弁当=2017年9月7日、吉岡桂子撮影

列車はほぼ定刻に発着。けっこう揺れた。ただ、線路やシステムを改善すれば、時間を短縮できそうだ。時速300キロ超の高速鉄道なら40分だというが、巨額の投資が必要だ。沿線の住民に立ち退きを求めてまで必要なのだろうか。高速バスも3時間弱で頻繁に行き来している。採算はとれるのだろうか。疑問がふつふつとわいてきた。

インドネシアが日本ではなく中国を選んだ主因は、中国の提案ではインドネシア政府に財政負担を求めないからだった。周辺の不動産や商業施設の開発とセットで利益をあげる仕組みだった。人々が乗りやすい運賃に設定しながら、その思惑通りに進むのかどうか、注目している。

ただ、インドネシアに限らず新興国にとって高速鉄道はただの乗り物ではないのかもしれない。発展の象徴として政治的な要請が強い。高度成長期の日本が、新幹線に乗り物を超えた夢とプライドを投影したように。

そんなことを考えながら、バンドン郊外の高速鉄道の工事現場ものぞいてみた。駅から車で30分ほどだった。茶畑をつぶして整地していた。鉄道の土木工事を請け負う中国の国有企業「中国中鉄」のオレンジの制服を着た地元の従業員が働いている。日給85000ルピア(約700円)と言う。「整地をしているが、毎日同じような作業が続いている。仕事があるのはいいことだよ」と言う。もっと話を聞こうと近づくと、中国人の管理者が現れて追い払われてしまった。新駅をつくるため立ち退き対象となっている地域の住民は「引っ越し先の家賃の補助など条件しだい。得するなら引っ越すけど、損するなら嫌だ」と話した。もっともな話である。

中国による高速鉄道の工事現場で働く現地の男性=2017年9月8日、バンドン郊外、吉岡桂子撮影

バンドンの駅の近くで、案内してくれた地元の人たちとごはんを食べた。バンドが演奏していた。「あ、心の友だよ!」。1980年代にインドネシアで大ヒットした五輪真弓さんの曲だという。私は知らなかったが、「インドネシアではみんな知っている」。インドネシアに詳しい日本の知人にきくと、有名な話だった。

この曲がはやった当時のインドネシアは、2代目の大統領スハルト政権のもと、政治の民主化はさておいて経済発展を最優先する開発独裁のさなかである。「愛はいつもララバイ あなたが弱い時 ただ心の友と私を呼んで」。そう歌うこの曲を、人々はどんな気分で聞いていたのだろう。

バンドンにはインドネシア国鉄の本社がある。オランダの植民地時代、蘭印鉄道会社の重要な拠点でもあった。インドネシアは、第2次世界大戦中の1942年から3年間は日本軍に占領された。戦後、再び進駐してきたオランダと戦って独立を勝ち取る。初代大統領のスカルノ氏らが中国やインドの首脳と音頭をとってバンドンで、「アジア・アフリカ会議」を開いた。「バンドン会議」とも呼ばれ、第三勢力の連帯を訴えて旧植民地の独立運動を勢いづけた。東西冷戦のもとでは西側の反共産主義の「とりで」の役割を担った。戦争の償いの流れのなかで、日本は米国とともにインドネシアを支えるため、最大の援助国になった。日本企業も投資した。そして、通貨危機後に開発独裁を長く続けたスハルト体制が崩壊……。ここ10年は地域の経済大国として台頭した中国と、日本が影響力を競い合う舞台になっている。

ジャカルタとバンドンを結ぶ高速鉄道の工事現場=2018年11月2日、ワリニ、藤澤貴史氏(東アジア・ASEAN経済研究センター)撮影

ジャカルタ―バンドン高速鉄道の発注先が中国に決まった時、日本社会にわきおこった「反中」に、一部「反ジョコ」もまじる激しい反応も、歴史の一幕なのだろう。東京五輪の年に開業した新幹線を高度成長の「上げ潮」の時代に重ねる日本。高速鉄道を大国復興の象徴とする中国。ナショナリズムのぶつかり合いは、単なる鉄道ビジネスを越えていた。

停滞していた中国による工事は、18年春ごろから動き出している。中国国有銀行・中国開発銀行が追加の融資に乗りだした。工事現場のわきには、中国じまんの高速鉄道車両「復興号」が描かれた看板が立つ。今夏の時点で、土地収用が7~8割、工事の進捗率じたいは1割に満たない。日本の地下鉄同様に大統領選挙前の開業を狙って中国に発注したジョコ氏のもくろみは、大きく外れている。

ただ、インドネシアは習近平国家主席肝いりの経済圏構想「一帯一路」のなかで、「海のシルクロード」を担う要衝。開業は2020年以降になりそうだが、投げ出すこともできないはずだ。高速で走るかどうかは別にしても。

日本のなかには、遅れを喜ぶ人もいる。だけど、事業の失敗を期待するような言説を吐いたところで、得られるものがあるとも思えない。インドネシアで改善や整備が必要な路線はたくさんある。広い国土に4000キロを越える営業距離。首都圏にも単線が残る状況だ。人々の身近な生活の足となる都市鉄道や地下鉄の整備にこそ、期待は強い。日本の技術や協力の出番は、やまのようにある。

自ら愛着を持つ鉄道がほかの国でも役立つこと。それを一緒に喜べるとき、「日本発ドリーム」がかなう。