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幻となった「日中協力」 タイ高速鉄道は中国とタイで建設へ 

鉄輪で行く中国・アジア 更新日: 公開日:
フアランポーン駅からバーンプルータールアンまで乗った列車。スプリンターと呼ばれる車両だった=2018年12月23日、バンコク、吉岡桂子撮影

タイの新たな高速鉄道計画が動き始めた。大詰めを迎えた国際入札は、地元大手財閥と中国国有企業を中心とした企業連合の落札が濃厚だ。日本政府は中国との外交関係の改善の象徴として、日中両国の企業が協力して参画する案にこだわっていたが、幻に終わった。その背景を、新線の区間とほぼ重なる在来線に揺られながら考えた。

高速鉄道始動 一日一往復から乗客激増を期待

この高速鉄道は、バンコク首都圏のスワンナプーム、ドンムアン、ウタパオの3空港をつなぐ。総延長は約220キロ。名古屋―新神戸間とほぼ同じ距離だ。最高時速は250キロを予定し、約1時間で結ぶ。プラユット暫定首相が率いる軍事政権が、経済振興策の目玉とする「東部経済回廊(EEC)開発構想」のひとつで、日本企業が多く進出する地域を走り抜ける。費用は2471億ドル(約8000億円)とされる。

12月21日に明らかにされた国際入札の結果によると、地元の最大財閥チャロン・ポカパン(CP)グループと中国国有の鉄道建設会社である中国鉄建(CRCC)が出資する企業連合が優先交渉権を獲得した。問題がなければ、年明け1月中に正式に決まる。

新線の沿線にエビ養殖の土地などを持つCPは早くから意欲を示してきた。タイの高架鉄道を運営するBTSグループが主導する企業連合も入札には参加したものの、当初からCPが本命視されていた。軍事クーデターで2014年に生まれた現政権は、初めての総選挙を2月に予定している。その直前に確定させるのは、大型の利権を有力財閥に分配すると同時に、経済的な成果として有権者にアピールする狙いもあるはずだ。

この路線、どんなところを走るのだろう。新線とほぼ重なる在来線に乗ってみることにした。

地図を見ると、海岸線に沿ってひたすら南下する。ビーチリゾートで有名なパタヤを通る。海の景色が楽しめるかもしれない。終点はバーンプルータールアンという聞き慣れない地名だ。よほどお客が少ないのか、1日1往復しか走っていない。平日はエアコンなしの3等車、土日はエアコンつきの2等車だ。しかも、今春まで週末は運行していなかったそうだ。

師走の日曜日、23日早朝。バンコクの中央駅にあたるフアランポーン駅へと急いだ。ほとんどの路線が乗り入れるタイ鉄道網の中心だ。東京駅と上野駅を足したような存在とも言える。私の列車「997番」も、この駅が始発だ。

タイの鉄道網の拠点となるフアランポーン駅。ドーム形の駅舎は、ドイツのフランクフルト駅をモデルに1916年に完成した=2018年12月18日、バンコク、吉岡桂子撮影

クリーム色のドーム形の駅舎は、ドイツのフランクフルト駅をモデルに1916年に造られた。100年余りの歴史がある。プラットホームへの出入り口には、ラーマ5世(チュラロンコーン、1853~1910年)の肖像画がどーんと掲げられている。タイの近代化を進めた名君として誉れ高く、鉄道の父とも言われる存在である。

タイの鉄道網の拠点となるフアランポーン駅には、鉄道の父とされるラーマ5世の肖像画が飾られている(中央)。右は現国王=2018年12月21日、バンコク、吉岡桂子撮影

駅に改札はない。切符を買っていなくてもプラットホームに自由に入れる。駅の気配が恋しくなるとき、列車に乗る予定がなくても足が向く。この日は切符を携えて、久しぶりのタイ列車旅だ。

つややかな青に赤と白のラインが施された車両が、8番ホームで待っていた。3両しかない。6時45分に出発し、終点には9時50分に着く。200キロ弱の道のりを約3時間かけて走る。料金は170バーツ、約600円である。

バンコクのフアランポーン駅とタイ湾に近いバーンプルータールアン駅を結ぶ列車。青いボディーのスプリンター号だった=2018年12月23日、バンコク・フアランポーン駅、吉岡桂子撮影

車体にスプリンターと英語でも書いてある。これだったか。90年代に飛行機に対抗する切り札として投入されたと聞くディーゼル機関車だ。100キロ台の最高時速を考えると、いくらなんでも無理があるが、エース級の位置づけを思わせる物語である。

以前、北部の最大都市チェンマイへ行ったときは2時間以上も発車が遅れた。心配していたが、定刻より1分半、早く出発した。この差を気にしていたのは、私だけかもしれないが…。

1車両72人乗りにもかかわらず、お客は私を含めて6人だけ。なぜか制服姿の職員が数人車両に乗っている。ほどなく茶色の制服の車掌さんが検札にやってきた。食堂車も車内販売もないことが分かった。がっかりしたが、3時間余りなら仕方ない。「コップクンクラップ(タイ語でありがとう)」。にこやかに去っていった。

バンコクのフアランポーン駅からバーンプルータールアン駅まで乗ったスプリンター号の車内=2018年12月23日、吉岡桂子撮影

グウーン、グウーンとディーゼルエンジンの音が響く。7時15分ごろ、オレンジの太陽がのぼった。しばらくバンコクの市街地を走る。高層ビルとトタン屋根のバラックがごちゃまぜに目に入る。線路に迫る距離で、Tシャツなど衣類を売る屋台が店開きしている。

平日は通勤通学で使うお客がいる区間だ。スワンナプーム空港へ向かうエアポートレールリンクや地下鉄と乗り換えできるマッカサン駅も通る。この駅周辺は、高速鉄道とセットで開発される。鉄道で赤字が出ても、不動産や商業施設から利益を上げられるとして、タイ政府は事業の運営者となる企業連合への財政補助を渋ってきた。

バンコク市街地とスワンナプーム空港を結んで走るエアポートレールリンク。平日は通勤、通学の人たちも乗り込み、混み合っている=2018年12月9日、バンコク・パヤタイ駅、吉岡桂子

ビュン。対向車両とすれ違った。このあたりは複線だ。

出発して1時間もたたないうち、外の景色は緑になってきた。水を張った田んぼも見える。気がつくと単線になっている。うとうとしているうち、シーラチャ駅に着いた。ビルが見える。この地域は、タイ政府が開発に力を入れる東部経済回廊(EEC)の中核でもある。自動車関連など日本企業も多く工場を構えている。十年前にはタイでは二つめの日本人学校も開校した。

パタヤ駅に着いた。国王の大きな写真を飾っている。海岸線からは離れているらしく、道中、海はまったく見えなかった。残念だ。

9時40分。終点のバーンプルータールアン駅に着いた。予定より10分ほど早い。私の車両は、もっとも多いときで地元のお客さんを中心に30人ぐらい。半分も埋まっていなかった。タイの鉄道で常に目に入る世界中からやって来るバックパッカーが、ほとんどいなかったことには驚いた。

バーンプルータールアン駅。小さな駅だった=2018年12月23日、チョンブリー県、吉岡桂子撮影

ホームに降りて、見渡すと向かいの草むらに朽ちかけた古い車両が転がっている。トイレやホームは清潔に手入れされていたが、小さな駅には食堂もない。戻りの列車は、15時50分発…。駅でバナナチップスや総菜を売っていた女性が、パタヤまでミニバスで行って、バスでバンコクに戻れると教えてくれた。合計168バーツ。列車の運賃とほぼ同じである。バスは20分おきに往来している。空港へも直行便がある。家や職場などが駅に近いか、よほどの愛好家でないと鉄道は利用しないだろう。バックパッカーの目線でいえば、リゾート地や工場地帯を走る路線は刺激に乏しい。

だから、1日1往復なんだな。

バイクの後ろの荷台に乗って、バーンプルータールアン駅からパタヤへ向かうミニバスの停留所まで行った。遠回りされ、60バーツ(約200円)=2018年12月23日、バーンプルータールアン、吉岡桂子撮影

終点の駅の近くにウタパオ空港がある。60年代から75年まで続いたベトナム戦争中は、米軍が東南アジアの重要な基地とした空港である。B52爆撃機が飛び立っていった。終点の駅から近いサタヒップ港にも米艦隊が寄港した。タイは見返りに巨額の援助を受け取った。そもそもパタヤは米軍兵士の休暇のために両国合意のもとに開発された。歓楽街は米兵でにぎわった。この付近は当時、米国の後方基地だったのだ。

ミニバスが、タイ海軍の広い基地を囲む塀のわきを通り過ぎた。ウタパオ空港はその後、中国やアジアから民間機も乗り入れる軍民共用の空港になった。タイ政府はさらなる開発を目指して、高速鉄道を延伸させる構えだ。

タイの鉄道の歴史をさらにひもとくと、開業は1890年代。主に英独の企業が建設に関わった。当初は標準軌(1435ミリ)だったが、その後、基本的に狭軌(メーターゲージ、1000ミリ)で整備された。現在の営業距離は4000キロを上回る。

ただ、バンコクの知人たちは、市街地を走る高架鉄道と地下鉄を除けば、ほとんど列車を使わないと言う。パタヤに行くにもバスやマイカー、もっと離れた場所なら飛行機。近年は格安航空会社が国内もぶんぶん飛んでいる。鉄道は、安いが便数が限られ、遅れもめずらしくない。とりわけ長距離になると、世界のバックパッカーや鉄道ファンから愛されるほどには頼りにされていないようにみえる。

高速鉄道で結ばれる3空港のひとつ、ドンムアン空港。格安航空会社が多く乗り入れている=2018年10月12日、バンコク、吉岡桂子

タイ政府は、高速鉄道の開通で乗客の激増を期待する。確かに、1時間といえば通勤圏にもなりうる。とはいえ、高速鉄道は高くつく。公共輸送として運賃の設定は制限される。そもそもバスなどと競争できない値段では、お客にそっぽを向かれる。民間が経営したところで、採算という関門はつきまとう。

着工から5年後の完成が目標とされる。私が見た風景は、どんなふうに変わっていくのだろうか。

「政熱経冷」政治と現実の距離

高速鉄道計画のなかでも、現政権がもっとも力を入れる路線の建設を、地元最大の財閥であるCPグループを核とした企業連合がてがける方向で進んでいることは想定通りの展開とも言える。

だが、途中、ひと波乱あった。

日本政府が、日中両国の企業が協力してタイで高速鉄道の建設に取り組む案に熱をあげたのだ。世界各地で受注に火花を散らしてきた日中の協力は、外交関係の改善の象徴になると考えたからだ。中国政府も、のった。米国のトランプ政権との衝突が強まるなかで、隣国日本との関係強化を示すには好都合な案件だった。

タイ政府も最終的には歓迎した。タイのお家芸は、安全保障を含めて競い合う日中を両てんびんにかけて、自国の利益を最大化しながら八方美人的にバランスをとること。地図にもあるバンコクから北へ向かう高速鉄道の場合、東は中国、西は日本へ委ねてバランスをとった。今回の路線も、本音では日中が張りあって良い条件を出してくることを期待していたかもしれない。だが、80年代から浮いては消えてきた大事業だ。日中そろえば、事業の具体化をより裏打ちできると踏んだ。

タイ国鉄の本社=2018年12月18日、バンコク、吉岡桂子撮影

日本政府は、安倍晋三首相の10月の訪中時にあわせて「第三国での日中協力」の目玉として合意を発表できるように、日本企業の背中をおしていた。6月の時点では伊藤忠商事や日立製作所、フジタなどが入札に参加する条件となる資料を購入した。とりわけ、伊藤忠商事はCPグループ、中国国有の巨大企業集団である中国中信集団(CITIC)と提携関係にあるだけに、この案件にも参加が期待されていた。だが、日本勢は結局、動かなかった。

なぜか。

タイ政府は財政負担を嫌い、土地の収用や既存の鉄道施設の修繕にかかる費用以外は、補助しないと譲らなかった。一等地の駅前開発を抱き合わせるのだから、民間でうまくやってくれ、という理屈だ。巨額の投資が必要となる公共事業にもかかわらず、タイ政府が利益の保証をしないため、日本企業は消極的な姿勢を変えなかった。

「大赤字になりうるリスクを抱える路線に、政治の要請とはいえ、民間企業がのれるわけがない。誰も手をあげないと思う」。日本の大手商社の幹部は早くから断言していた。「新幹線」の輸出に必要なJR各社は当初から関心を示さなかった。インドで受注した高速鉄道の建設で手いっぱいでもある。日立製作所はイタリアの子会社で製造した車両の販売には関心を示しても、事業のリスクを背負う出資者になるつもりはなかった。

あちこちで頓挫している原発輸出と同様に、政治と経済の現実にはしばしば乖離(かいり)が生じるものだ。日本の民間企業は、国家との関係も利益構造も中国の国有企業とは異なる。当然の選択といえよう。

政熱経冷―。日中協力は幻に終わった。

使命を終えるタイの「中央駅」  博物館構想も

バンコクでは高速鉄道だけではなく、レッドラインと呼ばれる高架鉄道をはじめ、数々の新線が計画されている。中央駅の役割を担っているフアランポーン駅は老朽化しているうえ、都心にあるため、対応ができないという。そこで、バンスー駅のそばに、新しい巨大な駅舎を建設している。

新バンスー駅。東南アジア最大とされる巨大な駅舎の建設がすすむ。現場ではミャンマーから出稼ぎにきた若者たちも働いていた=2018年12月21日、バンコク、吉岡桂子

東南アジア最大の駅舎とうたわれる新駅は、レッドラインの開業にあわせて2020年にもオープンする予定だ。巨大なアーチ状の屋根が特徴で、24のホームが設けられる。

フアランポーン駅は基本的に、旅客の輸送の拠点としての使命を終えるが、駅舎を保存して博物館にする計画が公表されている。ただ、ホテルやショッピングモールなど商業施設も併設する構想が語られており、具体的な内容は固まっていないようだ。

現在の駅にも小さい「鉄道博物館」がある。古い切符やプレート、信号やタイプライターなどを展示している。ただ、お土産品や関係ない置物といっしょくたにして並べてあり、日本人が思い浮かべる「鉄博」には遠い。車両の展示ができるスペースもない。

フアランポーン駅にある小さな博物館に、そろばんが展示してあった。なぜか中国の国旗を添えていた=2018年12月18日、バンコク、吉岡桂子撮影

博物館構想にかかわるタイ国鉄のシリッポン・プルチパンさんは「議論の途中ではあるが、伝統のある建物を保存し、うまく活用したい」と話す。かつてバンコクには、民間の鉄道ファンがつくった鉄道博物館が中心部の公園にあったが、訪れる客が減って12年末に閉館してしまったそうだ。

興味深い話をきいた。駐タイ台北経済文化事務所が6月、台湾で鉄道文化の保存に携わる専門家をバンコクに呼んでセミナーを開くなど、協力する意向を示しているそうだ。日本も、「文化的な側面から、機会があればかかわっていきたい」と国際交流基金バンコク日本文化センター所長の吉岡憲彦さんは話す。

フアランポーン駅は通称で、正式にはクルンテープ駅、あるいはバンコク駅と言う。タイ語で「天使の都」を意味するクルンテープは、まさに「バンコク」のことだ。列車が去ったあと、タイ鉄道の歴史をとどめる博物館が生まれることを願っている。