マハティールの打算、習の戦略 復活した東海岸鉄道
緑濃い椰子の木が立つ丘を車窓に眺めながら、クアラルンプールから東へ250キロ。南シナ海に臨む港湾都市クアンタンに着いた。椰子の実とヤドカリが転がる砂浜を歩くと、生あたたかい波が足元に打ち寄せる。
中国の支援を受けて工事が進む「東海岸鉄道(イーストコースト・レイルリンク)」は、タイ国境から東海岸を南へ下り、ここからマレー半島を横断し、西海岸のマラッカの北にあるクラン港へと抜ける。線路の幅は中国と同じ1435ミリ。総延長は640キロで、旅客と貨物を運ぶ。時速はそれぞれ160キロと80キロである。2026年には開通する予定だ。
中国側によれば、建設段階で8万人、営業開始後は6千人の雇用を生み出す。鉄道の人材として3千人を中国で受け入れて訓練しているという。
2018年5月に15年ぶりに首相に返り咲いたマハティール氏は当初、この鉄道の工事を止めた。あわせて中国による落札が有力視されていた首都クアラルンプールとシンガポールを結ぶ高速鉄道(約350キロ)の中止にも言及した。前首相のナジブ氏との選挙戦のさなかから、中国からの借り入れがかさんで返済不能に陥る「債務の罠」への懸念を口にしていた。「外国が受注した大型事業に対する調査の実施」は公約のひとつでもあった。ここで言う「外国」とはもちろん、中国のことである。脱「中国依存」を訴え、中国の旺盛なインフラ投資を「新植民地主義」と批判することもあった。
ナジブ氏は、マレーシアが1974年に東南アジアの主な国のなかでいち早く台湾を切って中国と国交を結んだ時の首相を父に持つ。政権を担うと、国民の4分の1の中国系市民の支持も狙って「親中」を隠さなかった。政治、経済ともに中国への傾斜を強めた。中国から大型事業を通じてナジブ氏やその周辺に「賄賂」が流れ、ビジネスの公平性をゆがめていると内外で指摘されてきた。
それだけに、マハティール氏の再登場に、日本は沸いた。「中国離れ」を期待する声は、マレーシア国内よりも強かった。ある世代から上の日本人には、前回の首相在任中(1981―2003年)に提唱した「ルックイースト」政策で「日本を学ぼう」と訴えた印象が強く残っているからだろう。
だが、「親中」「反中」「親日」で分けて語れるほど、話は単純ではない。
よわい94を数える老練な政治家が否定したかったのは、中国ではない。あくまでも「汚職にまみれている」と追及してきた政敵ナジブ氏だった。政権交代から約1年が過ぎた2019年4月。マレーシアは中国と「東海岸鉄道」の工事再開で合意する。中国が北京で開く第2回「一帯一路首脳フォーラム」の2週間前のことである。マハティール氏は米中対立のなかで新興国との関係を重視する習近平氏の顔を立ててみせた。
中国からみれば、東海岸鉄道は引き下がれない案件だった。クアンタン港は広西チワン族自治区欽州港まで海路3日の位置にある。資源の輸送経路の多元化を追求する中国にとって「一帯一路」の要衝のひとつだ。「マラッカジレンマ」という言葉がある。中国が輸入する原油の8割がマラッカ海峡を通る。経済発展に死活的に重要なエネルギーの輸送路が有事で封鎖されると大打撃をうける。その脆弱性を意味する「ジレンマ」に対する恐れを、深まる米中対立が増幅する。
中国はマハティール政権との交渉で、契約額も655億リンギ(約1兆8000億円)から3分の1ほど値引きした。「距離を50キロ近く短縮することで節約した」とも説明されるが、「この事業に関してナジブ政権へ渡したわいろ分を値引いた」(日本の総合商社幹部)ともうわさされている。マレーシア企業への工事の発注の比率も3割から4割に引き上げた。
クアンタン港から数キロ離れた所に、両国が共同で開発する工業団地「MCKIP」がある。私が訪ねた6月中旬、「一帯一路」の重要事業と紹介された展示場を、広西チワン族自治区の政府関係者が視察していた。14平方キロメートルもの敷地には、鉄道の駅も3カ所に予定されている。展示場の係員は「このあたりの鉄道工事はまだ再開していないが、ゴーサインを待っているところだ」と期待を寄せた。
正式に工事が再開したのは7月25日。やはり東海岸の町ドゥングンで開かれた工事復活式で、駐マレーシア中国大使白天氏は「両国間の最大の経済協力事業だ。マハティール首相による復活の決断に中国の企業家はマレーシアの投資に自信を深めている」(駐マレーシア中国大使館ホームページ)とあいさつした。マレーシアの交通相ローク氏は中国企業の仕事ぶりを称賛したという。
「マレーシアの中に人々を隔てる『壁』はいらない」。2018年の選挙戦のさなか、マハティール氏がそう発言したことがある。国境に壁をつくって移民を排除しようとする米国のトランプ大統領への批判ではない。「工業団地を壁で囲って中国はなにをしようとしているのか」。マハティール氏はのちに「誤解だった」と言い換えたが、団地の白い壁に対する警戒を示してみせたのだ。
「壁」の遠く向こうでは、中国の国有企業を軸に両国が合弁で設立した連合製鉄が稼働していた。約5500人が働く。地元に税金と雇用を生み出している。「壁」批判は、選挙向けのアピールだったのだろう。
東南アジアの多くの国々と同様にマレーシアにとっても、中国は最大の貿易相手である。人口は3200万人とインドネシアはもちろん、フィリピン、タイ、ベトナム、ミャンマーに比べて少ない。いっぽうで、東南アジア諸国連合(ASEAN)でみると一人あたりGDPは、シンガポールやブルネイに次いで高い。市場としての魅力は小さく、コストはすでに高い。「中所得国の罠」に直面するマレーシアにとって、中国は大事な市場であり、チャイナマネーによる投資や技術への期待も大きい。
鉄道をめぐって関係がぎくしゃくすると、中国からはIT大手アリババの創業者馬雲(ジャック・マー)氏がクアラルンプールへ飛んできだ。マハティール氏は「中国企業の代表」を自認する馬氏と会見し、物流や輸出拠点の共同開発など協業を強める方向を確認した。段階的な発展を飛び越える「蛙跳び」の成長をもくろむ新興国にとって、中国はインフラ建設のみならず、渇望する情報技術を持つ国になっているのだ。
首相を務めていた90年代半ばに「マルチメディアスーパーコリドー(MSC)」を提唱したマハティール氏は、ITに強い関心を持つ。返り咲いてからの訪中時には、馬氏のほか、米国が安全保障上の問題から各国に排除を求める華為技術(ファーウェイ)の創業者任正非氏とも会った。マレーシア政府は2022年までに次世代通信規格5Gの導入を目指す。中国との連携を決めた。クアラルンプールでの華為の5Gにかかわるイベントにはマハティール氏自ら姿を見せた。「ナジブ政権時代から、マハティール氏とも良い関係を続けています」と華為幹部は打ち明ける。
PM @chedetofficial diberi penerangan oleh Pengasas Huawei Ren Zeng Fei pada lawatan di Huawei Beijing Research Centre. PM mengadakan lawatan kerja ke Beijing selama lima hari bermula hari ini dan menghadiri Forum Jalur dan Laluan bagi Kerjasama Antarabangsa Kedua. pic.twitter.com/gtRTuXEkXv
— BERNAMA Radio (@bernamaradio) 2019年4月25日
マレーシアのベルナマラジオのツイッターアカウントより。マハティール首相は「一帯一路」首脳フォーラムへの参加にあわせて、華為技術(ファーウェイ)創業者の任正非氏とも会った。中国のハイテクに強い関心を持つ。
マハティール氏は5月の来日時に「中国は我々を征服したことはない。米国がどう思おうと中国は力を持つ国になる」(東京の外国特派員協会)と語った。6月末にバンコクで開かれた東南アジア諸国連合〈ASEAN〉首脳会議のビジネスサミットでは中国を「機会を提供する経済大国」とみなし、華為の排除にも否定的な態度を示した。
こうした姿勢は、超大国の米国に対して「アジアの視点」からもの申してきたマハティール氏だけではない。濃淡はあれどASEAN各国に共通した見方である。だからこそ、4月末に開かれた「一帯一路サミット」には、大統領選挙の時期と重なったインドネシアを除いてミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問ほか国王、大統領、首相が顔をそろえた。ASEANサミットができそうな勢いだった。
「各国は中国が成長し強くなることを認めなければならない」。マレー半島の高速鉄道の片方の起点、シンガポール首相のリーシェンロン氏も言う。6月にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアログ)の基調講演で、マハティール氏と歩調を合わせた。
中国が支援する東海岸鉄道の工事は再開した。日本政府が受注に意欲を燃やすクアラルンプール―シンガポール間の高速鉄道はどうなるのだろうか。
(続く)