俯瞰する楽しみ 刻む歴史 つなぐテツ愛
日本語で書かれた「中国鉄道時刻表」を発行するのは、中国鉄道時刻研究会。中心となるのは、団体職員の何玏(か・ろく)さん(27)と会社員のtwinrailさん=ハンドルネーム=(26)。ふたりは東京大学工学部時代に知り合う。それぞれ大学院でも、交通にかかわる社会基盤の整備を専攻した。どちらかといえば「乗り鉄」の何さんと「撮り鉄」のtwinrailさん。「雄大で魅力あふれる中国の鉄道を多くの人に楽しんでほしい」。2013年に研究会を結成し、仲間を募って時刻表の刊行を始めた。14年夏号を皮切りに、これまで4刊を編んで販売している。
最新刊の2018ー19冬号は全486ページで、2500円。発行部数は約2500部である。日本のJRやJTBが毎月発行している時刻表と同じB5サイズだ。目的地別に並べられていた中国の時刻表が、路線別に組み替えられている。地図も網羅している。中国の鉄道の乗り方や鉄道にまつわる中国語の指南から、シルクロードを走る観光列車「敦煌号」の乗車ルポやコラムまで、実用的かつ読んで楽しい仕立てになっている。私は最初に開いたときに、その仕事の丁寧さに感激した。
二人の鉄道への思いは、どこからくるのだろうか。取材を申し込んだところ、東京・西池袋の中国のイスラム教徒が食べる清真料理を出す店で会うことになった。青い堅めのソファが、中国の列車の普通席「硬座」に似ていて、気に入っているそうだ。
西安出身の両親のもと91年に大阪で生まれた何さんは、JR東佐野駅のそばで育つ。幼いころから列車が身近にあった。親に連れられて夏に帰郷するときには北京から西安まで列車に乗る。大陸の日本より幅広い軌道の列車の豪快さや喧噪が胸に刻まれた。横浜市出身のtwinrailさんは、中学時代から友人と関東地方を中心に臨時列車の撮影を楽しんでいた。研究会の発足は、日本では11年夏に浙江省温州で起きた高速鉄道衝突脱線事故の衝撃が大きく、中国の鉄道には激しい逆風が吹いていた時期である。だが、「純粋に興味のほうが大きく、気にならなかった」とtwinrailさん。
その後、8人まで膨らんだ研究会のメンバーは毎年、現地の視察をかねた鉄道旅行をしながら、1年に1回の時刻表の発行を目指した。16年夏には鉄道愛好団体「鉄道友の会(須田寛会長)」から島秀雄記念優秀著作賞特別部門賞を授賞した。「新幹線の父」とも呼ばれる旧国鉄技術者、島氏の名を冠した賞である。「逆転の発想で実現した出版物として、そのアイディアを高く評価する」と認められた。順調に走り始めた研究会が同時に、危機にも直面する。中国で1956年から発行されてきた「全国鉄路旅客列車時刻表」(中国鉄道出版社)が2016年6月号で出版されなくなってしまったのだ。スマホの普及で紙の時刻表を使う人が激減したことが大きい。しかも、中国では過去20年近くにわたって毎年平均3500キロ以上の新線が開業しており、情報が追いつかなくなっていた。日本で言えば、青森と博多までの2倍を上回る距離が毎年延びているのだ。紙に印刷している暇はない。中国国鉄公式のサイト「12306.cn」や中国の旅行会社のサイト「Trip.com」で十分に用は足りる。そう考える人が大半で、中国内で大きな反発はなかった。駅の売店で鉄道時刻表を買っていた私も「最近見ないなあ」と思いつつ、「Trip.com」で切符を買ってすませていた。
研究会にとっては「原本」である現地版を失ったショックは大きかった。だが、必要は発明の母、好きこそ物の上手なれ、いや、愛はすべてを救う、だろうか。twinrailさんほかメンバーが、国鉄のサイトから時刻を拾って編集するシステムを開発し、乗り切った。第3号から第4号まで2年の空白があったのは、そのためである。
私にとって中国の鉄道は、1999年に北京に留学して以来、仕事の足であり旅の同伴者だ。時刻表を眺めながら見知らぬ地名をたどり、バーチャル旅行をするのは息抜きでもあった。彼らが紙の時刻表にこだわり続けるのは、なぜだろう?
中国の鉄道好きが集うウエブメディア「鉄道視界」を率いる羅春暁さんからも同じ取材があったそうだ。羅氏は中国で知られる「撮り鉄」でもあり、鉄道にかかわる文章もメディアに多く寄稿している。鉄道グッズを企画・販売するオンラインショップ「鉄道工房」も開き、中国の鉄道文化を広める船頭役ともいえる存在だ。
その羅さんからの問いかけは、「中国で消失して何年も経つのに、なぜ隣国日本では手間ひまかけて作っているのか。誰が何のために買うのか」。もっともな疑問である。
日本の研究会が編纂した時刻表に関する中国のサイトの書き込みをのぞいてみた。「中国の鉄道網の更新は速い。スマホで十分」と冷笑する声があるいっぽう、「中国鉄道時刻研究会なんてものが日本にあるのか」という素直な驚きもある。なかには、日本へ旅行に来た時に書店で買って読んだ人から「日本式の時刻表は細やかだ。視界が開かれた気がする。ありがとう」という感謝の言葉もあった。
何さんは語る。「紙という素材そのものより、全体を見渡せる俯瞰性、一覧性にこだわっているんです」。鉄道のネットワーク全体を理解できれば、列車の選択や乗り換えに便利だ。出発地と目的地が同じでも、速度や停車駅も比べやすい。中国の場合、かつては目的地まで1本の列車で行く乗客がほとんどだった。本数が少なく待ち時間が多いことや、他地域発の切符を買いにくかったためだ。今でこそ便利になったが、往復切符を買えない時代が長かった。オンライン化が進み、高速鉄道網の発達もあって、今後は乗り換えを考える利用者も増える。「乗り継ぎ指南はネットにもあるが、俯瞰性は中国でも重視されるようになるはずだ」。何さんはそう予測する。
twinrailさんは別の角度から時刻表の魅力を話してくれた。「時刻表をめくるのは楽しい。ローカル線の停車駅や地図上の位置、走る時間帯、本数の増減をながめながら、その駅の向こうにある地域や人々のつながりを想像するんです」。広い国土を長距離列車が結ぶ中国では、たとえば新疆・ウイグル自治区のウルムチ駅発着の列車でも北京、広東、上海、山東とあちこちからやってくる。「何をするために3000キロ超を走る列車に乗るのかなあ、砂漠のどまんなかの駅を見つければ住んでいる人々はどうしているかと考えたりします」。スマホに収めてあった北京の鉄道博物館で展示されていた戦前の時刻表の写真を見せてくれた。旧満州国の首都だった新京(現長春)を発着する朝鮮半島の釜山と結ぶ「ひかり」、大連と往来する「あじあ」――。列車名がひらがなで書かれており、広告主は「森自轉車商會」である。時刻表は、鉄輪が刻んだ歴史への想像力をかきたてる。
時刻表は時代を映す。本数や路線、速度だけではない。「全国鉄路旅客列車時刻表」の発行が始まったのは1956年5月。中華人民共和国の建国から7年後のことだった。表紙の図案は鉄橋や駅、列車が中心だが、60年代から70年代にかけての文化大革命時代は、表紙が赤い色で毛沢東語録がついていたものもあるそうだ。70年代末に改革開放が始まり、広告が増えた。日立グループの洗濯機やセイコーの腕時計など日本を含む外資系企業も登場する。80年代にはきれいな女性の写真が表紙を飾ることもあった。表情がどこか山口百恵さんに似ているコマもあり、彼女が主演したテレビドラマ「血疑(赤い疑惑)」が中国を席巻した時代を思い出させた。高速鉄道が開業してからは、胡錦濤政権の政治スローガンを背負う和諧号が登場した。紙の時刻表がなくなってしまったいま、研究会が編む日本語版は、総延長13万キロを1日平均7500本の旅客列車が走る中国鉄路の全体像を刻む「歴史書」になるかもしれない。
「日中鉄道文化の橋渡し役になりたい」。何さんは話す。中国でも鉄道を、人や貨物を運ぶ道具としてだけではなく、楽しむ対象にする人が増えているそうだ。ダイヤ改定でラストランとなる列車には、なごりを惜しんで遠方から乗りに来る人がいる。SNS映えする写真を撮ろうと、列車を追う人たちもいる。「緑皮車」と呼ばれる普通列車の引退車両は各地でおしゃれなレストランなどとして再利用されている。北京大学、清華大学、西南交通大学など各地の大学には鉄道研究会もある。
私の中国の「テツ」との初めての遭遇は、北京と上海を結ぶ高速鉄道の開業を取材した11年6月のこと。そろいのTシャツを着た十数人が平日なのに仕事を休んで「一番列車」に乗りに来ていた。最近では、高速鉄道が香港に乗り入れた18年9月。はしゃいで写真を撮る大陸のテツをみかけた。香港の乗客の冷めた態度と対照的だった。
私が鉄道の車両と一緒に写真を撮ってほしいとお願いするとき、中国の人たちは面倒なそぶりをみせない。気軽に笑顔でスマホを構えてくれる。潜在テツもけっこういるのではないか。
何さんらが興味深い動きを教えてくれた。
中国の列車を紹介する「中国火車大図集(中国列車大図鑑)」(中国鉄道出版社)の発行にあたっては、クラウドファンディングで資金が集められた。40数日間で3000人近くから56万元(約950万円)が寄せられ、上下2800組が4月末には出版される。秋には「世界高速列車図鑑」も同様の方式で準備されている。「もう隣国日本の書棚に満載の鉄道図書を、うらやましがらなくてもいい」という宣伝文句が添えてあった。研究会を取材した羅さんが主宰する鉄道工房の企画である。羅さんは日本の鉄道にも詳しく、しばしば乗りに来ているそうだ。
さらに、別の愛好家たちがつくるサークル「北方鉄路萌化部」は中国の車両を女の子に模してストーリー性のあるキャラクター化した「天朝鉄道少女(邦訳・中華鉄道少女)」を制作。中国国内のみならず、日本語や韓国語にも翻訳して、各地のコミケに出展している。何さんが入手していた。設定が興味深い。川崎重工の技術を取り入れた高速鉄道車両の場合、川崎かがみとか川崎るみといった命名だ。それぞれ国籍、生い立ちやスリーサイズまで設定された凝ったつくりである。
日本と中国は鉄道の世界でも、競合相手として扱われることが多い。ナショナリズムが渦巻く世界でもある。だが、「テツ」の愛と好奇心は国境をゆるく越えていた。