釜山で鉄道を語ってみた 「駅テツ」との出会い 韓国編(上)はこちら
釜山からソウルへ 「ひかり」が走った鉄路で 韓国編(中)はこちら
赤と青の衣装を着た老若男女が手をつないでいる。そんなイラストで覆われたカラフルな列車が滑りこんできた。ソウル駅14番ホーム。「安保観光」へといざなう平和列車DMZ(非武装地帯)トレインだ。韓国鉄道公社(KORAIL)が、韓国と北朝鮮を隔てるDMZにある都羅山駅との間を一日1往復(水~日)している。10時15分に出発し、18時前に戻る。
列車は、朝鮮戦争で南北に分断された京義線、つまりソウルと北朝鮮の新義州をつなぐ鉄路を北朝鮮国境に向けて北上する。都羅山駅は、民間人が訪ねることができる韓国最北端の駅である。正確に言えば、線路はつながっている。列車の運行が途切れているだけだ。
列車は三両編成。ツアー参加者は70人ほどいた。半分ほど席がうまっている。運賃はひとり36000ウォン(約3600円)だ。
それにしても、ずいぶんと華やかな内装である。天井はハート、座席は風車、床にはハスの花。壁には、各国語で「平和、愛、和合」を意味する言葉が書いてある。ちなみに、日本語はひらがなで「へいわ、あい、わごう」。ジュースやビール、スナックを売る売店もある。
車内には、韓国が走らせた歴代車両や朝鮮戦争の歴史を示す写真が展示されている。米国の有名俳優、故マリリン・モンローが米軍兵士を慰問した一枚もあった。1954年2月。日本へのハネムーン直後のことだ。前年の停戦後も政情が不安定な韓国には、多くの米軍兵士が駐留していた。
乗客に英語やロシア語を話す人はいたが、韓国人が大半である。列車ツアーには、南北首脳会談が開かれた軍事境界線上にある板門店が含まれていない。韓国人にとっては外国人より入るのに手続きが厳しい板門店には行かない列車ツアーの方が気軽だ。一方、外国人なら板門店を含むバスを好む。
DMZへ入るのは初めての私だが、ここは列車に乗ってみることにした。
南北を分けるように流れるイムジン河を渡る。真冬だ。表面が凍っている所もある。水鳥が舞う。戦争で壊された橋脚が冷たい川に残されている。
途中、臨津江(イムジンガン)駅でいったん降りてパスポートなど身分証のチェックを受ける。都羅山駅には1時間半ほどで到着。ホームには軍人もいるが、大きな緊張感はない。平壌まで205キロ、ソウルまで56キロ。駅名を記す青い大きな看板に、両国の首都までの距離を書いてある。
駅を出て、待っているバスに乗り込む。案内役は、KORAIL観光開発に入社4年目のキム・ソイさん。列車からずっと一緒だ。「見学で降りても、同じ席に戻ってください。車内で飲食は禁止です。返事は私がやる気がでるように大きな声でお願いしますね」。
キムさんによると、昨春の南北首脳会談を受けて、安保観光や鉄道の連結への関心が高まり、昨夏のツアーは大にぎわいだったという。「寒いので冬はまあまあですが、暖かくなるとまた増えると思いますよ」。ただ、白馬高地駅まで京元線を走るDMZへの別のツアー列車は、今春に運行を休止するという。
韓国軍の部隊や残る地雷、ふつうの田んぼ、野菜のビニールハウス――。さまざまに入り交じる地域をバスはめぐる。最初に訪ねた平和公園には、昨春の首脳会談で向き合う韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働委員長の笑顔のパネルがずらりと並んでいた。展望台では韓国の人たちが食い入るように望遠鏡をのぞいている。両国の旗が高さを競いあうようにはためき、経済制裁の意味から操業停止となっている北側の開城(ケソン)工業団地もくっきりと見える。
「近いね」。子供が声をあげる。ソウル近郊から家族で来た20代の女性は、「弟の兵役が近づき、南北平和であってほしいとより強く望むようになった」と話す。北朝鮮が韓国を侵攻するために掘ったとされるトンネルの一つ、「第3トンネル」も見学コースに入っている。ヘルメットをかぶり、身をかがめて歩いた。ランチを食べた食堂わきの売店では、この地域で育てたというマメやコメがDMZ特産品として売られていた。
午後4時前。バスは都羅山駅に戻ってきた。「May This Railroad Unite Korean Families」(この鉄路が南北朝鮮の家族たちを結び合わせますように)。構内には、米国のブッシュ大統領がサインしたコンクリート製の枕木がガラスのケースに飾られている。金大中(キム・デジュン)大統領と2002年2月、当地をともに訪ねたときのものだ。両首脳の写真もある。
壁には欧州へつながる鉄路を示す地図が何枚も貼られている。「トランスユーラシア鉄道ネットワーク」。中国の習近平(シー・チンピン)政権が進める対外構想「一帯一路」の韓国版のようだ。いや、日本が戦中に築こうとした鉄路網の復活のようにも見える。
ただ、出入国審査のために用意された場所は、がらんとしたまま。鉄道の連結事業は進んでいない。貨物については、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代には一部区間で開城工業団地関係の輸送を行っていたが、政権末期に中断した。「連結」の前提とされる北朝鮮の「非核化」が進んでいないことの裏返しだ。
韓国と北朝鮮は昨年12月、南北鉄道連結事業の実現に向けて調査列車を走らせた。ソウルから平壌を経て中朝国境を結ぶ京義線の開城(ケソン)―新義州(シニジュ)間(約400キロ)、東側を走る東海線の金剛山(クムガンサン)―豆満江(トゥマンガン)間(約800キロ)を調査した。日米などは調査を超えた改修については、国連制裁決議違反になるとして反対している。
「南と北は民族経済の均衡ある発展と共同繁栄を成し遂げるため、……。東海線及び京義線の鉄道と道路を連結し、現代化し、活用するため、実践的な対策などをとっていく」。昨年4月の南北首脳会談で署名された板門店宣言の一部には、こう書かれている。
京義線は、ソウルと北朝鮮の新義州を結ぶ路線で、私が乗ったDMZツアーはその一部を走る。東海線とは、ロシアと北朝鮮の国境付近から朝鮮半島の東海岸に沿って南北に走る路線のことだ。
米朝首脳会談が2月末にベトナム・ダナンで開かれる。鉄路の行方は、北朝鮮の非核化しだいだ。朝鮮戦争後、繰り返し浮いては沈み、また浮き上がる構想は、今度も夢物語に終わるのだろうか。北朝鮮の鉄道は老朽化が激しい。復旧するにも新しく造り直すにも巨額の資金が必要になることは、この事業の賛否にかかわらず共通認識である。
『帝国日本の植民地支配と韓国鉄道 1892~1945』の著者で歴史家の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学教授に、たずねてみた。鄭さんは「夢」の方向性を評価しつつも、現状のままでは実現に懐疑的な姿勢を隠さない。
「韓国の鉄道は生まれたときから国際性を持っている。それは大陸とのつながりだ。南北の連結あってこそ実現できる。今のままでは韓国は「島」のような存在だ」
そのうえで、実行されるかどうか、実行されたあとに経済性を維持できるかどうかは、「別問題」と言い切る。「数多くの壁がある。日本、ロシア、米国、中国の各国から技術や資金の協力が必要になる。我が民族だけで成し遂げられる夢ではない。周囲に協力を得られるかたちで進める必要がある」。
さらに大事なこととして、こう付け加えた。「鉄道は自由で開かれた社会でなければ本来もつ機能を存分に果たせない。北朝鮮は人々に自由な移動を許す政治体制、社会かどうか。最後の最後は、北朝鮮の体制まで問われる事業だと思います」
東アジアの自由と安定の実現とともに列車が往来する日。「夢」のかなう日がいつか来ることを願う。