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インド新幹線「赤いはやぶさ」発車ベルはいつ? 国際政治を背負う鉄道の行方

鉄輪で行く中国・アジア
列車が入るたび乗客があふれる。インド都市部のインフラ整備は大きな課題だ=2019年12月17日、ムンバイ・チャトラパティ・シバージー・ターミナス(CST)駅、吉岡桂子撮影

赤い「はやぶさ」インドで格闘

インドにとって初めての高速鉄道は、ムンバイから北上し、モディ首相の地元でもあるグラジャート州のアーメダバードを結ぶ508キロ。JR東日本が「はやぶさ」として東北新幹線で走らせるE5系が投入される。最高時速は320キロ。両地を最速2時間7分で駆け抜ける。現在の半分以下である。車両の色はエメラルドグリーンからヒンドゥー教でおめでたい色とされる赤に変わる予定だ。インド政府はもともとフランスに任せる方向で検討していたが、日本が2015年に逆転して獲得した。インドを対中牽制の「同志」としたい日本政府の戦略に沿って、日印原子力協定がインドの意を組んだ内容で締結されたことが背景にあるとみられている。

アーメダバードへ向かう在来線の起点ムンバイ中央駅。高速鉄道のムンバイ駅は新たに建設される予定だ=2019年12月19日、インド・ムンバイ、吉岡桂子撮影

こうした国際政治を背負う新幹線は、沿線に設ける研修所の建設に「着工」しただけで、軌道、つまり線路の敷設はまったく進んでいない。独立75周年にあわせて22年に一部でも前倒しして開業したいと「無理難題」(日本企業幹部)をふっかけていたインド側も、さすがに引っ込めたほどである。

理由は、19年末時点で土地を半分しか収用できていないことが大きい。さらに建設の手法をめぐって「あらゆるテーマ」(日本政府高官)において、日印で激烈な議論が続いているからだ。7割近くは盛り土でかさ上げして整備するはずだった線路は、トンネルや橋を除いてすべて高架に変更された。動物などが線路に入って運行を妨げないようにするためでもあり、土地収用を少しでも楽にするためでもある。当然、事業費は膨らむ。1兆8000億円の円借款が3倍になるという試算すらある。インドから見れば、年利は0.1%、15年間据え置きで50年かけて償還すればよいという「無利子同然」(インド政府高官)の好条件だ。いっぽう、日本からみれば国民の税金をどこまでつっこむのか、不安になってくるほどだ。

新幹線の建設が予定されているムンバイからアーメダバードに向かう列車が発着する駅の前。日本も円借款で支援する建設中の地下鉄の看板があった。19年12月の開業を目指していたが、遅れている=2019年12月19日、ムンバイ・セントラル駅、吉岡桂子撮影

アジア各地で鉄道を取材するなかで、この事業にかかわっている多くの日本企業から「難航」の話をボヤキとともに耳にした。「インドの新幹線は終わりが見えない。ここで造っているうちは、日本勢は人材が足りず、マレー半島にせよタイにせよ他国の新幹線輸出には対応できない」(大手商社幹部)。

民族も宗教も多様。公用語はヒンディー語だが、憲法で認められた州の言語が21もある。「多様性の中の団結(Unity in diversity)」をかけ声に統一されている国家だ。「(日本は)一つの民族」と述べた閣僚の言葉を「大臣なりの言葉で表現」と閣議決定するほどに同質性を好む日本とはかけ離れている。新幹線の格闘は、異なる社会風土どうしのぶつかりあいともいえる。

駐在経験がある中国では在来線から高速鉄道まで乗り歩いた私だが、インドには縁がなかった。鈴なりの人々がドアにぶらさがったり屋根に登ったりして乗車する姿や、列車が牛にぶつかって脱線するニュースが記憶に残るぐらいだ。巨大な人口と悠久の歴史を抱える広い国土を、スルリと走る流線形の新幹線のイメージがなかなかつかめない。新幹線の南側の起点ムンバイまででかけてみることにした。

すし詰めの在来線。エアコン車両以外は基本的に扉が開かれている=2019年12月18日、ムンバイ・ダーダル駅、吉岡桂子撮影

世界遺産の駅にE5の模型

イギリスの植民地時代にボンベイと呼ばれたムンバイは、インド初、アジア初の鉄道の起点となった都市でもある。日本より20年近く早く、1853年に開業した。20世紀初めにインドで初めて電車が走ったのもムンバイというから、新幹線を含めてインドの鉄道の歴史はここから始まるのかもしれない。

ムンバイにはユネスコの世界遺産に登録されている駅もある。チャトラパティ・シバージー・ターミナス駅(CST)。旧ビクトリア・ターミナス駅は英領下で約10年かけて1887年に完成した。ビクトリアン・ゴシック様式の威厳ある駅舎だ。併設されている鉄道博物館をのぞくと、E5の模型や新幹線技術の説明が飾られていた。日本政府が訪問したときに寄贈したそうだ。ステンドグラスを配した高い天井の空間や図鑑のようにどっしりとした百年以上も前の乗車記録などに圧倒されていたせいだろうか。新幹線がひよわな緑の鉛筆にみえる。

世界遺産にも指定されているチャトラパティ・シバージー・ターミナス駅。英国植民地時代の1887年に完成した。インドの鉄道の歴史は日本よりも古い=2019年12月17日、ムンバイ、吉岡桂子撮影

案内してくれた担当者に新幹線開業の見通しをきいてみた。「遅れるでしょうね。まだ着工していないんですから」。あっさりと言った。そうだよね。研修所の建設を「着工」と呼ぶのはいかにも無理がある。しかも、ムンバイを州都とするマハラシュトラ州のトップは、最近の選挙で新幹線に反対を唱えていた政治家に代わったそうだ。赤いE5の行く手には数々の障害が待ちうけている。

チャトラパティ・シバージー・ターミナス(CST)駅の鉄道博物館には新幹線E5系の模型が展示されていた=2019年12月17日、ムンバイ、吉岡桂子撮影

駅のホームにでてみると、大勢の乗客に圧倒された。寄せては返す人の波。顔立ちも肌の色も服装もさまざまだ。背広を着たサラリーマンや無彩色、紺、茶系のおしゃれを好む女性が多い日本の風景とは目に飛び込む明るさが違う。ムンバイの都市近郊に向けて18もあるホームのどこかから数分おきに列車が発着している。扉は開けたまま。それほど混んでいなくても扉のそばの手すりにつかまって体を半分だして乗っている人が目につく。風にあたりたいのかもしれないが、危ない。地元紙によれば、ムンバイ近郊で毎年3000人近くがさまざまな鉄道事故で亡くなっており、このうち走行中の列車からの転落死は18年、711人いたそうだ。

車両は見た限り、インド製だ。広軌(1676ミリ)のせいか、大きい。どの列車にも女性専用車両がある。妻や娘をホームで見送る男性は「この車両のおかげで安心だ」と話していた。

在来線の女性専用車両=2019年12月18日、ムンバイ・ダーダル駅、吉岡桂子撮影

5ルピー(約8円)を払って構内のトイレを使ったあと、新幹線の北側の起点アーメダバードまで508キロの急行と、そこから先のデリーまで約千キロの寝台列車チケットを買いに外国人用窓口へ行った。それぞれ665ルピー(1030円)と2280ルピー(3600円)。安い。寝台はエアコン付きの3段ベッドの下が手に入った。フランスのパスポートを持った若者たちが順番を待っている。インドの鉄道は全長6万5千キロ。日本の2倍を超える。旅の足としても乗り鉄の趣味としても興味が尽きない距離である。

新幹線が建設されるムンバイーアーメダバード駅間の在来線を走る車両を牽引するディーゼル機関車。インド製だった=2019年12月19日、ムンバイ中央駅、吉岡桂子撮影

欧州式170年の鉄道史に新幹線登場

出発の朝がやってきた。アーメダバードと結ぶ列車が発着するムンバイ中央駅近くに宿をとった。にぎやかなインドの人たちにまじって朝ごはんを食べていると、カレーを避けて黙々と小さなパンケーキと果物に、マサラティーではなくコーヒーを飲んでいる東洋人の男性二人組が目に入った。ぱりっとしたシャツにチノパン。30歳すぎに見える。中国語で話しかけてみると、上海に近い江蘇省のメーカーで働く営業マンだった。インドは重要な市場なので毎年4回ほど出張して来るそうだ。日本が手がける新幹線のことも知っていた。

「遅れている?それはそうだよ、インドだから。日本でなくても誰が造っても遅れるよ。メトロだって何年かかっていることか。5年の遅れじゃすまないと思うよ」

「インドの人は納期や時間の感覚に乏しい。わいろもまだまだ根強い」。「中華料理がおいしくない。本物の味とかけ離れている。日本料理の方がまだおいしい」。ぐちをこぼす二人の口ぶりは、まるで日本企業の知人たちのようだ。インドの人々にまじると、日本と中国のほうが近く感じる。

インドの主な駅には書店が必ずあった。ホームで本を売る屋台も=2019年12月19日、インド・ムンバイ中央駅、吉岡桂子撮影

インドと対立するパキスタンも担当しているという二人。「治安が心配なパキスタンは地元の警察がホテルまで迎えに来て、仕事をしているときも警備してくれる。もちろん無料だ。老朋友(古い友人)だからね、中国とパキスタンは」。こういうエネルギッシュな人たちがある意味、習近平政権の巨大経済圏構想「一帯一路」の「先兵」なのだろうと感じた。政府の方向性から外れないようにしながら、自らの意思で稼ぎに飛び回る。

彼らは私の一人旅に驚く。「インドは中国と比べて治安が悪い。女性は十分に注意をしたほうがいい」。別れ際、そう声をかけてくれた。

ただ、ムンバイからアーメダバードへの急行に限って言えば、拍子抜けするほど「普通」だった。

ゴトン。赤い2階建て列車が音をたてて動き始めた。14時20分、定刻だ。ゴトン。何度か動いては止まってを繰り返したあとは、すべるように走る。濃い緑の街路樹を抜けて崩れそうなビルの残骸やスラムを眺めながらムンバイの都市部を離れた。がっしりとした広軌のせいか、揺れない。トイレも清潔だ。シャツやカバン、文房具、モバイルグッズ、お菓子や弁当を売りに次々にやってくる。80ルピー(約130円)でスパイシーな炊き込みごはんビリヤニを買ってみた。まあまあだ。

ムンバイからアーメダバードへ向かう列車内で食べたスパイシーな炊き込みごはんビリヤニ。80ルピー(約130円)=2019年12月19日、インド国鉄車内、吉岡桂子撮影

1時間ほどすると緑の平原に入り、景色は単調になった。車内も静かで居眠りしてしまった。目覚めると赤い夕日が沈み始めていた。窓の外に濁った川とバラックが見える。煙をもくもく出している工場を通り過ぎる。空気が悪く、夕日がかすんで見える。

この沿線に住む人口は、ムンバイ1200万人を筆頭に、アーメダバードは500万人を超え、ほかにも100万人を超える都市が点在する。日本の東海道線沿線になぞらえて、日印政府は高速鉄道の採算をはじく。両都市間の運賃は3000ルピー(4700円)を予定している。現在の急行と比べるとエアコンなし2等車の15倍にあたる。飛行機並みの価格だ。

しかし、巨大な人口のうち何割が新幹線のチケット代を払えるのだろうか。インドのひとりあたりGDPはベトナムよりも低いのだ。新幹線の建設が遅れているうちに、豊かさが追いつくのだろうか。むしろ、格差に怒る沿線の農民たちからは、用地買収をめぐって抗議する動きがたえない。

ムンバイからアーメダバードへ向かう列車の車内。お菓子からモバイルグッズまでひっきりなしに物を売りにきた=2019年12月19日、インド国鉄車内、吉岡桂子撮影

退屈したのか、後ろのおばちゃんたちが歌い始めた。声にはりがある。私は40ルピー(約70円)のサンドイッチを食べる。定刻より5分だけ遅れて21時45分にアーメダバード駅に着いた。7時間半近い旅だった。

ムンバイを14時20分の定刻に発車した列車は、5分だけ遅れて21時45分にアーメダバード駅に着いた。この区間を、新幹線は最高速度320キロ、最速2時間7分で結ぶ計画だ=2019年12月19日、吉岡桂子撮影

アーメダバードからニューデリーへ向かう寝台列車の旅も、とても順調だった。エアコン付き車両3等。3段ベッド二つが向き合い、通路をはさんで2段ベッドがある。カーテンや扉はない。オープンスペースだ。私は3段の下である。日本でいえば二等、中国でいえば硬臥か。17時40分。定刻に発車した。発車ベルはきこえない。長い長いホームの端にはぼろ切れをまとった女とも男とも見分けがつかない人々がうずくまっている。プウプウ、ポーッ。警笛を鳴らして最後の車両がホームを抜けたころ、乗務員が身分証のチェックにやってきた。続いて、カメラを携えた警察が顔写真を撮っていった。「安全のためだよ」。隣の夫婦が教えてくれた。停車駅が近づくたびに、キンコンカンコンと鐘がなる。「ナーマステ」と次の駅を告げる放送が入る。

アーメダバードからニューデリーへ向かう寝台列車のエアコン付き三等寝台。左側は二段ベッドが1組、通路をはさんで右側は3段ベッドが2組ずつ。寝るまでは二段目をたたんでいる=2019年12月21日、インド国鉄車内、吉岡桂子撮影

ほどなく、ベジタリアンかどうか弁当の好みを聞きにきた。夜10時ごろまで、スナックやカレーづくし弁当、アイスクリームを次々に持ってきてくれた。消灯の前には茶封筒に入ったぱりっとしたシーツが配られた。車内は家族連れも多い。子どもが走り回ったり、泣き声をあげたりしている。子どもの気配やあやす親のささやきに、安心させられた。ぐっすり眠っているうちにニューデリー近郊のグルガオンを通り過ぎていた。前の晩に親切に食事の手配などを手伝ってくれた前の席の二人組は、すでに身なりを整えている。インド人と思い込んでいたら、ネパール人だった。カトマンズから出張に来ているそうだ。インドの人からみれば、中国人、韓国人、日本人の区別がつかないのは無理もない。そんなことを思っているうちに、ニューデリー駅に到着した。7時半すぎ。すでに人でごったがえしている。それにしても、14時間近く走って、わずか数分ほどしか遅れなかった。

寝台列車の向かいのベッドだったネパール人ビジネスマンふたり。カトマンズからやってきたそうだ。「寝台列車は飛行機より安く、時間も節約できる」と話していた=2019年12月21日、インド国鉄車内、吉岡桂子撮影

日本企業で鉄道ビジネスに長く携わる知人は言う。

「インドは6万キロ以上の鉄道を走らせ、歴史も長いし、自前や外資の工場を持っている。世界的な比較で言えば鉄道先進国です。イギリスが敷いた鉄路の伝統から欧州方式を基本として独自に発展させており、日本は一部の地下鉄を除いて参入が難しかった面はありますが……」

確かに、時速160キロで在来線を走る準高速鉄道を19年から自前で開業させている。南部チェンナイ(旧マドラス)には独立から10年もたたない1950年代半ばにスイスの技術を受け入れて設立された車両工場ICFもある。英国のエリザベス女王ほか欧州の首脳や閣僚、中国の周恩来首相も訪ねた名門工場である。植民地時代から数えれば170年近いインドの鉄道史に、新幹線が刻まれようとしている。

インドの駅では「独立の父」マハトマ・ガンジーの肖像画をしばしばみかけた。列車に乗って各地を訪ねていたそうだ=2019年12月22日、ニューデリー駅、吉岡桂子撮影

サンジェイ・クマール・バルマ駐日インド大使は悠然としている。

「巨大で複雑な事業です。目標が期限通り進まないことはめずらしくないでしょう。日本も新幹線を含めて成田国際空港の建設にはずいぶんと時間がかかったはずです。どこの国でもこうした大事業は遅れるものです。日本のせいでもインドのせいでもない。異なる企業文化や仕事の進め方を持つ集団が一緒に初めての事業を遂行しているのです。実際に建設の段階になれば、さまざまな議論がでてくるのは当然と言えるでしょう」

インドにとって時速300キロを超える高速鉄道が初めてなら、インフラ輸出に力を入れてきた日本にとっても、現状で新幹線の事業が進んでいるのはインドだけである。インド政府は、ムンバイ―アーメダバードを皮切りに、6本以上の高速鉄道計画を持っている。それだけに、日本の車両メーカーには現地での生産を求めている。24編成(1編成=10両)のうち、18編成は日本から輸入しても、残りは現地で組み立てることを条件にしている。日本企業が工場を造らないなら、地元企業に技術を移転し、造らせてほしい、と。「メイク・イン・インディア」のスローガンの通りの政策である。「降雪地帯を走るはやぶさと、気温が40度を超える地域も走るインドでは車両の調整が必要なように、インドの風土に適したものを造っていくことになるでしょう」。インドが高速鉄道建設のために設立した国家高速鉄道公社(NHSRCL)で広報を担当するサシュマ・ガウアさんは言う。

ニューデリー駅で出会った家族連れ。地方都市から寝台列車で旅行にきた。時間がかかっても「家族でゆっくり一緒にいられるから楽しい」と話していた=2019年12月22日、ニューデリー、吉岡桂子撮影

中国もそうだったが、自国の鉄路がこれほど長い国で、車両などをすべて輸入し続ける選択はありえない。台湾は日本から買い続けているが、1路線で完結する規模だからだ。それでも、台湾ですら日本製の車両に市場の独占を許したため、高くついたと不満をもらしている。インド政府は2本目からはコストを下げるために国際入札を検討している。フランスや中国も事業化調査に取り組んでおり、日本企業も競争に挑まざるをえない。

いや、1本目の開業が見えない時期に気の早い話だったかもしれない。交渉巧者のインドを相手に、入り組んだ権利関係のもと、新幹線が駆ける日は来るのだろうか。インドの新幹線は、外交の手段として、日本の経済政策としてのインフラ輸出競争の文脈で語られがちだ。だが、インドの人々にとって大切な生活の足としての鉄道のあり方を忘れないでいたい。