2023年の夏、4年ぶりにコロナ前の姿に戻った祇園祭。1カ月の期間中で大きな見せ場となる7月17日の神幸祭の朝、そろいのTシャツで氏子の男衆が、三条会商店街そばの会所に集まってくる。
大きな町家の1階を開け放して総勢100人、見習いの若い人から生き字引の長老まで、自分たちで「みこし弁当」を作る。1000年前、疫病退散という祈りに始まった祭りへの親しみと畏(おそ)れが、白飯に表れている。
八坂神社の3基のみこしのうち素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせた「中御座(なかござ)」の渡御、いわば運行を担う三若神輿会の恒例で、みこしを担ぐ道中の腹ごしらえになる。
包みは竹皮、四角い木枠で押した白飯、塩ごま、たくあん。梅干しは弁当が傷みにくくなるように、30年ほど前にひと粒のせることにした。稲わらで結んで箸と口上書きを挟む。八坂神社の御神田の米も1升分、入っている。
木枠に詰めたご飯を竹皮に打ち付けて抜くことから、弁当を「打つ」という。「パカーン」「パカーン」という音が響く。町内の人にとって、祭りの記憶と結びつく音だという。
会長の近藤浩史さん(70)は、「かつては会所のすぐ近くまで田んぼがありました。祭りのために目の前で取れた米で弁当を作って、働いてくれる皆に配る。自然に始まったことを、いまも続けているだけなんです」
日中の山鉾(やまぼこ)巡行が済んだ夕刻から、渡御は行われる。みこしの重さは2トンを超える。日が落ちても蒸し暑い。輿丁(よちょう)さんと呼ばれる担ぎ手たちは、体力と気力をふりしぼる。
幹事の吉川哲史さん(52)は、例えるなら祭りの「兵糧奉行」で、「みこしを担ぐのも、負けることのできない戦(いくさ)だと考えて弁当を大切にしています」と話す。
食料を携行するという広い意味での弁当の始まりは、ごはんを天日で干した保存食で、「糒(ほしい)」「乾飯(かれいい)」などと呼んで古代から用いられていた。戦乱の世で兵に配られたのは白米のにぎりめし。いつの時代も、人を集め、士気を上げるには白い飯というわけだ。
みこし弁当は17日の神幸祭のほか、みこしが神社に帰る24日の還幸祭にも用意して両日で約5000個。吉川さんは言う。「なぜわざわざ弁当を作るのかとよく聞かれます。続けている理由は、結局はこれが一番『うまい』からかもしれません」