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オーバーツーリズム問題の本質と、欠けていた視点 専門家はこう見る

Travel 更新日: 公開日:
観光客でにぎわう清水寺の参道=京都市東山区

――観光名所の多い京都には、外国人観光客が多く訪れています。

京都市の人口規模(約146万人)は、川崎市やさいたま市とほぼ同じ規模です。にもかかわらず、街がとても混雑しています。バスに乗ろうとしても、3台、4台と待たないと乗れないときもあります。

ただ、観光客の数で見ればそこまで増えてはいません。質が変わってきているのです。日帰り観光客が減り、宿泊客が増えています。日本人が減り、外国人が増えています。外国からはるばる来る方は何カ月も前にホテルを予約します。日本人が気軽に予約しようとしても、ホテルが満室で取れない。だから足が遠のいてしまっています。

日本人の旅行ならいろいろなところに分散するのですが、外国人観光客は、世界遺産に登録されたところや、海外のガイドブックに必ず載るような主要な観光地を訪れます。そういったところに人が集中してしまうのです。

観光客でにぎわう清水寺=京都市東山区

――中井さんは昨年、京都のオーバーツーリズムについての本を出版しました。オーバーツーリズムとはどういう状態を指すのでしょうか。

この言葉の由来には諸説あり、学術用語としてではなく、SNSから自然発生した言葉とも言われています。一般の方の実感の中から生まれた言葉です。欧州のメディアで取り上げられるようになったのはここ3、4年でしょうか。定義には専門家の間でも違いがありますが、よく言われるのは「地域のキャパシティーを超えた観光客の受け入れによって、地域住民の生活や観光客の観光体験にダメージが出る状態」です。ただ、何を持ってダメージとするかなど、厳格に定義するのは難しいですね。

――ある地域が「オーバーツーリズム」状態かどうかを一律に決められる尺度はないということですね。

そうです。騒音問題とも似ていると思います。どれくらいの騒音なら迷惑か、というのは立場によって変わります。保育園が近くにある人の場合、自分の子どもがそこに通っていればうるさくても文句は言いませんが、子どもがいなくて保育園と関係のない生活を送っている人からすれば、うるさいと気になってしまいます。

ある地域の状況を見て、にぎやかで良いじゃないかという人もいれば、観光客数がオーバー(過剰)だと感じる人もいる。観光産業に携わっている人はもうかるのでいいですが、道が混んで、バスも満員で乗れず遅れてしまうなど、迷惑は被るけど利益を受けられない人もいます。問題は、観光客が来ることによる利益が必ずしも公平に再配分されないことです。

京都駅のバス停付近には観光客らの長蛇の列ができていた

――観光客を迷惑だと感じるかどうかは、立場の違いが大きいのですね。

それは非常に大きいですね。「京の台所」錦市場周辺は、いまや観光客のための市場になりつつあります。外国の方は乾物やお漬物はあまり買わないようで、ソフトクリームを売るほうが店はもうけられるんですね。そういう店に取って代わられると、地元の買い物客にしてみれば、混雑で歩くのも大変、欲しい物を売る店も少なくなる、となって「観光客が増えるのは問題だ」となります。

――京都で商売をやっている人はどう見ているのでしょうか。

僕は大阪の出身なので、大阪の商売人の空気は知っているつもりでしたが、京都は全く違います。「京都らしさ」とか、京都の景観や街並みを守るということに関して、自分たちが身銭を切る、痛みを伴ってでも守るという意識が高い。もうかれば何でも良いというわけではなくて、もうかるのが分かっていても、失ってはいけないものがあることをきちんと考えています。街のあり方に対する思い入れは他の都市とはやはり違いますね。

「京の台所」錦市場にあった、食べ歩きしないよう注意を促す看板=京都市中京区

――直接利益を受けられない人がいる中で、自治体の政策はどうすれば良いのでしょうか。

根本的なところになるのですが、観光産業は、地域のインフラや文化資源を切り売りしてお金に換える産業です。観光客を呼び込めば呼び込むほど、バスが混んだりホテルが埋まったりしてインフラがパンクし、混雑しすぎて景観が損なわれ文化資源が目減りします。迷惑を被るけど利益はないという状態が、外国人への不満を高める土台になります。国や地方自治体の観光振興策にはこれまで、迷惑を感じる住民側に立った視点が欠けていました。

解決は容易ではありません。祇園では行政の支援を得て警備員を配置したり、舞妓さんの撮影禁止とかの看板を立てたりしています。祇園としては、「うちは観光地ではない」「観光地になりたくない」というのが本音です。ですが、警備員や看板など、対策をすればするほど逆に観光地のようになってしまいます。
住民の利便性を確保した上で、その余剰分を観光客に供するべきだとは思いますが、それを政策としてどう実現させるかは難しい問題です。

龍谷大学社会学部非常勤講師(観光社会学)の中井治郎氏

――逆に、京都を訪れる観光客の側が迷惑な存在とならないために、何か気をつけるべきことはありますか。

「よそさんの履物を借りる時みたいに歩きなはれ」という京都で昔から言われている慣用句があります。他人から借りたげたでは走ったり暴れたりせず、そっと歩きますよね。そういう気持ちで街を歩いてみてはどうですか、というものです。ただ実際には、お行儀の悪いことをして説教されることまで含めて京都観光だという方もいますね。

――今後の観光政策で大事なことは何でしょうか。

これまで観光産業というのは、発地型というように、観光客の出発地が中心になっていました。観光客を受け入れる着地側が発信を怠っていたということもあります。観光客の持っているイメージやニーズを満たすだけでは、自分たちのインフラや資源が目減りしてしまいます。これからは着地側が積極的に発信する、コーディネートしていくということが都市観光では大事になってくると思います。


なかい・じろう 1977年、大阪府生まれ。学生時代から京都に通い、街をウォッチし続けてきた。2019年に単著「パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市」。