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「京都ぎらい」の著者が言う。「京都は没落の先進地帯」

Travel 更新日: 公開日:
井上章一・国際日本文化研究センター教授

京都は「没落の先進地帯」

――京都人の気質をどう見ていますか。

自分が世界の中心にいるという意識が強く、外側に対するエラそぶりが目につきます。たとえば、今でも仕事で東京に出張することを「東下り」と言う。新幹線の上りに乗るんですが。かつては都でしたが、落ちぶれてきたという思いが、かえって歴史や文化へのこだわりを強め、自尊心を高めているように思います。ただ、国際的に眺めれば、それは京都だけの現象ではないと思います。

2004年に、3ケ月かほどブラジルのリオデジャネイロで暮らしました。リオは昔の首都ですが、今は政治の中心はブラジリア、経済の中心はサンパウロに移った。街の勢いは下火になるんですが、自尊心は強くなっています。似た思いは、イタリアのフィレンツェでも感じました。ローマに対する敵対心が強くて、都はローマだが、ルネサンスの中心地は圧倒的にフィレンツェだと言う。盛りを過ぎた街が、昔の栄光に酔っているんです。そんな世界中のいやらしい街を比較検討できたら、面白いかもしれません。

――そのいやらしさとは。

今の盛りを謳歌している都市に対する田舎者扱いでしょう。リオの人たちは「カリオカ」と呼ばれ、サンパウロの人を「パウリスタ」と呼ぶ。パウロの人という意味だが、リオの人はキリギリスで、サンパウロはアリのイメージ。オフィスをサンパウロに移したリオのビジネスマンも「働く場所はサンパウロだが、本当の暮らしはリオにある」と言います。

――京都がもともと商いの街だということも関係しているんでしょうか。

京都は近代化が遅れました。都市の近代化を郊外に移し、オフィスは都心に残します。京都の家は郊外に出なかった。祇園祭などの凝集力も、外にいくことを止めた。祇園祭の「鉾」や「山」を出す町内の人に話を聞くとすごいです。京都はどこまでだと思うかと聞くと、北は御池通、せいぜい丸太町通くらいと言う。その北にある京都御所はもう京都じゃないんです。鉾町は洛中の中の洛中で、あそこがいちばんエラそうです。でも、だからこそ、そこから逃げたいと思う出身者も多いんですけどね。

迷惑なのは、外国人だけではなかった

京都・清水寺前の混雑 Photo: Nishimura Koji

――京都人の気質からして、観光客には来てほしくないんじゃないですか。

観光客の数はずっと右肩上がりで、バブル崩壊後も目減りはしていません。街で暮らす人がそれを望んだわけではなくて、望んでいるのは観光業界や行政ですよ。行政は、観光収入がある寺から直接は税金をとれなくても、周辺からはとれる。坊さんが街で遊べばその分は税金をかけられる。祇園の料亭なら課税できるんです。侮ってはいないと思いますよ。

――外国人観光客も、迷惑だという声もあります。

私は京都人ではないんです。嵯峨で育ちました。1970年代ぐらいから観光客はたいそう増えました。多くは日本人で、彼らが迷惑をかけなかったかというと、そんなことはない。だからインバウンド批判の言葉を聞くと、言い返したくなりますね。日本人も別に国の内外問わず迷惑だった、と。中国人だけを悪く言うことはできない。

――でも、京都市内でも観光で潤う人とそうでない人との格差が生まれますね。

京都市はそれを避けるために、観光客から税金を取ろうとしていますよね。

 

――外国人観光客の増加は、街の魅力向上にもつながるんでしょうか。

ここ10年くらいで変わったなと思うのは、京都らしく装った、映画の書き割り(舞台背景)のような地区が増えていることでしょう。フィレンツェの市役所は700年前、鎌倉時代の建物です。京都市役所は1930年代の建物も使いづらいと言って建て直そうとしている。祇園祭を守っているプライドはあるけど、街並みに対するプライドはない。

日本人は「和を以て尊しとなす」と言うが、少なくとも街並みについては、そうじゃあない。京都を紹介する英語のガイドブックにも「街並みには期待するな」と書いてある。フィレンツェやベネチアとは、もう比べようがないんです。

京都は「もてる女は気を遣う」状態?

京都・清水寺前の混雑 Photo: Nishimura Koji

――京都は「インバウンドが大事」と言いながら、招く努力が足りないのでは。

外国人も含めて大勢来ると、煩わしいと感じている京都人は多いと思います。でも、もてる女の人が、おっさんを煩わしく思うのと同じで、どこかで喜んでいるところもある。今は、煩わしいと思っているおっさんが、バラの花束を持ってきたみたいなもんではないですか。「いらない」と冷たく断って「顔がきれいやと思って、生意気や」という評判を立てられるのはイヤ。「はいはい」と受け取って「八方美人やな」と思われるのもイヤ。もてる女は気を遣う。もてる人になってみないと分からない。

――歴史や文化があるから、黙ってても客が来るという意識がありませんか。

国際化の時代を迎えても、京都の歴史は世界の歴史にはならない。ミケランジェロは世界の宝だが、本阿弥光悦はせいぜい日本の宝。これは、しょうがない。イタリアのルネッサンスを研究する人の半分は米国人で、3割はドイツ人です。世界中で、歴史が好きな人ならマリー・アントワネットやロベスピエールは知っている。でも徳川慶喜や西郷隆盛を知っているのは、よほど特殊な日本好きに限られます。

日本が世界史に登場しえた時期は、16世紀でした。ところが、日本は自らその舞台を降りてしまった。もし豊臣秀吉が、明に入ろうなどと野心を持たずに海外交易にゆだねていたら、東南アジアに関西弁の流通範囲が広がっていたかもしれない。鎖国政策を取らなければ、西陣織が世界で愛好されていたかもしれない。その可能性をなくしたのは、江戸・東京です。日本の歴史や文化が世界で手に入れている地位は、知れているんです。

ただし、これから変わるかもしれない。手塚治虫や宮崎駿は、ディズニーと同じだとは言わないが、そこらあたりから世界の文化意識が変わる可能性はある。世界の常識になる日本のアイテムは、歴史ではなくサブカルでしょう。でもその中心地は、東京やね。

――では、京都が生き残る道はどこにあるんでしょう。

行政は数字を追い求めていますが、ランキングに一喜一憂するのは愚かです。今後、経済指標で日本が世界に躍進することはないでしょう。むしろ衰える中で幸せや楽しみを見つけていくべきで、そういうヒントなら関西圏に眠っているかもしれない。京都は、大阪もそうかな、没落の先進地帯なんです。大阪は戦前のある時期に経済指標で東京を上回っていましたが、今は10分の1程度です。でも大阪人はちっとも不幸ではない。数字にこだわる政策は、ひずみをつくるだけです。

生き残るために、無理をする必要はないんです。物語を楽しんだり慈しんだりするだけで十分。数字が落ちることをあまり嘆かずに、数字じゃない物語をね。(聞き手・倉重奈苗)

いのうえ・しょういち

 1955年京都府生まれ。京都大工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。専門は建築史や意匠論を中心とした近代日本文化史。2015年の著書「京都ぎらい」(朝日新書)がベストセラーに。