ルーブル美術館始まって以来の大プロジェクトが、静かに進んでいる。新しくできた超近代的な保存施設に、所蔵する25万点もの美術・工芸品を5年がかりで移そうという計画だ。
2019年10月に開館した「ルーブル保存センター(英名:Louvre Conservation Center)」。パリから120マイル(190キロ余)離れたフランス北部の町リエバンにある。
パリの本館の地下や別のいくつかの場所にあった10万点ほどが、21年2月までにトラックで運び込まれた。絵画やカーペット、タペストリー、大小の像、家具、装飾品などで、制作年代は古代から19世紀までと幅広い。
コロナ禍でフランスの美術館や博物館は閉まっており、時間にゆとりができたルーブル美術館長のジャンリュック・マルティネズはこのほど、少人数の報道関係者をこの保存センターに案内した。いずれは欧州最大の美術の研究センターになることを目指しており、世界中から美術館の専門家や学者、絵画などの保存修復士を積極的に受け入れる予定だ。
センターができたきっかけは、2016年にパリを襲ったセーヌ川の洪水だった。川岸の低地に立つルーブル美術館の本館にとっては、非常事態を意味した。地下の保存庫には、何千点もの収蔵品がある。24時間体制で、その救出を迫られた。包装し、木箱に詰め、高いところに運び出さねばならなかった。
いつかはこうした洪水が、必ず繰り返される。そこで17年の後半に、総事業費6千万ユーロをかけてリエバンの保存センターの建設が始まった。
「われわれの美術館が、洪水地帯にあるという現実から出発せねばならない」とマルティネズは報道陣を案内しながら強調した。「しかも、大理石の彫像を抱え上げて、あちこち移動すれば済むというものではない。下水が逆流して流れ込み、悪臭のする汚水が保存品を傷めてしまう危険をどうするか。答えが必要だった。それも、緊急に」
最初は、パリ近郊で新たな施設の候補地を検討してみた。しかし、地価が高く、予算がかさんで実現性がなかった。そこで選ばれたのが、リエバンだった。2012年に開館したルーブル美術館の分館(訳注=建築家の妹島〈せじま〉和世らによる設計)があるランスの隣町。建設地は、分館から歩いて10分ほどのところだった。
ベルギー国境に近いこの一帯は、かつては炭鉱の中心地として栄えた。しかし、第1次世界大戦の戦火で大きな被害を受け、炭鉱も閉山となり、経済は低迷したままだった。だから、見学者らの客足を見込めるルーブル美術館の施設が増えることに地元当局は熱心で、用地のかなりの部分を計1ユーロという象徴的な価格で売ってくれた。
保存センターの外観は、ガラスとコンクリート、鉄骨が目を引く。機能重視のバウハウス様式の貯蔵庫が、景観にそっと埋め込まれているかのようだ。
このあたりの基盤は白色石灰岩で、その上にある石灰質を多く含んだ砂の層が敷地の底土になっている。このため、大雨が降っても、水の吸収性は高い。屋根の雨漏りには、ドイツ製の特殊な感知装置の二重チェックが働く。テロや火災に対しても、複雑な保安・警備システムが張りめぐらされている。
内部で目立つのは、明るい緑色の光線を出す照明器具が全館の天井に取り付けられていることだ。こちらは害虫対策。よく見かける家具に巣くう虫などを捕らえ、殺してくれる。
センターにトラックが着くと、積み荷は車庫で下ろされ、一時保管庫に運ばれる。新しい環境に慣らし、汚れなどを落とすためだ。
さらに、コンクリート壁の円天井の部屋が六つあり、搬入品の種類によって使い分けられている。広さは計2.4エーカー(9700平方メートル強)。本館から来た専門の職人や修復士、研究員、カメラマンの作業場があり、ルーブル以外の美術館のスタッフにも開放されている。
いずれはここが戦争や紛争で危機にさらされている美術・工芸品の避難場所にもなるようにしたい、とルーブル美術館では考えている。
蛍光灯が付いた円天井はかなり高く、床から天井まで伸びる窓がある。そんな部屋をめぐっていたマルティネズが、足を止めた。
がっしりした金属製の棚という棚には、ビニールに包まれた大理石や石の塊がいくつもの木枠の箱に入って置かれていた。「よく管理された収納施設というものは、何でもしっかり包装されていて、中身を見るのが難しい」と話す口調は、申し訳なさそうでもあった。
それでも、すぐにルーブル美術館が誇る著名な所蔵品の一部を見つけた。天井に近い棚にあった複雑な形の大理石だ。イタリアのバロック芸術の巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが彫った「眠れるヘルマプロディートス(訳注=ギリシャ神話の両性具有の神)」の像の台座だった。
さらに、下の方の棚に置かれた重さ1300ポンド(約590キロ)の大きな石の塊を指した。こちらは、ルーブル美術館にある有名な古代ギリシャの彫刻「サモトラケのニケ(訳注=翼のはえた勝利の女神)」が発掘された場所の近くにあった建物の一部だ。
「ベルニーニの作品を見たい。サモトラケ(訳注=エーゲ海にあるギリシャの島サモトラキ)で発見されたものを見せて――そんな研究員の求めがあっても、これで大丈夫」とマルティネズはうなずいた。
近くの円天井の部屋では、上級学芸員のイザベル・アセランがローマ神話の女神ミネルバの小さな素焼き像十数点を精査しながら、目録を作成していた。トルコで出土したものだ。
その一つをアセランがキャビネットの引き出しから取り出し、見せてくれた。2人の女性が腕を組む像で、1960年代に修復されていた。しかし、接着剤と金属製のピンではり合わせただけの粗末なやり方だったという。
「ここでは、パリの喧騒(けんそう)を離れてじっくり調べることができる」とアセランは語る。「それに洪水の心配もなく、安心していられるのが何よりだ」
ルーブル美術館の収蔵品の数は世界最大で、計62万点に上る。パリの本館で展示されているのは、その一部の3万5千点に過ぎない。残りのうち3万5千点は、フランス国内の地方の美術館と共有されている。光にさらすのに耐えられないような壊れやすい絵画や印刷物、手書きの文書など25万点超が、本館にある。ただし、こちらは洪水被害の心配がない上の方の階に保存されている。
未公開品は、本館の地下にだけあるわけではない。その一部は館内の別のところにも収納されている。また、保安上の理由からここ何年かの間に、国内の極秘の場所に分散して収められるようにもなった。
ルーブル保存センターの館長ブリス・マチューによると、洪水に最も弱いところからは20年末までに80%の収蔵品の搬出が完了した。
その引っ越しに伴い、驚くような発見もいくつかあった。すっかり忘れられていた一つの木箱には、古代ペルシャのスーサで見つかった6千年前の陶芸品のかけらが詰まっていて、もとの花瓶に修復することができた。これとは別のスーサの出土品は、所蔵する4千年前の石像の一部であることが判明した。女神ナルンディの肩の部分だった。
この日の案内で、マルティネズとランス分館の館長マリー・ラバンディエがさらにいくつかの部屋をめぐっていると、18世紀の革製の箱を見つけた。金のフルール・ド・リス(訳注=アイリスの花を様式化した意匠。紋章である場合は、フランスの王権を表す意味合いが強い)があしらわれており、かつては王冠が入っていたようだ。
ラバンディエは携帯電話を取り出し、写真を撮りながらこう語った。
「こんな品を見ると、『ここにあるのは、この美術館が持つ文化の至宝を、私たちが代々守り通してきた確かな証しなのだ』と自分にいい聞かせるようにしている」
そして、「その思いに、心の底から胸が熱くなる」と続けた。(抄訳)(Gina Kolata)(C)2021 The New York Times
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