動画の舞台は、米カリフォルニア州南部サンマルコスにあるアビス・クリエーションズという社員16人ほどの小さな会社(以下、アビス社と略)です。
「リアルドール」というブランド名で20年ほど前からラブドール(セックスを目的とした等身大の人形)を作り続けてきたのですが、最近では人形の頭部をロボット化し、AI(人工知能)で動かし、会話させようというプロジェクトに取り組んでいる……。そんな内容です。
あれから3年がたった今、どうなっているのか。朝日新聞GLOBEの「テクノロジーの世紀」の取材チームに参加して取材を始めました。
アビス社のアポ取りは難航し、9月20日に取材をセットしてもらうまで2カ月近くかかりました。後から聞いてみると、取材申し込みが殺到して、さばくのに苦労しているとのことでした。
「それほど、リアルドールがロボットをつくるってのは人々を魅了する話題ってことだな」
ド派手なTシャツを着たアビス社の創業社長のマット・マクマレン(49)は楽しげに語ります。「オレも、オトナのオモチャ職人から、もっと大きな存在になったってわけさ」
殺到した問い合わせ
アビス社のラブドールは、その精巧なつくりと美しさ、そして一体の価格が6000~9000ドル(70万~100万円)という値段から「ラブドール界のロールスロイス」とも称されます。
身体のあらゆる部分をカスタマイズできる完全受注生産で、年間300~400体を顧客のもとに届け、年間の売上高は200~300万ドル。中国製の安価なドールに押された時期もありましたが、「ビジネスよりアート優先」の方針を貫き、「違いのわかる顧客は戻ってきてくれた」といいます。
マクマレンが、ラブドール界を超えて名が知られるようになるまでの軌跡は、偶然に訪れたチャンスを逃さなかったという点で、いかにも米国らしい成功物語かもしれません。
もともと芸術家志望で、人間の彫像に強い関心を持っていたマクマレンですが、学歴は地元の公立短大だけ。解剖学や芸術の専門教育を受けたわけではありません。起業の礎になったのは、ハロウィーン・グッズのメーカーに就職し、ここで様々な素材を使った造形を学んだことでした。
仕事で修得した技術を生かして、女性の等身大フィギュアをつくり、写真をネットで公開したところ問い合わせが殺到したのです。「彼女とセックスはできないのか」。
ここに「アーティストとして生きるニッチな活路」を見いだしたマクマレンは、1997年に会社を設立します。その精巧な「ドール」たちは、様々な雑誌の記事、数々のテレビや映画に登場し、アビス社は世に知られるようになりました。
余談ですが、取材の準備で英語の記事を読んでいて気づいたことがあります。ドールを形容するのに「anatomically correct」という表現がよく使われているのです。「解剖学的に正確」という意味かと思ったのですが、「彫刻や人形が性器まで備えている」ことの婉曲な表現でした。
6週間でロボットを
さて、アビス社にとって転機となる出来事があったのは2015年。米ファッション誌「バニティ・フェア」の取材で、会社の将来について聞かれたマクマレンが「次はロボットでも組み込んでみようかな」と漏らしたことでした。
この記事を読んだニューヨーク・タイムズから「ロボットを作っていると聞いたので取材したい」という電話があったのです。
「こりゃあ、ものすごい宣伝になるなと思った。でも、この時点ではロボットはなかった。取材が来るまでの6週間で、何とか形にしてくれって頼んだのが、この2人さ」
ラブドールにロボットを組み合わせる。このミッションを請け負ったのが、コンピューター・サイエンスで博士号を持つキノ・コーシー(53)と、電機技術者のスーザン・パーシャルスキー(54)の夫妻です。
「ラスベガスの家電の見本市に行ったら、同じ場所でアダルトグッズのショーもやっていてね。そこでマットと知り合ったんだ」と話すキノの専門は自然言語処理とAI(人工知能)。この技術から生み出される音声を、ラブドールの目や口の動きや表情と適合させるのがスーザンの仕事です。
「頭部にはモーターが10個入っている。一番大変なのは耐久性を持たせることね。キスしたりハグされたり、あるいは口を開けられたり……分かるでしょ……そんなことされても壊れないような」とスーザン。
眼球にはスマホと同じカメラを仕込んで顔認証できるようにする計画です。この頭部だけで8000ドル(90万円)、身体とセットだと1万2千ドル(140万円)程度の価格で先行予約を受け付け始めています。
日本でもヒト型ロボットは盛んに開発され、ホテルのレセプションなどでは実用化もされています。
「ただ、こうしたロボットは、不特定多数の相手と公共の空間で受け答えをするだけだ。一方、セックスのためのロボットは、密室で特定の人間と一対一になり、その人間を喜ばせる必要がある。すごくチャレンジングだ」とマクマレン。「キノの言葉を借りれば、すごいセックス・ロボットをつくるには、まずすごいロボットを作らなきゃいけないってことさ」
日本にも製造拠点を
ロボットの開発のため、マクマレンは、キノとスーザン、他のAIの専門家らと協力してリアルボティクス(realbotix)という別会社を立ち上げました。ハーモニー(harmony)というソフトウェアの販売を開始しており、3カ月9.90ドルで利用できます(現在はアンドロイド版のみ)。このソフトとロボットの頭部を連動させ、表情をつくり音声を出すのです。
ハーモニーを実演してもらいました。
マクマレン「僕の友人にあいさつしてくれるかい?」
ハーモニー「こんにちは。お会いできてうれしいわ」
マクマレン「どんな食べ物が好き?」
ハーモニー「日本食とイタリアンが好き。ねえ、いつディナーに連れていってくれるの?」
といった簡単な会話を楽しめます。
ただ、「日本に行ったことはある?」と聞いたときは、ウィキペディアから引いた「日本」の説明を述べたり、「陽太郎」という私の名前を「You tomorrow」と発音したり、まだまだ不完全なところはありますが、口や目の動きは近未来を予感させるのに十分でした。
この頭部に、ユーザーが好きなマスクを磁石で装着し、ロボットとのコミュニケーションを楽しめるようにする。そうなれば、応用範囲は無限に広がります。
「セックスやオトナのオモチャとは全く関係ない分野、たとえば医療・介護や小売りでも活用できるハードウェアのプラットフォームをつくる」。マクマレンやキノたちは、そんな夢を描いています。
これまでアビス社は、マクマレン本人がドールの細部まで目配りを効かすため、創業以来ずっと一つの社屋内でオペレーションを完結させてきました。
ですが、生産工程をきっちり監督する人材確保のめどがついたことから、マクマレンは海外にも製造拠点を持つことを検討しています。その候補地の一つが日本。「日本にはオリエント工業というラブドールの会社があるだろ。ここは、我が社と比肩する高品質の製品をつくれる世界で唯一の存在だ。知り合いもいるしね」
「不気味の谷」の正体を探る
さて、この記事の冒頭で紹介した「不気味の谷」。マクマレンは「谷」の存在をどう感じているのか。不気味の谷は越えられるんでしょうか?
「まだ越えられたとは思ってないね。ドールやロボットにまつわる不気味さには、2つの側面があるんだ」とマクマレンは自らの考察を披露してくれました。
一つは、ドールのちょっとした見た目、ロボットのちょっとした動きが「不気味さ」の原因になるということです。本物の人間に似せようとすればするほど、微妙な違いが際立ってしまうのです。
そこで、不気味さを回避するには、「超リアルな領域から、少し距離を置く」のが得策となります。ただし、マクマレン自身は「ロボットの動きを100%人間と同じにできれば、見た目は気にならなくなるのではないか」と考えているそうです。
もうひとつの要素は、不気味さを感じるかどうかは、主観の問題ということです。
「同じものを見ても、不気味と感じる人も、感じない人もいる。同じ人でも、ヒト型ロボットを見慣れるようになれば、不気味さを感じる度合いも減っていくはず。オレ自身も10年前と比べれば、不気味さを感じなくなっているからね」
そう話すマクマレンに20年後の未来を聞くと、こんな答えが返ってきました。
「うちのドールのようなロボットがあるき回り、人間とほぼ変わらない行動ができるようになるだろう。これから5年でも桁違いの進歩があると思う。というのは、今はごく少数の人間しかヒト型ロボットの開発に携わっていないが、これからはより多くの人が魅せられるようになっていくからね」(文中敬称略)
◆アビス社製ラブドールと18年、「結婚生活」を送るアメリカ人男性を浜田記者が訪ねました。彼が紡ぎあげた詳細な妻の「物語」とは。
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