米国に出張中、テレビでは、トランプの応援を訴えるCMや、極右団体プラウドボーイズの米議会襲撃事件の判決のニュースが流れていた。社会は分断が進み、極端な主張が支持されている。
政治が自分たちの思いに応えてくれないと幻滅して投票率が下がると、ますます極端な意見が通り……と負の循環が生まれかねない。この傾向は世界共通のようにみえる。どうしたらいいのか。そんな問題意識が今回の出発点だった。
くじ引き民主主義も、市民参加予算もデシディムも、いろんな立場の普通の市民が、ああでもないこうでもないとひざを突き合わせて議論する仕組みだった。それには、リアルでもデジタルでも時間がかかる。面倒だ。しかも、せっかく結論を出したって、政治が受け止めてくれない可能性もある。
でも、この「いろんな立場」が鍵で、それが今まで政策形成にかかわっていなかった新しいプレーヤーであり、多様性ということでもある。
老若男女、移民、ごく普通の人々である場合もあれば、専門性を持つNPOの場合もあるだろう。政治家、官僚といった伝統的な政策形成プレーヤーが期待に応えられていない以上、誰かがそれを補完するしかない。
まずは身の回りの小さな事(でも大事なこと)から始める。手間ひまがかかっても、100%でなくても、実現する。手触り感のある民主主義の達成感を得る。するとまた参加したくなる(実際、ナッシュビルの市民参加予算にボランティアで参加した人で、翌年以降も関わっている人が大勢いた)。ここに正の循環が生まれる。
そして、大切なことは、政治家が、きちんと向き合うことだ。市民参加の取り組みは、決してバラ色ではなく、人々の期待に応えられていない面も見えた。
たとえば、スペインのデシディム。
第一弾の市の行動計画作りの際、一番支持を集めたのは、市の環状道路の地下走行部分に「覆い」をするというプロジェクトだった。1キロにわたって覆いが未整備の部分があり、30年以上宿題となっていた。地域の町内会の人々が「願ってもないチャンス」として、提案。デシディムによる「投票」機能では、圧倒的な得票を集めたが、「予算額が多すぎる」として採用されず、9分の1ほどの区間だけの整備にとどまった。
「市の言う『参加』とは、市が勝手に作ったプランにアリバイで市民の意見を聞いているだけでは」。町内会の人々の憤りはもっともだと思えた。
ドイツのプールをめぐっては、くじ引き参加の市民らの意見が反映されて存続と改修が決まり、一件落着と思えた。
だが、プール保存のための会を作って活動してきた女性は「いつから改修が進むのか、全然わからない。2023年には本格的な改修を始めるって言っていたのに」と事業の遅れに不満をもらし、2025年に予定される次の市議選で、改修に慎重な政党が勝つかもしれないと心配していた。
市民の声をくみ取る仕組みを採用しても、政治家がきちんと受け止めなければ、政治不信が再生産されるだけだ。
大きな政治、民主主義を立て直すには、小さな地域の現場から少しずつつくり直して、成功例を積み上げていくしかない。そうやって徐々に達成の規模も広げていくことができるだろう。
スピード化とコスパの時代にあまりにまだるっこしい。でも、あきらめずにそれに地道に取り組む人たちが世界のあちこちにいる。変化も生まれ始めている。そこに希望を見たい。