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老朽化した市民プール 新設か改修か「くじ引き」で選ばれた住民会議体が出した結論は

World Now 更新日: 公開日:
ボン市の市民プールの将来について話し合った「くじ引き」で選ばれた人たち©gfb
ボン市の市民プールの将来について話し合った「くじ引き」で選ばれた人たち©gfb

ドイツ・ボン市街から歩いて10分ほど、周囲には古い街並みが残る一角に、フランケンバートという名前で呼ばれる、市営の屋内プールがある。

ガラス張りの建物に入ると、本格的な飛び込み台も備えた25メートルのプールが二つあり、400人収容の観客席もある。地下には子ども用のプールもあり、水泳教室が開かれていて、難民たちもよく来るという。建物の前は広場で、噴水もある。カフェトラックも出ていて芝生の上で昼寝する人、おしゃべりを楽しむ人、みな思い思いに過ごしている。

市民に愛されてきたプールだが、市政の争点にもなってきた。地元では知られた建築家が設計したが、1963年築で、雨漏りがするなど、かなり老朽化している。

フランケンバートの屋内プール©Giacomo Zucca/Bonn
フランケンバートの屋内プール©Giacomo Zucca/Bonn

閉鎖して、市のほかの地区にある四つのプールと集約して、中心部に新しいプールを造るか。それとも、改修して使い続けるか。

2016年にボン市議会は、プールの閉鎖を決めた。当時の議会多数派はドイツキリスト教民主同盟(CDU)、緑の党など。背景には、ボン市中央部の大規模プールの建設計画があった。

それから7年。プールは閉鎖されず、市民に欠かせない施設として、今も残っている。議会の決定をくつがえしたのは、「くじ引き」で選ばれた市民たちだった。

2016年の議会の「閉鎖決定」に対して、大規模プールの建設反対派が、市に直接請求して住民投票になった。市全体の投票率は42.8%で、結果は「建設を中止すべきだ」への賛成が51.9%となった。

そこで市議会は、プール計画の行方を、無作為抽出、すなわち「くじ引き」で選ばれた市民がつくる会議体にゆだねた。

ドイツでは、くじ引きで選ばれた市民が会議体を作って自治体の政策について議論する取り組みが1970年代から始まった。ドイツのヴッパータール大教授のハンス・リーツマンさんによれば、「熟議と参加の民主主義をつくるために開発されてきた」という。最近では「市民会議」や「市民議会」と呼ばれることが多い。

市民に議論をゆだねるにあたって、ボン市議会では、CDUの議員から「選挙で選ばれた我々が決めるべきだ」との意見も出た。だが、緑の党が説得し、開催が決まった。

緑の党の8期目のベテラン市議、ロルフ・ボイさん(66)は「市民が政治を遠くに感じ、政治家が勝手に決めてしまうと思うと、政治への無関心を生む。投票率が下がってAfD(ドイツのための選択肢)のような極右政党の台頭につながる」と開催に賛成した理由を語る。

市は2019年、無作為抽出した999人に案内を送った。対象は14歳以上の住民で、移民も含まれる。「その地域の住民であれば、参加する権利があり、14歳であれば判断もきちんとできる」(リーツマンさん)という。

130人から参加の意思表明があり、最終的に14歳から89歳までの92人が参加した。仕事を休んでも参加しやすいように200ユーロ(約3万1500円)の「補償金」が支払われ、託児サービスもある。

緑の党の市議、ロルフ・ボイ=秋山訓子撮影
緑の党の市議、ロルフ・ボイさん=2023年7月6日、ドイツ・ボン市、秋山訓子撮影

午前8時から午後4時まで、90分間の議論が一日4回、4日間にわたってみっちりと行われた。専門家から話も聞き、4〜6人の小グループに分かれて話し合った。グループは、時間帯によって入れ替わるため、最終的に参加者は自分以外の全員と意見を交わすことになった。

市民プールについて話し合う人たち©gfb
市民プールについて話し合う人たち©gfb

市民参加のまちづくりを研究する早稲田大教授の卯月盛夫さんは、この会議を視察していた。「小グループを作って、メンバーを替えながら密に議論していく。このプロセスが重要。全員が意見を言うことができて、平等に話せるんです」

卯月さんは、最年少の14歳で参加していた少年に話を聞いたという。「議論の内容は理解できるし、楽しい、と言っていました。彼が意見のとりまとめ役をすることもあって、役目を果たしていた。両親も勧めてくれ、学校を休んで行きたいと先生に相談すると、背中を押してくれたそうです」

活発に続いた議論について、会議の運営を委託されたコンサルタントは、リアル開催の意義を強調する。オンラインの場合、「顔見知りなら別だが、初めて顔を合わせた人たちだと、熱の伝わり方などにも難がある」という。

最終的に、議論は「市民鑑定書」としてまとめられた。結論は、中心部にプールを新設するのではなく、それぞれのプールを改修すること。一番大事なのは誰もが行きやすい、地元のプールであることで、既存のプールを引き続き使うか、同じ場所に新設することだとした。

市民鑑定書が出された後の2020年、ボンでは、市長と市議会の選挙が行われた。プールのある選挙区は前回同様、緑の党出身の候補者が当選し、市議会全体でもCDUが議席を減らして緑の党が増え、市長も緑の党から選ばれた。

選挙の争点はプール問題だったわけではないが、結果として「くじ引き民主主義」に賛成だった政党が、勢力を増やしたことになる。

そして、市議会は市民鑑定書の結論をもとに現存の五つのプールを改修、あるいは解体して新築すること、新築や改修の間は代替のプールを建設して使うことを決めた。市の担当課によれば、すでに他の地区のプールは新築するために閉鎖された。フランケンバートも屋根の改修工事に入り、これから本格的な改修に向け調査をするという。

リーツマン教授によれば、近年、「くじ引き民主主義」への関心は高まっている。参加の意思を示す住民は増え、平均で25〜30%ほど。「個人が情報を格段に集めやすくなり、生活にかかわる政治課題も増え、関心も増している」からだと語る。

政治課題への関心が増しているのに選挙の投票率が上がらず、ポピュリズムや極右の台頭などを招いているのは多くの国で共通している。ドイツも国政選挙などの投票率は日本よりも高いが、長期低落傾向にある。

選挙で選ばれた議会があるのに、くじ引きで選ばれた市民が議論することに、正当性はあるのか。

ヴッパータール大のハンス・リーツマン教授
ヴッパータール大のハンス・リーツマン教授=2023年7月4日、ドイツ・オイレンドルフ市、秋山訓子撮影

「ある」、とリーツマン教授は断言する。「政治家は、自分に投票してくれた団体や選挙区を見てしまう。一般市民にそれはない。世間の常識や、政治家が代表していないグループ、たとえば若者や高齢者、移民などの視点を持ち込んでくれる」

議論は的確にできるのだろうか?

リーツマン教授は「Absolut(絶対に)!」と繰り返した。「最初は、一人でしゃべり続ける人もいる。でも1日半もたつと、参加者に連帯感が生まれ、共同体のために何が一番望ましい解決策になるのか、考えるようになる。私たちにとっても驚くべきことです」