ドイツの首都ベルリンの中心部に、威厳のある石造りの建物がそびえる。19世紀末に建てられた旧帝国議事堂を改造したドイツ連邦議会議事堂だ。ナチス時代の1933年に放火事件で全焼、長く廃墟だったが、東西ドイツ統一後に大幅に改築、西ドイツのボンにあった連邦下院がここに移された。ガラス張りのドームが屋上に置かれ、内装は極めてモダン。市民に開放された政治を象徴する建物だ。
10月18日、その議事堂の一室で日独フォーラムの会議が始まった。
日独フォーラムは日本とドイツの両政府の合意で1992年に発足した賢人会議である。国会議員、官僚、財界人、学者、ジャーナリストなど双方から約20人ずつが参加して意見を交換、討議の結果を踏まえて両国首相に提言を行う。会議は毎年、ベルリンと東京で交互に開かれる。
私は5年前から参加しているが、世界情勢の変化を受けて、討論の内容も大きく変わってきた。最初に出席した2013年には、ドイツ側にはどこか余裕があった。彼らの視線はこんな感じだった。
《ヨーロッパは万事うまくいっているが、アジアにはまだ課題が多いようだ。日本は中国を脅威と認識しているが、中国が大国として台頭するのは歴史の必然ではないか。まずは隣国としてその力を認めることから、関係を改善してはどうか》
それが、2014年にロシアがクリミアを併合したあたりから、風向きが変わってきた。
力による領土併合、国境線の変更は、第2次世界大戦後のヨーロッパの国際秩序を揺るがす大事件だった。さらに、冷戦後にソ連の影響下から離脱し、民主主義を目指したはずのハンガリーやポーランドの政権が、ポピュリズムやナショナリズムに傾斜した。それまで当然だと思っていたヨーロッパの平和や人権などの価値も怪しくなってきた。2016年には、イギリスが国民投票でヨーロッパ連合(EU)からの離脱の意志を鮮明にし、アメリカがトランプ氏を大統領に選んだ。トランプ氏当選の直前に開かれたその年の会議では、ドイツ側参加者が「解決不可能な問題がこれほど同時に世界に存在したことはない」という言葉を漏らしたことを覚えている。
今年はさらに驚くべき展開があった。ドイツという国のありようについて、ドイツ側から深刻な反省の弁が聞かれたことである。おおむね次のような意見だった。
《ベルリンの壁が崩壊した1989年以来、自明だと思っていた世界におけるドイツの立ち位置を議論し直す必要があるのではないか。
20世紀に2度の世界大戦を起こしたドイツは、1989年に歴史の「正しい側」に戻ったという認識を持った。議会制や市場経済が中央・東欧にも広がっていくだろう、すべての国は私たちドイツのようになる、とあの時は思った。裏返せば、ドイツの内政においてはもう改革すべき問題はないという自己認識があった》
現在のドイツには難民や移民を排斥する動きが広がっている。ドイツ国内の不満や批判に真摯に得組む努力を怠り、じぶんたちは現状でよしと甘い考えを持ってきたのではないか。そういう内省の弁だと受け止めた。確かに、「ヨーロッパの優等生」といった自信に満ちたかつてのドイツの姿とは様変わりだ。会議の直前には、バイエルン州の議会選で与党CDUの姉妹政党「キリスト教社会連合(CSU)」が歴史的大敗を喫していた。
2日間にわたった今年の日独フォーラムの討議では、かなり突っ込んだ意見交換があった。
「政治におけるポピュリズムに対抗するには、選挙にさらされない官僚、中央銀行、専門家たちが、どれだけ独立心を持ってそのような動きをチェックできるかにかかっている」
「こうした事態をもたらしたグローバル企業の責任も考えねばならない。人類がどうサバイバルできるのかという視点を入れた生産体制のあり方を考えねばならない」
「ナショナルな立場からグローバリズムのマイナス面を抑えることも必要で、各国はそのために協力すべきである」
「トランプという異形の大統領が生まれ、ニューヨークタイムズなど主要メディアが強く批判しているがトランプの言動は止まらない。これはメディアの危機ではないか」
会議が終了して1週間あまりたった10月28日。今度はヘッセン州の州議会で、与党CDUが大きく議席を後退させた。翌29日、メルケル首相は今年末のCDUの党大会で行われる党首選への立候補を断念すると発表した。首相職は2021年秋の任期まで続ける意向だが、党首を辞めて政治的求心力が保てるだろうか。過去13年間、ドイツとヨーロッパをまとめてきた強力な指導者が、早晩政治の舞台を去る。「メルケルなきドイツ」は不安だが、「メルケルなきヨーロッパ」はさらに大きな不安である。
日独フォーラムの会議後半に聞いた年配のドイツ人参加者の発言がいまも耳を離れない。
「歴史で学んだワイマール(ナチスにより崩壊させられた戦前ドイツの民主主義体制)がいま起きているのではないか」
そこまで危機は深いのだ。