『Jäger, Hirten, Kritiker(狩人、羊飼い、評論家)』の著者リヒャルト・ダーヴィット・プレヒトは、テレビにも登場する人気の哲学者。奇妙なタイトルの意味は後に言及するが、本書のテーマはビッグデータ、ロボット、AIなど、社会のデジタル化である。
著者が特に気にかけるのは、アマゾンをはじめとする米インターネット企業の動向だ。彼らは、個人の購買履歴と膨大な顧客データを元に、「あなたが欲するであろう商品」を勝手に紹介してくれる。人々は自ら商品を選ばず、パソコンやタブレットに示される「おすすめ商品」に、「これ欲しい!」と反応するだけになってしまう。これでは、ベルが鳴ると涎を出すように条件づけられた「パブロフの犬」とどこが違うのか。
EUが準備中のデジタル基本権憲章の原案では、購買履歴などの個人情報は自決権の対象であり、企業が個々のデータとその用途を示すことなく、個人に譲渡を認めさせること自体が違法となる。これは、選挙権の譲渡ができないのと似た話だ。
著者は、「私たちがどんなデジタル社会を望むか」をはっきりさせるべきだという。
デジタル化というと、将来の雇用が激減するのを心配する声が目立つが、著者は「仕事が少なくなるのは、むしろよいことだ」という。
これは、産業革命以来続いた「勤労の時代」の終わりを意味する。私たちが日常的に行っている「人間の価値と職業を直接結びつける考え方」を修正すべき時が来たのだ。聖域だった頭脳労働も、近い将来に多くは機械化される。大量発生する失業者に肩身の狭い思いをさせるのは、政治的不安定につながる。そこで著者は、金融取引税を財源とするベーシックインカムの導入を提案する。
若き日のマルクスとエンゲルスは、共産主義を「朝は狩猟に出かけ、昼は魚釣りをし、夕方には放牧し、夕食後は好き勝手に議論するが、狩人にも漁師にも羊飼いにも評論家にもならない生き方」と定義した。これは、特定の職業と自分を一体化させず、自分のすることを自分で決められる社会であり、本書の副題である「デジタル社会のためのユートピア」の具体的なイメージでもある。
自分好みの情報ばかり与えられる危うさ
ジャロン・ラニアー『Zehn Gründe, warum du deine Social Media Accounts sofort löschen musst(ソーシャルメディアのアカウントを直ちに削除しなければいけない10の理由)』は、プレヒトの本とテーマが重なる。ラニアーはインターネットの草分け時代から活躍し、「バーチャル・リアリティ」の開発に貢献したとされている。本書は熱烈なソーシャルメディア批判である。
ラニアーによると、昔は多数の人々が一つの広告を眺め、そのなかの誰かが商品を購入した。ところが、ソーシャルメディアは、オンライン中絶えずユーザーの行動や反応についてのデータを収集し、アルゴリズムで分析する。そして得られたユーザーの傾向・目的に最適な刺激や情報を提供し、ユーザーに関心や共感をもたせるという。
例えば、ホテルを探しているユーザーは、次から次へと自分の好みそうなホテルを紹介してもらい便利だと思う。ところが、著者によると、これは長い目でみると、ユーザー本人に気づかれることなく、意識や行動様式を変えることにつながるという。だから彼はソーシャルメディア・ユーザーに「あなたは自分の自由意志を失っていく」のだと警告する。
ホテルの便利な予約を利用しただけで「自由意志の喪失」などといわれるのは、口はばったい感じがしないでもない。でも、政治や社会問題についてユーザーが自分の傾向に合う情報ばかりを提供されていると、自分の抱く見解が強化されるだけではないのだろうか。その結果は、反対の立場を理解しようとする根気も能力もなくなり、複雑な議論が嫌われて、両極端の見解が対立する状況になっていくだけである。
これこそ、ネットで誹謗中傷・悪罵を連発する「トロール」と呼ばれる人の温床であり、多くの先進国でヘイトスピーチが盛んになるのもこれと無関係でない
このような事情からラニアーはいろいろと心配する。彼は、ソーシャルメデイアが「真実を隠す」ことや「同情心をなくさせる」ことや「あなたの発言を無意味にさせる」ことや、また「政治を不可能にする」ことなどを警告する。
本書を読んでいて懐かしく思い出されたのは、インターネットが登場した頃、多くの人々がその技術的可能性に、人類解放の夢を託したことである。著者のラニアーもそうだったらしく、その分だけ現状に対する失望が大きい。
本書のなかで一番面白かったのは、著者がふと漏らした事実だ。それは、デジタル革命の首都・シリコンバレーで活躍中の多くの人々が、自分の子どもらをスマホが禁じられているシュタイナー学校に通わせる点だ。ちなみに、この学校は、ナビの代わりに地図の見方を教えるのではなく、授業で子どもたちといっしょに地図自体を作ることをその教育原則にしている。
食生活を反省、栄養学者になった
『Der Ernährungskompass(健康食の羅針盤)』の著者バス・カストは科学ジャーナリストである。今から数年前、彼は40歳にして初めて父親になろうとしていた。
ある日、いつものようにジョギングをしている時、急に胸に痛みを覚える。「鋼鉄の手が自分の心臓をつかみ、押さえつけようとしているように感じられた」という。後に、医者から「狭心症の発作を起こしたのだ」と診断された。
著者はお腹が少し出てきたが、外見は昔と変わらない。それまで自分が健康だと思っていたが、身体の中はボロボロなのではないかという不安を、初めて覚えた。そのうちに自分の食生活に問題があると思い始めた。ジャンクフードとかファーストフードで飢えを満たし、ビールを喉に流し込むだけ、という食事が多かったからだ。
著者は健康な食事に切り替えようと決意するが、それも簡単でない。この国では、ダイエットは百家争鳴である。例えば、筆者(美濃口)の周囲にも、菜食主義からヴィーガニズムに進んだ人もいれば、パレオダイエット(旧石器時代の食生活)の熱烈な信奉者もいる。このように種々雑多の健康食がある以上、著者は自分で判断しようと決意し、栄養学者の研究を読みはじめる。本書はその成果だが、著者は勉強家であり、かつその判断が偏らない点が受けている理由だと思われた。
例えば、脂肪分摂取が不健康とされるが、彼はイタリアの山間部の例を挙げて反論する。そこは長寿者が多い地域でオリーブオイルやクルミが料理につかわれ、摂取カロリーの40%以上は脂肪からだが、乳ガンや脳卒中が少ない。炭水化物バッシングに対しては、著者は長寿で有名な沖縄の例を挙げて、摂取カロリーの85%がサツマイモなどの炭水化物だと指摘する。
本書はいろいろと勉強になったが、かつて日本で生物と保健の授業から得た知識だけの筆者には難しい箇所もあった。自分の食事について反省する読者は多そうだが、筆者はお肉がたくさんのドイツの食事をこれからは少し控えようと思う。
ドイツのベストセラー(ノンフィクション部門)
7月28日付Der Spiegel紙より
『 』内の書名は邦題(出版社)
1 Der Ernährungskompass
Bas Kast バス・カスト
健康な食事を求めた科学ジャーナリストがその研究成果を発表
2 Jäger, Hirten, Kritiker
Richard David Precht リヒャルト・ダーヴィット・プレヒト
デジタル革命で機械の奴隷にならないための哲学者の診断処方
3 Mit 50 Euro um die Welt
Christopher Schacht クリストファー・シャハト
50ユーロだけを持って4年間・10万キロを旅した若者の体験記
4 Kleinhirn an alle
Otto Waalkes オットー・ヴァールケス
70歳になった北海沿岸フリースラント出身喜劇役者の自叙伝
5 Größer als das Amt
James Comey ジェームズ・コミー
トランプ米大統領に米連邦捜査局長官から解任された米国人の暴露本。
6 Faschismus
Madeleine Albright マデレーン・オルブライト
ユダヤ人でナチに迫害された元米国務長官がファシズムについて警告
7 Zehn Gründe, warum du deine Social Media Accounts sofort löschen musst
Jaron Lanierジャロン・ラニアー
事情通があげるソーシャルメディア・アカウント削除の10の理由
8 Wie Brausepulver auf der Zunge
Greta Silver グレタ・シルバー
年取った女性が若いときには想像もできなかった幸せを体験する
9 Das geheime Leben der Bäume
『樹木たちの知られざる生活』(早川書房)
Peter Wohllebenペーター・ヴォールレーベン
自然林を理想とする著者が生きている樹木について語る
10 Schluss mit euren ewigen Mogelpackung
Peter Hahne ペーター・ハーネ
定年で自由になった元公共放送テレビ局記者の辛辣なコラム集