- ■「泥沼」の罠
ひとつめの罠は、「泥沼」の罠である。アメリカは地上最強の国家であるがゆえに、軍事力で問題が解決できると思いがちだが、現実には軍事力では紛争は解決できず、しばしば「泥沼」化してしまう。
20世紀前半、アメリカはふたつの世界大戦を戦った。第1次世界大戦と第2次世界大戦で連合国側が勝利したのは、アメリカの圧倒的な経済力、軍事力のおかげだ。このふたつの戦争は、「総力戦」である。国家の人員とエネルギーのすべてを投じて、相手陣営の徹底的破壊を目指す。そういう戦いにおいては、最強の国が勝利する。
ところが第2次世界大戦後にアメリカが直面したのは、新しいタイプの戦争だった。それは「限定戦争」「非対称戦争」とも呼ばれる。アメリカが膨大な戦費をつかい、最大時約50万人の米兵を送りながらも敗北したベトナム戦争(1964~75年)が典型だ。
複数の強国が核兵器を所持する世界では、核を使用することは、人類破滅のエスカレーションの危険性を伴う。強国こそ、軍事手段の使用に慎重にならざるをえない。これが「限定戦争」だ。そういう戦争では、生存がかかった弱者の抵抗が、手を縛られた強者を苦しめることがある。自国の独立のために犠牲をいとわぬ小国と、遠い海外の地で目的が明確でない戦争を戦う大国では、それぞれの国民にとって戦争の意味が違う。こうした「非対称戦争」では、小国が世界最強の国を敗北させることもありえる。サイゴン陥落、南ベトナムの崩壊は、アメリカの「泥沼」の決着点だった
2001年に始まったアフガニスタン戦争も、2003年からのイラク戦争も、「泥沼」に陥った。ベトナムのようにアメリカ軍の撤退には至っていないが、いずれも、アメリカは圧倒的な軍事力を持ちながらも、占領した国を安定化させるのには失敗し、いまだに武力紛争がやまない。圧倒的な軍事力は敵軍事施設を破壊し、軍隊を解体できても、占領した国民の人心を掌握することはできなかったのだ。
そしていま、トランプ大統領はイランに手を出した。今回のケースがより深刻なのは、イランは小国どころか、かつてのペルシャ帝国に始まる歴史と、イスラム教シーア派の伝統を持つ中東の大国だということだ。
1979年のイラン革命以後、アメリカとイランは不倶戴天の敵同士だが、全面対決はぎりぎり避けてきた。今回、司令官殺害にイランがまだ目立った反撃をしていないのは、直接の軍事衝突を避けたいという計算があるのだろうが、長期的に見て、中東の大国の誇りを傷つけ、ナショナリズムに火を点けたことのリスクは限りなく大きい。ベトナム、アフガン・イラクに続く「第3の泥沼」は避けられないのではないか。
■「孤立主義」の罠
二つ目の罠は、「孤立主義」の罠である。
アメリカ外交には「孤立主義」と「国際主義」の伝統があると言われる。国際社会への関与を嫌う「孤立主義」と、「世界の警察官」気分で介入する「国際主義」は、反対物のように考えられがちだが、実は同じコインの表と裏だ。根っこにあるのは、自由の理念のもと生まれたアメリカは地球上で特別の地位を占める、という例外主義である。
「国際主義と孤立主義に共通するものは、アメリカの体現する価値についての信念であり、よきアメリカと悪しき世界という対比的イメージであった。孤立主義は悪しき世界からの孤立によって、よきアメリカを保持しようとしたのに対し、国際主義はアメリカ的原則を旧世界に適用することによって、よき世界に変えようとしたのである」(有賀貞「アメリカ外交の伝統」)
したがって、アメリカの価値や立場が外部の勢力によって傷つけられるとき、「孤立主義」は、「国際主義」に容易に姿を変える。かつては、日本軍の真珠湾攻撃が、孤立主義のアメリカを第2次世界大戦に踏み切らせた。また近くは、「世界の警察官」にならないと断言していたブッシュ・ジュニアの政権は、ナイン・イレブンへの対応で中東の戦争に踏み切った。今回のトランプ大統領の司令官殺害も、もともと中東からのアメリカ軍撤退を目指していた大統領の「アメリカ第一主義」をつまずかせるだろう。アメリカの力を見せつけたいという大統領の衝動は、結果的に、中東から引き揚げることを不可能にしてしまった。
大統領が何と言おうとも、彼の支持者が何を信じようとも、今日の相互依存の世界、グローバリゼーションの時代には、「孤立主義」も「アメリカ第一主義」も存在する余地はないのである。