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ワンフレーズで世論をつかむ スローガン政治に支配される世界の民主主義

ことばで見る政治の世界 更新日: 公開日:
英総選挙の選挙戦中、支持者宅の庭に「EU離脱をやり遂げよう」のスローガンが書かれた看板を立てるジョンソン英首相=2019年12月11日、ロイター

「大衆はすぐ忘れてしまうから、同じことを何度も繰り返す必要がある」と語ったのは、20世紀前半、世界を恐怖に陥れた独裁者アドルフ・ヒトラーだった。歴史がそのまま繰り返すとは思わないが、単純なスローガンが人々を怒りに駆り立て、政治を動かすことが、より頻繁になってきた。短い刺激的な言葉が、21世紀の民主主義を揺さぶっている。(朝日新聞編集委員・三浦俊章)

2019年12月12日のイギリス総選挙は、ヨーロッパ連合(EU)からの離脱を唱えるボリス・ジョンソン首相率いる保守党が、下院650議席にうち365議席を取り、圧勝した。いっぽう労働党は203議席で、こちらは1935年以来84年ぶりの大敗北である。イングランド中央部から北部にいたる「赤い砦」と言われた労働党の牙城が次々と、保守党候補の前に陥落した。伝統的な製造業が崩壊し、移民の増加に懸念を深めている地域である。

保守勝利の決め手は、ジョンソン首相の「EU離脱をやり遂げよう(Get Brexit Done)」という、わずか3つの英単語からなるスローガンだった。国民投票から3年半、EUから出るのか出ないのか、混迷し続ける政治対立にうんざりしたイギリス国民の苛立ちを、ジョンソン首相がうまくすくい取ったのだ。

「人格としては問題があるが、はしっこくって、一般庶民の心をつかむのがうまい」というのが、よく言われるジョンソン評だが、このスローガンは効果絶大だった。”Get Brexit Done.”と記されたグラブを持ってボクシングのファイティング・ポーズをとる。このスローガンを大書したブルドーザーで作り物の壁をぶちやぶる。ジョンソン首相の派手なパフォーマンスが、人目を引いた。残留派のほうは、離脱がイギリスの経済や国際的地位をどう傷つけるか、言葉を尽くし、理を説いて有権者を説得せねばならなかった。

EU離脱に反対し、再度の国民投票を求める人々=2019年10月19日、ロンドン、河原田慎一撮影

SNSの誕生以来、政治言語空間の中では、ますます罵詈雑言が飛び交うようになっている。ここでは、単純な言葉のほうが強い。思い起こせば、イギリスの有権者が「離脱」を選択した2016年6月23日の国民投票を決定づけたのも、「支配権を取り戻そう(Take Back Control)という、こちらも英語で3語のスローガンだった。

政治学者たちのその後の分析によれば、イギリス国民の中には、離脱による経済や社会へのコストを懸念する声の方が、懸念を否定する声より多かった、という。しかし、そういう声は過半数には届かなかった。一方、離脱によって移民問題が改善するとの声は、55%に達した。アイデンティティーの問題も大きかった。「あなたはイギリス人ですかヨーロッパ人ですか」と聞かれて、「イギリス人のみ」と回答した人は、多い調査では70%に達した。EU平均では、自国のみのアイデンティティーを選ぶ人は、39%に過ぎないのである。

増大する移民が自分たちの職を奪い、さらにイギリスからイギリスらしさを失わせていると感じるアイデンティティーの問題が、経済的不安を上回った。

短いスローガンの政治は、大西洋をはさんでアメリカで起こっている現象にも共通する。同じ2016年の11月、EU離脱のイギリス国民投票の4カ月余りのち、アメリカの有権者が政治経験のまったくないテレビ司会者、不動産王トランプを、大統領に押し上げたのも、「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again=MAGA)」という単純なスローガンだった。トランプ政権の誕生は、アメリカの社会をふたつに切り裂いた。12月18日には、民主党が多数を占める下院は本会議で大統領の弾劾を決議した。だが、下院共和党は大統領擁護で団結、世論もトランプ支持層は揺らがない。

ホワイトハウスで支持者のMAGA(アメリカを再び偉大に)キャップにサインするトランプ大統領=2017年9月29日、ランハム裕子撮影

妥協を重んじたイギリスの議会政治、超党派のネットワークが合意を形成してきたアメリカの議会政治。その伝統の面影は今日、どちらにもない。何がその変質をもたらしたのか。
大きな要因は,政治が政策をめぐる駆け引きから、人種や宗教、イデオロギーなどをめぐるアイデンティティーの争いになったことだろう。少数者の保護、多様性を認めようとするリベラルの政治が、保守のバックラッシュを招いた。そして保守の側も、白人とかキリスト福音派などの彼ら自身のアイデンティティーの砦に立てこもった。本来は、貧困とか環境とか共通課題があるはずなのに、すべてが「私たち」対「やつら」の構図になってしまう。

当然,政治の構図も変質した。たとえば、大企業優遇で、中産階級を細らせ、低所得者にしわ寄せするトランプ大統領が草の根の大衆を引きつける逆説が起きているのは、白人であることやキリスト教などアイデンティティーの政治をトランプ氏が掲げるからだ。

本来、民主主義とは、絶対的な価値観がない世界に秩序をもたらす術であるはずなのに、複数の「正義」が相手を排除するようになった。「勝者総取り」の政治が始まった。多数決とは、多数が少数の意見を取り入れることによって政治を安定させる原理であるはずなのに、相手を圧する手段と化してしまった。イギリスでもアメリカでもその結果,スローガンの政治が勝利した。だが、スローガンの政治は長続きしない。スローガンはビジョンの代わりにはならないからだ。

新たスローガン「アメリカを偉大なままに(Keep America Great)」を掲げるトランプ支持者=2019年6月18日、フロリダ州オーランド、ランハム裕子撮影

これまでリベラルが提起して来たアイデンティティーの問題は、もちろん重要である。この10年ほどで、LGBT、様々なハンディキャップを抱える人々、移民、女性の権利が進展して来たのは好ましいことだ。だが、互いの差異を超えて、共通の課題を示し、解決策を考えようとしない限り、アイデンティティー政治は,迷路に行き着いてしまうだろう。ひとりひとりの違いを大切にすることと、私たちが共通の課題を抱える存在であることを、どうブリッジしていくのか。

多様性を唱えてきたリベラルの側こそ、反転攻勢を考えねばならないときである。