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傲慢さは自らの身を亡ぼす 冷戦後30年の教訓

ことばで見る政治の世界 更新日: 公開日:
ベルリンのブランデンブルク門で開かれた、ベルリンの壁崩壊から30年を記念した式典。ダニエル・バレンボイムがタクトを振った=2019年11月9日、ロイター

英語に「ヒューブリス(hubris)」という言葉がある。ふつうは「傲慢」と訳されるが、語源は古典ギリシア語で、ギリシア悲劇において、神々に対する思い上がりの報いとして人間が天罰を受けることを指す。人は自信過剰ゆえに自らの身を亡ぼしてしまうのだ。いや、これは2000年以上前の話ではない。冷戦終焉後の時代を生きる私たちのことではないか。第2次世界大戦終結後の世界と比較してみよう。(朝日新聞編集委員・三浦俊章)

「世界情勢は、はなはだ深刻です。アメリカの援助が追加されなければ、ヨーロッパは経済的・社会的・政治的な崩壊に当面する。世界経済が健康を回復しなければ、政治的安定も平和の保証もないのです」

これは1947年6月5日、アメリカのジョージ・マーシャル国務長官がハーバード大学の卒業式で行った演説である。

のちに「マーシャル・プラン」と呼ばれるヨーロッパ復興計画を発表した歴史的なスピーチだった。第2次世界大戦でヨーロッパは壊滅的な打撃を受けていた。アメリカは、ハワイの真珠湾は攻撃されたが、本土は無傷。戦争中の軍備増産で経済成長し、大戦前よりはるかに豊かな国になっていた。ハーバードの卒業生たちは、そういう戦後アメリカで輝かしい未来を約束された中流から上流の子弟たちだ。マーシャルは彼らに、アメリカには世界を救う責任があると説いたのである。大統領みずからが「自国最優先」を唱える昨今のアメリカからは、想像もできない場面だろう。

マーシャルプラン70周年に合わせドイツを訪問したマティス米国防長官。マーシャル氏の肖像画を背に、フォンデアライエン独国防相と並び立った=2017年6月28日、ロイター

その使命感はエリートだけではなく、当時のアメリカ社会に広く共有されていく。歴史家ニコラウス・ミルズは、著書『平和を勝ち取る マーシャル・プランと超大国になったアメリカ』(2008年刊行、未訳)で、自分の子供時代の思い出を次のように語っている。

マーシャル・プランの援助がヨーロッパに届き始めた1948年、私はオハイオ州の小学3年生だった。戦後のヨーロッパが混乱していることは、子供だって知っていた。家族か親戚のだれかがヨーロッパ戦線で従軍していた。大戦中はラジオで戦争のニュースを聞いていたし、グラフ雑誌で戦争の写真も見ていた。だから、自分のお小遣いや学校のチャリティーで集めたお金を使って、ヨーロッパに「10ドル小包」を送ったのだ。小包には、コーンビーフ、砂糖、小麦粉、コーヒー、石鹸などが詰まっていた。当時の小学生だって理解していたことが、ひとつあった。それは、アメリカ人である意味、そして、戦争の厄災を免れた者の責務、つまり恵まれた者は自分の幸運を他の人々と分かち合わねばならないのだ、という理念だった。『平和を勝ち取る マーシャル・プランと超大国になったアメリカ』

マーシャル・プランによる総援助額は1952年までに総額130億ドルに達した。現在の価値でいうとその10倍、1300億ドル(約14兆円)にあたる。西ヨーロッパの復興に大きな役割をはたした。もちろんソ連に対抗する冷戦の戦略があり、アメリカの経済力があってこその援助だったが、それが支持されたのは、困っている者を助けるのがアメリカ人の責務である、と国民が考えたからだった。マーシャル・プランは、時代精神の産物だった。

40年後、1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌90年には、アメリカの主要な敵であったソ連が崩壊した。第2次世界大戦に続いて、アメリカは冷戦にも「勝利」した。

しかし、冷戦後のアメリカは何をしただろうか。

社会主義体制が崩壊したソ連や東ヨーロッパには、新たなマーシャル・プランは用意されていなかった。アメリカも西側諸国も、自分たちが勝ったのだというヒューブリス(傲慢さ)に酔いしれていた。議会制に基づく自由民主主義と市場原理に基づく資本主義が勝利したのだ。だから、冷戦後の改革は、政治では自由な選挙を導入し、経済では私有化を進めて市場原理を導入すればよいのだ。単純にそう信じていた。

だが、西側の構想はうまく行かなかった。そのことは、ナショナリズムとポピュリズムが吹き荒れるポーランドやハンガリーの現状を見れば、明らかだろう。

「アメリカ第一主義」のトランプ大統領=ホワイトハウスで2019年11月13日、ランハム裕子撮影

どこで間違ったのか。

身もふたもないが、冷戦の「勝利」自体が、自らの努力で勝ち取ったものではなかったからではないか。アメリカは第2次世界大戦のように、みずから犠牲を出しつつ、戦後世界の設計図を周到に準備したわけではない。社会主義体制が自らの矛盾で自壊したのだ。

西側は、東欧革命の陰にあった民族ナショナリズムを見落とした。混乱するロシアを放置し、権威主義的な政治体制や帝国主義的外交が復活するのを座視した。グローバリズムのひずみが、やがて西側世界にも及び、ナショナリズムやポピュリズムの大波に巻き込まれることも予見できなかった。

冒頭に触れたギリシア悲劇の場合、最後に「デウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)」という演出が待っている。絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、複雑にもつれた状況を一気に解決してしまう。だが、現実の世界にはそのような便利なものはない。

ポスト冷戦時代の混迷は深まるばかり。はたして解決の糸口は生まれるのだろうか。

これは遠い将来のことかもしれないが、苦悩する隣人を見捨てず、進んで責任を引き受ける利他的な精神が、人の心によみがえるしかないのではないか。

かつて「10ドル小包」を送ったアメリカの子供たちは、小包を受け取る同世代のヨーロッパの子供たちにあてて、励ましの手紙を添えたという。あの凄惨な戦争の後、そういうことがおこなわれたことは忘れないでおきたい。